【ネタバレあり】ドラマ「落日」感想
先日に引き続き、湊かなえさん原作のドラマを鑑賞いたしましたので、
備忘録的に感想を残したく、こちらに書いておくことにいたしました。
先日の人間標本の感想にも書いておったのですが、筆者は映画「告白」を映画館に観に行ってから
人の後ろ暗い部分を見事に描かれている湊作品が恐ろしく、原作小説もドラマも、
それ以来手を出すことができていませんでした。
「告白」観た当時、自身も告白の中心となる高校生達と同年代だったため、
作品を受け止めきれていなかったようにも思います。(なので再度観たい作品ではあります。)
そこから、時は経ちのリベンジマッチのように現在、湊作品を漁り始めております。
相変わらずまだ勇気が出せず、原作小説には触れられていないため、ドラマ作品のみを観ての
感想であり、原作を読まれた方とは違う感想を抱くこともあろうかと思いますが、ご容赦ください。
さて、今回の「落日」は、先日の「人間標本」と打って変わって、
有名映画監督と名の売れていない脚本家の二人の女性が主体となる物語。
監督が脚本家の担当した作品を観て、地元の灯台がロケ地に使われていたことから
脚本家に声をかけ、それぞれに抱えた過去とある事件が繋がっていく物語です。
映画監督は脚本家に、お互い共通の故郷で起こった「ある事件」を題材にした
映画を撮りたいためと協力を依頼してきます。
その事件とは、ある一家を引きこもりの長男が殺したというもの。
当時アイドルデビュー予定だった妹は全身を包丁で滅多刺しにされ殺害されており、
妹殺害後、長男は家に火を放ち眠っている両親を焼死させたという悲惨な事件です。
監督にはこの作品を作りたい理由がありました。
監督は幼い頃、世間で言う毒親の母に育てられ、自身の理想を押し付けられ育ってきました。
毎日のように母に叱責される父を見ており、自身も母の思い通りにならないことがあれば
アパートのベランダに出されるなどの虐待を受けていました。
そんな時、当時アパートの隣の部屋に住んでいて、同様に虐待を受けベランダに出されていた子ども同士、
ベランダの壁一枚を隔てて指でとんとんと手に触れるなどして励まし合っていました。
その隣家の子どもが殺害された一家の子どもだというのです。
監督の家庭は、後に父が自殺し、完全に母の精神が壊れてしまってから母とは離れて暮らすようになっていましたが、
あの時励まし合った子どもが殺害されなければいけなかったのか、監督はその真実を知りたかったのです。
監督は初め、虐待をされ励まし合っていた子どもは一家の妹だと思っていました。
ですが、作品を作るにあたり、殺された妹を調べていくと、早い段階で虐待され励ましあっていたのは兄の方で、
妹はとても大切に育てられ、かつ歪んだ自己顕示欲や承認欲求を持ち、自分より優れた者を陥れる、
恐ろしい裏の顔があることが明らかになります。
妹は一見美人で人当たりも良く、所謂クラスの人気者といった立ち位置を確立していましたが、
彼女の内面は、自身より優れたものへの嫉妬や気に食わないものへの悪意に満ちていました。
常に自身に一番注目が集まって、自身が一番でなければ彼女は満たされません。
男性関係もルーズで自分から相手を裏切っておきながら相手をストーカー呼ばわり。
陸上で将来への期待がかかった選手がいれば事故に見せかけて故障させ将来を奪い、
自身の不注意や無理強いで将来を奪ったことを泣き喚いて詫びる悲劇のヒロインを演じます。
殺された妹は自分に都合の良い嘘をつき、その内面を美しい外面で装い、自分の味方を増やすとんでもない性悪だったのです。
ここまでわかってきたところで、脚本家の家族についても歪みがあることにスポットが当たっていきます。
脚本家は、姉はピアノ奏者として海外を飛び回っている、と家族以外の人物には話すのですが、
実際には、姉は高校生の時、ピアノ教室の帰りに赤信号の交差点に飛び出し、車に轢かれ亡くなっています。
姉を轢いた男性はとても良識的な人でした。謝罪にやってくる加害者に、家族は赤信号無視で
亡くなった姉の命を奪ったことを責めることもできません。一家の母は、ある日謝罪する加害者を前に、
姉はすっかり怪我も良くなり海外でピアノ奏者として海外で活躍しているので、もう良いのですと告げます。
そこから、一家の中で姉は海外でピアノ奏者として活躍しているという設定が実際のこととされるようになりました。
その歪な家族間のやり取りに、監督は脚本家になぜ、故人を生きているものとして家族間で認識し続けるのかと問いかけます。
その問いに脚本家は、人は命を喪った時と、思いの中でも消えてしまった時の二回亡くなるためだと答えます。
遠くにいることにすれば、思いの中の現実ではそうあり続けるため姉はいなくならないというのです。
一家の母が亡くなった後も、その設定は父と脚本家の中で共有され続けていました。
ですが、脚本家自身、その在り方に縛られていること、歪であることに自覚がありました。
その結果、脚本家は姉の理想像に囚われ脚本家としての創作にも理想の姉がの影がちらつき、影響が出ていたことが仄めかされます。
監督との関わりや作品を制作していく中で、脚本家は姉の死を、死の事実として受け入れていきます。
