記憶は堆積し、やがて創発特性としての絵画が生まれる。
Yeji Sei Lee個展「光の下で歳をとる」
〝移動するアーティスト 〟 と勝手に呼んでいる(誰に向かってもイェジさんをそう解釈しているなどと言ったことはないし、もちろん本人にも伝えたこともない。合っているのかどうかも自信はない)イェジさんの個展にお邪魔した。
イェジさんの作品は、初個展のときから見ている。なんなら彼女のムービーを撮らせてもらったこともある。そしてそういうプロセスの中で、彼女の作品が大きく歩みを進めてきたことを感じている。
卒業制作で仕上げた大作には、アジアの情が怨念のように溢れ出る迫力があった。ドイツ留学を追えて、明らかにその視野に広がりがあり、色遣いもさらに大きく変化した。今回の作品群は、一見、印象派の要素に近いものがベースにあるようにも見えるが(技法ということではなくて)、対峙しているとどうもそういうことでもない。
今回のステートメント
本展「光の下で歳をとる」は、これまで意識の奥に沈んでいた記憶や、言葉として捉えきれなかった感覚に、絵画という形式を通してゆっくりと輪郭を与えようとする試みである。
私の関心は、個人を越えた集合的な気配、身体の群れが場にもたらす温度や湿度、時間の滲みといった「存在の作用」にある。人が集い、動き、そうした営為を通して蓄積される視線や呼吸の層、積み重なることで生まれる場の厚みを、絵具という物質の層を通して可視化したいと考えている。
近年、各地を移動する中で触れてきた光の移ろいや空気の重さは、特定の土地に帰属する記憶というよりも、時間や距離のなかで沈殿し、やがて感覚の底に滞留する「光の記憶」として私の中に残っている。それらは、いずれも声を持たずにいた感覚であり、しかし尚、私の内部で何かを静かに照らし続けてきた。
幾重にも塗り重ねた絵具の中に、かつて見た場面や、まだ言葉にならない像たちが少しずつ立ち上がってくる。それはまさに副題である “Whatever returns fromoblivion returns to find a voice (忘却から戻るものは、声を探して戻る)”に込められた通りの感覚であり、制作を続ける中で沈黙のまま残されてきた風景たちが、今ようやく語り始める場としてこの展覧会がある。
光が記憶の中で堆積していくことで生成される創発特性のようなもの。私の中でそんな言葉が思い浮かんだ。








Yeji Sei Lee個展「光の下で歳をとる」
会期終了
MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERY
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