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扇頂部というトポス―水源の信仰とその深化

雲の滅びしづけく語れ水上にひめゆり揺るる水分(みくまり)の邑(むら) 隆彦

扇頂部と水源
 日本は国土の7割が山地を占める山岳国家である。山から湧き出た水は支流を集め河となり、浸食と堆積作用により平野部にかけて扇状地を形作った。有史以前より日本人はこの扇状地に集住し、生活を営んできた。扇状地の要、山から開ける地点は扇頂部と呼ばれ、湧水や小川が見られる水源である事が多い。この水源を人々は生命の源、パワースポットとして長らく崇拝してきた。

長野県中野市更科地区遠景(2026.5) 山あいから扇の形に拓け、扇頂部に月宮院という寺院がある この地方ではこのような小扇状地を「谷」と称し、それらを貫く古い街道として「谷街道」が存在した(文献には千曲川沿いの凹地を通ることから谷と称されたとされるが、地形的には小扇状地を貫くとした方が近い) 扇頂部は「谷口」と呼ぶ 「タニ」は万物の「タネ」に通じる生産の場といえる

平出の泉と縄文のパワー
 長野県塩尻市にある平出(ひらいで)遺跡は、縄文時代から平安時代まで、約5000年に渡る集落の変遷を確認できる、全国的にも珍しい複合遺跡である。多くの縄文の遺跡と同様山際に位置し、緩く扇状地型地形を成している。扇頂部に当たる位置に、「平出の泉」と呼ばれるブルーの美しい池がある。生活用水や灌漑用水として数千年にわたって集落を維持してきたと言われる。

平出の泉(2025.3)

 縄文人はあらゆる自然現象を観念的に把握し、そこに霊的な神秘が宿ると考えるアニミズムの世界観を持っていた。一年中枯れることなく、冬でも凍らない平出の泉は、生命の源として縄文人の崇拝の対象となっていた可能性が高い。現在でも泉に祠が立っていたり近くに水神を祀る神社がある。
 アニミズムと言っても分かりづらいかもしれないが、生命体の維持に不可欠な水、その水の枯れる事ない湧出、その神秘に対する賞賛にも似た崇拝であったろう。水そのものに対する信仰ではなく、水を生み出す大自然の内奥の力を感受した、観念的な信仰である。
 縄文時代の遺跡からは、しばしば特定の水源や川の近くで、石棒と呼ばれる道具を用いた祭祀の跡が見つかる。石棒は男根の形象であり生殖の源である。それを生命の源として水源に配したのは、縄文人達の観念的・包括的な自然把握の表現である。水源というスポットを聖地とし、石棒を生命の再生の象徴として神像のように丁重に安置して祭祀を行っていたと思われる。その観念性は、熊野の原始信仰において水の循環そのものを信仰の対象としたのと似ている(「黄泉がえりとイニシエーション 熊野信仰考」参照)。

北沢大石棒 (出典:佐久穂町ホームページ) 
高さ2メートル以上の日本最大の石棒 縄文中期、農作物の豊穣と集落や人間の甦りを祈願した信仰のシンボルとして建てられたとされる 豊かに湧き上がる泉のほとりに立てたと言われる

 石棒と並んで縄文遺跡の主要な出土品として土偶がある。多くが女性を模しており、腹部(子宮)や乳房を強調し、豊穣や生産を祈る像とされる。長野県茅野市の棚畑遺跡から出土した約5000年前(縄文時代中期)の国宝土偶はその典型例であり、「縄文のビーナス」と呼ばれる。

国宝「土偶」(縄文のビーナス)(茅野市尖石縄文考古館 2024.10) 茅野市の棚畑遺跡から出土 下方に重心がある安定した立像形で、高さは27センチメートル、重さは2.14キログラム 腹と尻は大きく張り出しており、妊娠した女性の様子を表すとされる 表面はよく磨かれて光沢があり、雲母を混ぜる事で金色に輝いている

安産祈願と母乳信仰ー豊穣の神の流れ
 扇頂部の水源は聖域であり、時代が下るにつれ神社や寺院が建立されたケースが多い。寺院においては人々の願いを聞き届けるとされる観音菩薩を特に本尊とし、安産・福徳・縁結びなどの信仰の対象となった。子安観音など母乳信仰のスポットが設けられている場合もある。
 京都市の清水寺は、有名な音羽の滝を中核に建立された寺院である。水源の信仰の典型例であると言えるが、同時に境内に泰産寺・子安塔という安産守護の寺がある。観光地・産寧坂は、この泰産寺の参詣道であった事からその名が付いたとも言われる。

