自分の中の地雷 なぜ私は、逆転裁判を最後までプレイできなかったのか&2月4日に傷ついた理由(追記あり)
外見上の傷は、医者が縫うことによって治すことができます。
ですが、心に負った傷は、自分で原因を突き止め、自分の手で癒すしかないと、考えております。
そして、今回の事態に類似した例を、思い出すことができました。
それがタイトルでも述べている「逆転裁判」というゲームです。
世間一般の評価は、非常に高いものです。
ですが、私はプレイ中に激しい苦痛を覚え、結局三章あたりで断念せざるを得ませんでした。
その理由は、他の人が聞いたら「そんなもの?」と言いたくなるようなものです。
ですが、自分にとってはもっとも重要なことであり、それ故ゲーム自体に嫌悪感を抱くほどに、重大なものでした。
たった一つ、冒頭で説明してもらえればよかったのです。
「この物語はフィクションであり、実在の人間、制度、事件とは一切関係ありません」と。
もしかしたら、エンディングで語られるのかもしれません。
ですが、冒頭で語ることに意味があるのです。
プレイしていて、苦痛を覚えた理由は簡単なものです。
現実の制度と照らし合わせ、あまりにも「ご都合主義な世界観」に、耐えられなかったのです。
これは、私が「法律」を重視しているからこそ、覚えてしまった違和感です。
刑法の基本原則の一つに「疑わしきは被告の利益に」、そして「無罪推定の原則」があります。
裁判官が有罪であるという確証を得られない限りにおいて、判決は無罪とする。
そして、有罪が確定するまでは、被告人は罪人として扱ってはならないとするものです。
このゲームの提示する世界観は、これと正面から対立するものです。
だからこそ、冒頭の部分にフィクションであるという説明が欲しかったのです。
明らかに相手側が怪しいにもかかわらず、決定的な証拠がないため有罪としようとする裁判官。
ある意味では「現実のカリカチュア」なのかもしれませんが、私にとっては、パロディにしても悪質であるとしか感じられませんでした。
自分の信念、そして学んできたことを「否定する」世界観。
もしそれを提示するのであれば、あらかじめ「フィクションである」ことを示す必要がある。
もちろん、これがフィクションであることは自明の理です。
ですが、明示されることによる安心感を得られなかった。
それが、私がプレイを続行できなかった理由です。
この一件からも分かるように、私は「法」や「信念」を極めて重視するタイプです。
そこに、まるで本を読むことが「悪」であると決めつけるような文章。
そして、その本文中には「フィクション」や、「自分の真意とは異なる」という文言が一切なかったこと。
結果、逆転裁判と同じような反発が心の中で生まれた。
更に、相手の文章や今までの意見について、好意を抱いていただけに、裏切られたという思いも抱いた。
加えて、コメント欄の閉鎖とブロックという、取り返しのつかない方法を選んだ。
結果として、私は「許せない」と感じている。
恐らくそれが、今回の事態の真相ではないかと、自分では考えております。
2026年2月6日 8時22分追記
なお、私は今回の相手がその後、反省している「ふり」をしている記事に関しては、一切信用しておりません。
ブロック+コメント欄を閉鎖しておきながら、反省している内容の文章を自分のところにだけ表示する。
これは「耳栓をしながら、私は反省していますと相手に言っている」のと、同じ行為であるからです。
加えて、他の方のnoteに平然とコメントしている姿を見る限り、本気で反省しているようには見えない。
これは、実際に行われている事実からの推定であり、恐らく的外れではないと思われます。
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