ヒトタラヲ現象から考える「いじり」と「いじめ」の違い
noteの中でも、突出した知名度の方がおります。
その名は「ヒトタラヲ」。
現在、重婚状態に加え、BLの世界にまで突入するという凄まじいことになっております。
多くの方が、このヒトタラヲさんを「いじって」おります。
ですが、それに対してヒトタラヲさんは楽しんでおり、更にいじられるというループになっております。
その中で、感じたことです。
「いじり」と「いじめ」の境界線
これは、かなり重要なテーマだと考えました。
ヒトタラヲさんは、今の状態を楽しんでおります。
ですが、傍から見ると「いじめられている」ように感じる方も、いるのではないかと考えました。
母が考える「いじり」と「いじめ」の境界線
そのため、母に尋ねてみました。
答えは、次のようになります。
本人が我慢できる範囲内ならば「いじり」。
本人が怒りを覚えるならば「いじめ」。
母は、エニアグラムのタイプ9です。
平和主義者であるため、かなり「許せる範囲が広い」と感じております。
私が考える「いじり」と「いじめ」の境界線
私の場合は、非常にシンプルです。
本人が喜んでいるのなら「いじり」。
本人が嫌がっているのなら「いじめ」。
お笑いなどで、ドツキ漫才のようなものがあります。
笑わせるために、あえてそのようなことをやっているのですが……お笑い芸人ほど、楽屋では笑わないという話を、聞いたことがあります。
舞台やスクリーンの向こう側で「いじめ」を受け、それを飯のタネにしている。
そう考えると、非常に嫌なものを覚えます。
他人の評価は、一切関係ない
学校などで「いじめはなかった」というような話がされることがあります。
それは「本人に、向き合っていなかった」という証だと感じております。
さらに「この程度は、いじめではない」という判断は、最悪だと思います。
本人が、傷ついているかどうか。
それだけが、唯一の判断基準である。
それが、私の考え方です。
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