受け入れることにより、自分が亡くなった時の姉について何も理解をしていなかったのではないかと、当時の姉の真実に向き合いはじめます。
その結果、亡くなった当時、脚本家の姉は、一家殺しを犯した男性と付き合っていたことが判明します。
マスコミが報じた事件の内実は「引きこもりの長男がアイドルデビューを控えた妹を刺殺し、
虐待の復讐として両親ごと家に火を放ち一家を惨殺した」というものでしたが、
実際の事件には、世間には語られない酷く痛ましい事情が隠されていたのです。
殺された妹は、引きこもりがちで自分よりぱっとしない兄に彼女ができたことを兄の部屋に置かれていた
手紙から知ります。もちろん悪意の塊である妹はその事実を許せません。
妹は兄の大事を装い、彼女である脚本家の姉を呼び出し、急いできてくれと赤信号を無視するよう手招きします。
そうして、脚本家の姉の命は意図して間接的に奪われてしまったのでした。
彼女を喪った兄は、彼女に相応しい男になると続けていた仕事も辞めて引きこもりとなってしまいます。
妹はちょうどその折、受けていたアイドルグループの2次審査に落ち、むしゃくしゃしていました。
もちろん、周囲には合格して春からはアイドルになると嘘をつきます。
苛立っていた妹は兄に、自分が彼女を死に追いやったことを告げ、近くにおいてあったクリスマスケーキに添えてあった包丁を突きつけ、アイドルになるために引きこもりの兄がいることが邪魔だからお前も後を追って死ねと迫ります。
その包丁を受け取った兄は、真っ直ぐに妹の腹に包丁を突きたてました。妹が逃げても追いかけて刺し、何度も何度も妹が息絶えるまで包丁を突き立てます。抵抗した時に妹が投げた紙などの可燃物が、ケーキに刺さっていた蝋燭の炎に引火し、燃え上がりますが、妹を殺した兄はそのまま家を出ます。
その日呑みに外へ出ていた両親が既に帰ってきて一階の寝室とは違う場所で眠っているとこを知らずに。
これが事件の真相でした。
知らずに両親をも死に追いやってしまったた兄は拘置所の中で死刑を待つ身ですが、監督から届いた事件を映画にしたい旨の手紙を読み、慟哭します。ベランダでお互いを励ましあった子ども同士であることを知り、涙します。
映画を作るために調べ上げられ、手紙に書き記されていた事件の内容は、彼にとって自分が死刑になるため誰にも話さず、かつ誰にも理解されなかった悲しい犯罪者の真実でした。
そして、その事件の真相が全て明るみになった時、監督の父は自殺ではなく不慮の事故で落下死であったことも、判明し、落ちていく夕日を監督と脚本家は各々の思いとともに眺め、物語は幕を閉じます。
ここまではざっくりとしたストーリー解説でしたが、物語として縁や点と点が、ある場所、事象、物、などを通して繋がり、「そこにあった人生」が重なり、過去に生きていた人の生を紐解いていくことによって、大切な人を喪って今を生きる人々の在り方が変容していく姿が、悲しくも美しい印象の物語でした。
稚拙な私の解説よりも、ぜひ観ていただきたいので、詳しくは書きませんが、監督と脚本家が出会うきっかけにも、重要な思い出の眠る場所にも、監督の父の最期の場所にもなった「灯台」という場所であったり。
生前の脚本家の姉の様子を思い出すきっかけになり、監督の父が自殺ではないことを証明した、シネマ喫茶の常連にのみ配られた「記念マグカップ」であったり。
要所で物語の鍵となる場所やアイテム同士が不思議な縁で繋がっていくことも、とても効果的に感銘を与えてくれる要素となっていました。
現在社会の中では、連日、多くの事件が報道され、よりセンセーショナルに装飾され、好奇心によって歪められ、それが事実であるように伝えられています。ですが、その中にある、被害者や加害者の生きてきた姿や感情は、本来は他者に窺い知る事ができない領域のものです。
一件の事件が世間の中に広まる時、まるで物語のように大衆の関心の向く方へ真実や真意が歪められていくことがあります。第三者は受け取ったその話題を一時期のエンタメのように消費してゆくことすらあり、それは時には私自身にも言えることだと思っています。
ですが、その事件に関わった者をはじめ、関係した人物の心も人生も物語のようにそこでは終わらずに続いていきます。
また、その事件や人の死以降、今回の脚本家家族のように家族の時が止まってしまいながら、映画監督のように心が囚われ続けながら、死刑囚となった兄のように理解されずどうにもならない現状を抱え続けながらも、人は生きていきます。
喪ったものの重みは喪った者にしか分からず、その重さをどのくらい先まで背負い続けて生きていくのかもまた、喪った者にしか、いえ、もしかすると喪ったものにすら分からないことかもしれません。
それぞれの背負ったものが、暮れかかっていた太陽が静かに落ちてゆくように、一旦の区切りとして心の中に落ちてゆく様子が最後の落陽のシーンと重なり、何とも言えない感傷を呼ぶ作品でした。
個人的に、殺害された妹の人を害し平気で嘘をつく振る舞いについて、私もそういった方に関わり、対応に苦慮をした経験がありますので、もう少し語りたいところではありますが、今回は「落日」に覚えた感傷について語りたかったので、このあたりで納め、また別の機会に経験も交え語りたく思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
