関ケ原(下)
司馬遼太郎著「関ケ原(下)」を読みました。
家康は小山での軍議を終えて一旦江戸へ戻ります。そこから思案に暮れ、中々出発しません。それまで首尾よく進めてきた中で、自らが現場に行くのが遅くなれば、既に現場に到着している将たちの士気も下がるのではないかと思いましたが、家康はこの期に及んで、小山での軍議に参加した者の裏切りを警戒しているのでした。
家康は側近の本多正信と一計を案じ、現場に「敵を目の前にして、攻め込まぬとは何事か!」と一喝する遣いを送ります。現場に先着していた井伊直政と本多忠勝が、遣いの言葉を確認すると、とても伝えられたものではないと訂正させるのですが、最終的に遣いは家康に言われた通りの言葉を伝えてしまいます。これも家康の読み通りで、遣いには言われたことに愚直な人間を選定してしました。井伊と本多は、他の各将からの反発を恐れていましたが、逆に発奮して戦闘開始となりました。
これに驚いたのは石田三成です。家康が到着していないのに攻め込んでくるはずがないと思い込んでおり、「誤報だろう」と呑気なものです。誤報でないと分かると「敵は間違っている」なんて言うものですからなんとも情けないです。この辺りまで読んでいるt、石田三成が泣きながら両手を振り回して家康に向かっていくものの、家康は片手で鼻くそをほじりながら、もう一方の手で三成の頭を押さえつけて、振り回す手が届かないなんていう絵が思い浮かんでいました。いや、実際のところ家康は片手ではなく両手、つまり念には念を入れており、本当に慎重でした。
しかし、家康が到着していないので、本格的な戦にはならないと踏んでいた三成ですが、援軍が到着する前に家康が到着してしまいます。ここでも読み違えた三成ですが、そもそも家康の動向を探る間者も送っていないようでした。形勢不利と見た三成は、拠点としていた大垣城には籠城せず、平地での戦を選択します。
かくして関ケ原の戦いが開戦となりました。島左近が相変わらずカッコいいのですが、敵の鉄砲によって負傷。それでも敵に大きなダメージを与え、さらに大谷吉継、宇喜多秀家の軍も奮闘し、序盤は三成が形成有利となります。しかし、西軍側から東軍に寝返るものが多く出て、島左近もあっけなく戦死してしまいます。乱戦で、圧倒的多数の人馬に襲われ、遺体も見つからないなんて言う死にざまだったので、実はどこかに逃げおおせて、後から登場するのかとも思ってしまいましたが、そんなことはありませんでした。人の最後というのは、これくらいあっけないもので、史料に残っていないものは書けないのでしょう。そういう意味では大谷吉継の最期については詳細に書かれていたので、記録が残っていたのでしょうね。
長くなりましたので明日に続きます。