清水寺泰産寺の子安塔(2018.6)

 安産祈願や母乳信仰は、腹部や乳房を強調し生産や豊穣を祈った縄文のビーナスと通底するのであり、仏教思想によって上書きした進化形であると言える。水の信仰は万物を育む生命力の信仰として、安産や母乳の信仰に通じる。全国的に分布する子安神社では、安産祈願と湧水が密接に関わっている例が多い。

前述月宮院の門前に位置する石仏の如意輪観音(2026.5)  如意輪観音は江戸中期、安産祈願のため女性に多く信仰された お腹を大きく膨らませた妊婦を表現しているのは全国的にも見られる様式 扇頂部に位置するこの寺の名称は「子宮」にも通じる
長野県中野市如法寺のオオイチョウ(2026.5) 幹に垂れる気根が乳房に似ている事から母乳信仰が伝えられる 聖武天皇の乳母が植えたとの伝承が残る

習合と上書きー懸崖造り
 上掲の如法寺は中野市東山地区山麓地帯の扇頂的な地形の最奥部に位置する真言宗の古刹である。流水の浸食作用によってできた「観音平」と呼ばれる台地に位置する。平安初期弘法大師空海がこの地を訪れた際、自ら千手観音を彫り込み安置した事に始まり、弟子の真如法親王が境内を整備し七堂伽藍に36坊が軒を連ねる大寺となった

と伝える。参道沿いに鴨嶽神社という神社があり、水と灌漑の神「天水分神(あめのみくまりのかみ)」を祭神としている(神社は旧址であり、現在は麓の王日神社に合祀する)。

鴨嶽神社(2026.5)

 古来の水源信仰と神社、寺との習合を示す分かりやすいスポットである。境内最上部に懸崖造りの大悲閣観音堂があり、真下が流水を集めた広い池泉となっている。往年はカエル合戦で有名なカエルの大産卵地であった。本堂庭にも湧水による池があり水源の雰囲気が漂う。

如法寺大悲閣観音堂(2026.5)
観音堂真下の池(2026.5) オタマジャクシが泳ぎ生命の揺籃を感じさせる
本堂入り口の湧水と池(2026.5)

 この大悲閣観音堂の懸崖造りという建築様式もまた、京都の清水寺で有名である。日本各地の山間の寺で例が見られ、足場にあたる崖肌から浸み出した水を集めて境内に水源を成している事が多い。

清水寺・音羽の滝(2018.6)
清水寺境内図 懸崖造りの奥の院と音羽の滝 山の斜面に面して横並びに位置する (出典: 清水寺門前会
岐阜県多治見市永保寺境内の観音堂(水月場)(国宝)と庭園(国指定名勝)(2026.1) 観音堂脇の崖を梵音巌、梵音巌から流れる滝を梵音の滝と言う 梵音の滝は庭園の臥龍池(心字池)に小滝となって注いでいる 懸崖造りではないが、観音堂と湧水の関連を感じさせる

 このような崖や斜面は水が地上に現れ出る最初の地点であり、懸崖造りによって寺院との結び付きを示している。仏典によれば、観音菩薩が住む観音浄土(「ポータラカ(補陀落(ふだらく)」)は、断崖絶壁にあると考えられていた。懸崖造りによって崖にせり出すように建てられた寺院は、観音浄土を地上に再現しようとしたものと言われる。観音菩薩は苦しむ衆生の声(音)を観て、自在に姿を変えては救う慈悲の仏とされる。崖から滲み出る水は、衆生の渇望を癒す命の源泉であったろう。

聖高原のお種池
 長野県長野市と筑北村の境にある聖山(ひじりやま)は、かつて有数の修験の道場であり、同時に周辺37カ村に及ぶ広大な地域を潤してきた水源の山として知られる。その中腹にある長野市大岡地区の「樋知大神社(ひじりだいじんじゃ)」は、水源の信仰を伝える貴重な神社である。祭神として水を分配し灌漑に供する水分神(みくまりのかみ)を祀っている。江戸時代に松代藩の佐久間象山によって水路を意味する「樋」をかけ合わせ、樋知(ひじり)大神社と呼ばれるようになった。社殿の奥、斜面を背景にしてお種池と呼ばれる湧水池があり、雨乞いなど広域の信仰の核として崇拝されてきた。

