一億総平和ボケ社会――武装ではなく思い出で守る平和
矛盾だらけの「平和のための武装」
「平和を守るためには武装が必要だ」「戦争を防ぐには抑止力が欠かせない」。そんな論調を耳にすることがあります。古代ローマの警句「Si vis pacem, para bellum(平和を望むなら戦争に備えよ)」は今でもしばしば引き合いに出され、日本でも現実主義を気取る人たちが好んでこの言葉を使います。しかし本当にそれが平和への道なのでしょうか?戦争に反対と言いながら戦争の準備を進める――そのロジックは明らかに自己矛盾をはらんでいます。実際ある牧師さんも「軍備を進めるということは戦争できるように準備するということです。戦争に反対して戦争できるように準備するというのは明らかに矛盾しています」と指摘しています 。平和を唱えながら武器を増やす姿は、まるで火に油を注ぎながら「火事を防いでいる」と言っているようなものでしょう。
では、武器を持てば本当に安心なのでしょうか。武器とは本来、人を傷つけ倒すための道具です。その力は本質的に破壊のためにあります。武器を手にした途端、「武器を持つ=相手に危害を加える力を持つ」状態になるのは言うまでもありません 。心のどこかで「いざとなったら撃てばいいんだ」といった浅はかな考えが頭をもたげてしまうかもしれません 。しかしそれこそ本末転倒です。武器を持てば自分の身が安全になるどころか、下手に使えば真っ先に危険にさらされるのは他ならぬ所持した本人なのです 。いったい何のための「安全」だったのか分からなくなってしまいます。
武器を持たぬ国の誇り
「それでも武力がないと抑止にならない。綺麗事では国を守れない」と言う人もいるでしょう。確かに世の中は理不尽な暴力で溢れています。隣国の脅威、大国の横暴、ニュースを見れば不安になるのも分かります。でも、だからといって私たち自身が暴力に頼ってしまったら、結局同じ土俵に降りてしまうだけではないでしょうか。
日本では平和主義や理想を語る人々に「平和ボケ」というレッテルが貼られることがあります。「話し合いで解決を」などと言おうものなら、「それじゃ平和ボケだ」「理想論だ」と嘲笑する向きもあります 。しかし、私は問いたいのです。本当にそれは笑われたり、恥じ入ったりすべきことなのでしょうか?80年もの長い間、一度も戦争をせず平和を維持してきたことこそ、胸を張って誇るべきではないでしょうか。実際、日本はこの終戦後の約80年間、一度も他国と戦争をしませんでした。それは私たち日本人の誇りであり、戦争をしない日本は国内外の多くの人々に愛されているのです 。唯一の被爆国でありながら核を持たず戦争もしてこなかった日本に、世界は平和国家としての信頼を寄せてきました。
「平和ボケ」と揶揄する人に対して、「日本人は平和ボケしている事を誇りに思わなければならない!」と反論した人がいます 。海外で犯罪に遭った体験から、日本の治安の良さや安心して歩ける日常の尊さに気づいた方の言葉です。常に周囲を警戒して生きるのではなく、安心して暮らせる社会であることの何がいけないのでしょうか。**「武力じゃなく外交で」**と理想を掲げ続けることの何が悪いのでしょう 。戦後ずっと戦火を交えずに済んできた日本人に対し、「戦争を忘れた腰抜け」と侮辱するのではなく、「平和を貫いた誇り高き民」だと評価する声があってもいいはずです。長年平和だったがゆえに危機感が足りない?結構なことじゃないですか。私は、平和ボケと笑われるくらい平和が続いた国に生まれたことを素直に誇りたいし、同じ思いの人はきっとたくさんいるでしょう。
観光と文化が築く「平和の礎」
では私たちは無防備でいろと言うのでしょうか。決してそうではありません。武器を手に取らない代わりに、別のアプローチでこの国を守っていけばいいのだと思うのです。私たちには「文化」という最大の武器ならぬ平和のツールがあります。例えば観光や留学、文化交流です。外国から来た人々と笑顔で触れ合い、美味しいものを一緒に食べ、美しい景色やお祭りを楽しむ。そんな何気ない交流の積み重ねが国際的な友情を育みます。実際、「観光を通して国と国が仲良く国際交流を進め、人々が親しく交わることで相互理解を深めて『平和の礎』を築く」ことができると指摘する専門家もいます 。軍事的な安全保障だけでなく、文化的な安全保障の視点が重要だというわけです 。武力による威嚇ではなく、思いやりや魅力によって「この国と争いたくないな」と思わせる空気を作ること――これも立派な安全保障の形ではないでしょうか。
幸いなことに、日本には世界中の人々を惹きつける豊かな文化と魅力があります。アニメやマンガ、食文化、伝統芸能、美しい四季の風景、そして何より人々の温かなおもてなしの心。「OMOTENASHI」という言葉が国際的に話題になったように、日本人のホスピタリティは世界から高く評価されています。そんな日本での楽しい思い出が各国の人々に増えれば増えるほど、「日本と戦争なんてまっぴらごめんだ」「日本を守りたい」と思ってくれる友人が世界中に増えていくはずです。誰だって、自分が大好きな場所や大切な友人がいる国を、わざわざ傷つけたいとは思わないでしょう。かつてフランスの元大統領シラクは大の日本びいきで知られ、日本の文化財の保護にも尽力しましたが、それも日本への愛情があってこそです。国を守るのに大事なのは、最新鋭のミサイルばかりではありません。相手にこの国を攻撃したくないと思わせること、むしろ「守りたい」と思わせることこそ最大の抑止力になるのではないでしょうか。
