『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (56) 人の世の無意義について
年が明けて明治38年になると、山田さんはまたすぐに中先生に手紙を書きました。
山田さんの手紙
第35書簡
明治38年1月2日
大阪より東京へ
中勘助へ
《三十八年正月一日夜寝てからねつかれないので東京の事を色々考へて居た。遂に灯をよんで之を書く。中がいつかあのドボドボつて曰つたといふ手紙を書いて居た時の事を思ひだしたが、僕の今書いてゐる有様は非常に違ふよ。淋しい淋しい何の音もしない中の所謂夜の音が耳と頭との辺でシーンシーンと静寂が鳴つて居る。僕は八畳の室に一人真中にねてゐる。いつもは此室へねに来る時、火鉢の傍をはなれる時はいやだけれ共、寝まきに着かへる時はいやだけれ共、真暗の中でふとんの中に位置の安定を得た時、目をあいて見ても暗の外は何一つ見えるものもない中で独り沈思にふけつてゐるのがいかにも好い心持ちだ。全く自由でかゝはるものがないからだらう。今日は何だか落ち付いて居ない。胸の動悸がちつと不愉快な事でも思ひ出すと直ぐ高まるやうな風だ。朝起きたてに新聞をよむとさういふ気味があるだらう。一寸した事に非常に感ずるだらう。あたまのせいだね。今も此手紙の初めに三十八年と書いて僕が二十三になつたといふ事に気が付いて人間の半分だなつて思つたらいやだつたよ。今日先つきの隣の子供三つか四つの女の子が遊びに来てゐたが台所の障子を開けては出、向ふの障子を開けては入つて来る。何遍でも何遍でも繰り返してやつて居る。それに妹がついて来いと引つぱつて行つてはなさない。非常に面白さうに入つて来るたんびに満足の笑を示してゐた。》
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●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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