樋知大神社 社殿(2026.5)
お種池(2026.5) 水源は斜面から滲み出ている 斜面には地盤の保水力に優れたブナが生えている

 一帯の地名に残る聖(ひじり)とは修験者などの宗教者の事を言う。聖の一人、越後の僧学道聖人が、那智の滝から霊力を授かり聖山大権現の威力によって48箇所の清泉をもたらしたとされる事が水源の信仰において特筆される。亀山天皇の時代、学道聖人は修験道の聖地だった熊野を目指す旅の途中で善光寺を参拝し、姨捨の里で月を眺めた後、麻績(おみ)村に宿泊して夢で熊野権現のお告げを聞き、聖山に登った。熊野での苦行の末、熊野権現から水玉を授かり、現在神社の向かいに建つ高峰寺(こうぶじ)に、正観音尊を刻んで11面観音を安置し真言宗を広めたとされる。48箇所の清泉をもたらした逸話は、熊野那智の「那智四十八滝」から来ているとされる。熊野を含む紀伊山地は広大な山地であり一大霊場として知られ、降水量が本土で随一である事から水による生命の揺籃の地という印象を与える(別稿「黄泉とパワースポット 熊野信仰考」参照)。 聖山山麓も低山が広域にわたって広がるエリア(「聖高原県立公園」にあたる山地)であり、紀伊山地との共通性を感じる。

長野市鬼無里の大望峠展望台より低山帯を望む(2026.5)   聖高原より北部であるが、山続きで類縁性が強いエリアで地形も分かりやすい

 学道が授かったという水玉は、熊野速玉大社が所蔵する国宝の水晶玉を思わせる。この水晶玉は天の気を集めて恵みの雨をもたらす霊力を象徴した「水取り玉」と言われる。さらに、「玉を結ぶ」という言葉があるように、カエルの卵のように揺籃の地で命を結ぶことにつながる。熊野速玉大社の主祭神は、夫婦神である「速玉大神」と「夫須美(フスミ)大神」であり、フスミは命のムスビに通じると解釈できる。

聖なるものの形
 お種池は山林に位置しており、扇状地を成し人が集住するには至ってないが、斜面から湧き出た水はやがて大地を浸食し、大きな扇状地を成す力を秘めているだろう。その力を包含した「種」として、手付かずの状態で信仰してきたように思われる。
 お種池の水が実際に農耕に使われているわけでなく、あくまで「原型」に対する信仰である。地元の農耕民だけでなく、遠方からも雨乞いの祈願に人々がやって来たのは、原型としての聖地、エリア一帯の水の象徴として人々が崇め、足を運んだからである。社殿の右横を抜けると視界が開け、樹冠から白い光がお種池の上に差し込んでいる。ドラマチックな自然の演出が、原型や象徴としての聖性を感じさせ、人々に特別な感情を抱かせ続けたと思われる。

光差し込むお種池(2026.5)

図像・水源・女性性
 樋知大神社の祭神として、水分神の他に宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が合祀されている。この神は倉稲魂命とも表記され、稲の種を意味する稲作と関係の深い神である。滋賀県守山市の小津神社に所蔵される宇迦之御魂神の神像を見ると、左膝を立て、右足を水平に寝かせる姿勢を示している。この姿勢は如意輪観音など水源の寺院と深く関わる観音像に見られる「輪王座」(右膝を立て、左足を水平に寝かせる姿勢)に似ており、水源信仰の図像的融合を表している。輪王座は空海がもたらした密教美術と深い関係がある。体形的に女性性の強調の側面があり、縄文のビーナス以来の豊穣と生産の女神の系譜にふさわしい図像となり得たのではないか。

宇迦乃御魂命坐像(滋賀県守山市・小津神社所蔵・重要文化財)(出典:Wikipedia) 平安時代の作
大阪府河内長野市・観心寺の如意輪観音坐像(国宝) 如意宝珠と輪宝の功徳で衆生の苦を破り、富をもたらし、願望をかなえるとされる(出典:河内長野市ホームページ
前掲月宮院、如意輪観音の石仏(2026.5)

縄文基層論とアニミズム、修験
 宇迦之御魂神が宿った聖山一帯の特徴を指摘するならば、上述のような山域の広さに加えて縄文遺跡の多さがある。

長野市内の縄文時代遺跡の分布図 平地と高山帯に見られず、低山帯に集中している(出典:長野市立博物館)