たとえば身近な隣人同士のトラブルに置き換えてみましょう。些細な行き違いから険悪になりかけたとき、こちらも拳銃を手に取って威嚇し返すのではなく、裏庭でバーベキューでもしながら「まあ一杯どうです?」と隣人を招いてみる。火薬の匂いではなく美味しい焼き肉の匂いを振りまけば、相手もきっと笑顔になるでしょう。一緒に笑い合えば、昨日までの怒りもいつの間にか消えているかもしれません。国家間だって同じだと私は思うのです。**銃よりも箸を、戦車よりもバーベキューセットを。**そんな発想があってもいいじゃないですか。
平和をデザインする:「平和庁」と一億総平和ボケ社会
武力に頼らない安全保障なんて絵空事だ、と冷笑する人もいるかもしれません。でも私は、平和だって創意工夫でデザインできるはずだと信じています。発想を逆転してみましょう。たとえば政府に「防衛省」ならぬ「平和庁」があったらどうでしょう?軍事力の整備ではなく、平和を増進する政策づくりに特化した機関です。世界中の人々に日本のファンになってもらうためにはどうしたらいいか、本気で知恵を絞る省庁です。予算をかけて最新兵器を買う代わりに、そのお金で世界中から観光客を招致し、日本で最高の思い出を作ってもらうキャンペーンを張る。海外の若者を招いて日本各地でホームステイしてもらい、地域のお祭りを一緒に楽しむプログラムを企画する。あるいは海外で紛争が起きそうな地域に率先して医療団や技術者を送り、人道支援や復興支援に全力を尽くす。そんな**「平和のための備え」**を日夜研究する政府機関があってもいいじゃないですか。
建物のデザインだって遊び心を持ちたいですね。コンクリートの要塞のような無機質な庁舎ではなく、緑に囲まれた森のような建物を平和庁の拠点にするんです。入口には世界中の言葉で「ようこそ」と書かれた看板。敷地には各国から贈られた木が植えられ、四季折々の花が咲き乱れる庭園。中に入れば各国の音楽や料理が楽しめる交流スペースがあって、人々が絶えず笑顔で行き交う…。想像するだけでなんだかワクワクしませんか?政府機関というより、世界中の人が集うテーマパークのようですが、平和のための官庁なんてそれくらいユニークで平和ボケしているくらいがちょうどいいのです。
そして国の標語に**「一億総平和ボケ社会」なんてフレーズを掲げてみるのも面白いかもしれません。「一億総○○」というと昔からいろんな標語がありました。一億総活躍、一億総中流、一億総玉砕なんて物騒な言葉も戦時中にあったそうです。でも一億総平和ボケ社会**!いいじゃないですか、平和ボケ上等です。全国民が平和ボケできるくらい平和で豊かな社会――まさに理想の国の姿ではありませんか。さらには**「平和ボケを誇れる国であれ」**なんてスローガンを掲げるのも洒落が効いています。戦争準備に追われる国ではなく、平和ボケを笑い合える国でありたい。そんなアイデンティティを日本の国家理念に据えてしまうのです。
平和ボケを誇る未来へ
夢物語だ、と笑う人もいるでしょう。しかし、平和を夢見て何が悪いのでしょうか。かつて誰が今の日本の平和と繁栄を想像できたでしょう。焼け野原から立ち上がり、戦争を放棄した憲法の下で80年近くも他国と戦火を交えずに来られた日本。その歩み自体が十分に「夢物語」のようではありませんか。私たちは先人たちが描いた平和の夢の中に今、生きています。ならば今度は私たちが次の世代に新しい平和の夢を語り継いでいく番です。
平和ボケ?結構じゃないですか。理想論?大いに結構。理想を語れなくなった時こそ、本当の敗北だと私は思います。現実の厳しさに目をつぶるのではありません。ただ、未来を変えるのはいつだって理想を信じる力だということです。核兵器や軍拡の議論もいいですが、その前に「どうすれば戦争を起こさずに済むか」「どうすればみんなで仲良くできるか」をとことん考える。それこそ人類の英知を振り絞るべきテーマではないでしょうか。
戦争の不安に怯えて隣国を憎み合う暗い未来ではなく、みんなが笑って「平和ボケだね」と言い合える明るい未来を選びたい。それが私の願いです。どうか一人ひとりが少し想像してみてください。武器ではなく思いやりを携えて、憎悪ではなく笑顔を振りまいて、世界中と仲良くしている日本の姿を。平和ボケを誇る日本という国の未来像を。きっと、その未来は決して絵空事なんかじゃないはずです。日本が本当に「平和を愛する諸国民の公正と信義」に信頼される国になる日を夢見ながら、私たちは今日からでも**「一億総平和ボケ社会」**への一歩を踏み出していきたいと思います。平和を信じる勇気とユーモアを持って。戦争ではなく平和を準備する、新しい日本のかたちを。いつの日か、「平和ボケを誇れる国」であることが当たり前に語られる、そんな時代が来ることを願ってやみません。
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