『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (46) メヂテーションの後は涙になる
8月15日に第17書簡を書いた山田さんは翌16日にまた長文の手紙を書きました。
第18書簡
大阪より東京へ
明治37年8月16日
《君はメヂテーションの後は涙になると言つたね。こんな事は君は言はなかつたかも知らぬが僕はさう思ふ。僕は三笠山が望みある新芽をふき出してもふき出しても焼き払はれる様に、昔の御家騒動に悪人を打取つて呉れた奴が又悪人で其奴を訴へて来る奴も亦如何にも忠実さうに見えたが矢張り私利ばかり謀つて居る奴であつたりする。
そんな風に一も二も三も皆考へて見ると切り捨てなきやならん様に思へてつまりは一切否定の暗黒の中に迷はされてしまふ。こんな風に僕は一人はがゆくつてたまらないで筋肉がピリピリする様に思へて身体がぢつとして居れない様になる。其あとは浪に打上げられた死骸の様に寝てしまふのが常だ。・・・僕の思想、だんだん上波から取捨てゝ行かなければいけない。終にはすつかり捨てゝしまはなければならぬ様になるかも知れない。
学校のマツヨヒは何処から来たんだらうか。今は何処かで医者にでもなつてゐる人が学校に居た時分植物の教室へ隅田川の堤ででも取つて来たのだらうか。》
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1,435字

中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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