 山域の広さは後世霊場となった紀伊山地と類似しているわけだが、聖高原もまた修験の地として信仰のエリアとなった。その背景に揺曳するのは、広大な山域を資源とした縄文狩猟採集民の豊かさである。
 ドイツの哲学者・思想家のヨゼフ・ピーパーは、真の文化や宗教(祝祭・礼拝)は、労働や生産のための時間ではなく、「労働の合間の時間(余暇=Muße)」に、人間の本質的な問い(「自分は何のために生きるのか」)に向き合うことから生まれると主張した。約1万年前の縄文時代早期から前期は地球温暖化が進み、海面が上昇、落葉広葉林が豊かになった。これにより、クリやドングリなどの堅果類、イノシシやシカ、魚介類が豊富に手に入る環境が整った。狩猟・採集・漁労のサイクルは安定しており、農耕社会に比べると1日の労働時間が短かった(1日2~3時間程度)という説もある。この余剰時間が、芸術活動や道具の装飾、祭りや儀礼に費やされた可能性が高い。労働の片手間、 自然界の観察と内省を生み、アニミズムと呼ばれる聖性の発見に寄与した。前述の石棒や土偶、葬送儀礼など、宗教的観念の誕生に繋がったと考えられる。
 縄文人は、食料(堅果類や獲物)や交易品(黒曜石など)を求めて、現代の登山道すら整備されていない険しい屋根や谷を日常的に移動していた。修験道の修行の本質は「入峰(にゅうぶ)」、つまり人里離れた険しい山中を自在に歩き回ることにある。この山を駆ける身体性は、農耕定住民のそれではなく、明らかに山岳狩猟民(縄文的な身体技法)の流れを汲むものである。熊野の「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」などはまさに険しい尾根伝いの道と言われるが、ここも修験道として組織化される遥か以前から、山岳民が移動や儀礼のために使っていた可能性が高い。

大峯奥駈道(出典:文化遺産オンライン

 修験者が山中で行う加持祈祷や、自然界の精霊(天狗など)との繋がりは、縄文人が持っていた自然との交信(アニミズム)が、後世の密教や道教と習合して形を変えたものだという見方ができる。山に深く入り、厳しい環境に身を置くことで魂を浄化し、新たな力を得る修験道の「擬死と再生(一度死んで生まれ変わる)」は、刺青や抜歯といったイニシエーションの慣習もあった縄文人に起源を持つものと言える。
 聖山一帯に縄文遺跡が多い事からは、縄文人達がここを舞台にアニミズムなどの精神文化を育み、後世修験の道場に発展する土壌となったと想像されるのである。

水と生命の媒介者ー水源を拓く宗教者
 このような修験者達によって発見された山中の聖なる水。それをなぞるかのように、水源の聖地には英雄や宗教者にまつわる伝説が多い。
・清水寺
 大和国の興福寺の僧、延鎮(えんちん)が、「木津川の北へ清泉を求めてゆけ」という夢に導かれ、たどりついた音羽山で、清らかな水が湧き出す滝(音羽の滝)を見つけた。滝のほとりで草庵を結び修行をしていた行叡居士(ぎょうえいこじ)から霊木を授かり、千手観音を彫刻。その2年後にこの地を訪れた武将・坂上田村麻呂が上人の教えに感銘を受け、十一面千手観音菩薩を本尊とし、寺院を建立した。
・田村麻呂の一杯清水
 坂上田村麻呂は蝦夷征伐の英雄として、東日本にかけて多くの名水伝説や、寺院の造営に関する伝承を持っている。蝦夷征伐の最中、喉の渇きを潤すために剣で岩を突いたところ、そこから水が湧き出したという伝説に基づいた湧水が各地に存在する。行軍の最中の湧水の発見は、修験者の山岳修行のそれを思わせる。
・弘法大師
弘法大師空海と湧水(弘法水)にまつわる伝説が日本各地に1500箇所以上残されている。水不足に苦しむ村人のために杖や錫杖(しゃくじょう)で地面を突き、清らかな水を湧き出させたという。空海の卓越した土木技術(灌漑技術)や民衆救済の精神が背景にあるとされ、病を治す霊水として今も信仰されている。
 山林が水を蓄えるように、自然界には生命の源が充ちみちている。人がそれを得ることができるのは、何かしら真摯な態度を示し得た時だけであり、その事を教え導くのが宗教者の役割である。人が生命に到達するための、生命と人を繋ぐ媒介者と言えるであろう。

不変の価値
 水源や扇頂部。人はこのトポスについて、時代が変わっても様々な変奏を奏でてきた。縄文のアニミズムから神や仏、宗教者の功徳。惑星が恒星を回り続ける様に、時代が変わっても水源についてのドラマは紡がれ続けるであろう。人間が水に生命の根源を見るからであり、何物にも代え難い価値のメタファーであるからであろう。

『悲母観音(ひぼかんのん)』 狩野芳崖 (出典:Wikipedia) 観音の慈悲と生命の媒介の神秘を描く

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