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逮捕されて1ヶ月、日記が見られてしまった

前回の記事↓

留置場生活32日目にして起きたある出来事。
それは、タイトルにある通り、警察に日記を見られたというものでした。この出来事は僕にとってかなり大きかったです。


そしてその結果、このようになりました。

黒塗り

そのため、これまで投稿していた獄中日記では、この部分を飛ばしたり、軽くぼかしたりして書いていました。この事件については、もちろん日記には書けていないので、当時のことを振り返りながら書いていきたいと思います。


心臓バクバク

その日の夕方、僕は親との面会が終わり、房に戻されてからは、差し入れでもらった進撃の巨人を読んでいました。すると、急に房の前に5,6人の警官がやってきたのです。

留置場内にぞろぞろと警官が入ってきた時は、なんかいっぱい来たなぁとだけ思っていたのですが、それが僕に向かって来ていると分かった瞬間から、心臓のバクバクが止まりませんでした。僕が何かやらかしたか、事件に進展があったのかなど、色んな考えが頭をよぎりました。大勢の警官が来ると、やはり圧があります。

そして、5,6人の警官のトップ(職代)が房の中の僕に向かって、ノートを突きつけ、「41番、このノート規則違反に当たる可能性あるから検査するぞ」と言ってきました。

その瞬間、なんだノートのことか、と少しホッとしたと同時に、内容を見られたということに焦っていました。そもそもノートは、出所する際にパラパラっと確認されるだけだと聞いていたので、じっくり読まれるということを想定して書いていませんでした。もちろん、ある程度は気にしており、思ったことすべてを書いていたわけではありません。

ですが、自分の日記を見られるというのはシンプルに恥ずかしいです。さらに、僕は担当さんとのやり取りを書いていました。これを担当さんに読まれるというのが一番嫌でした。職代や黒マスク(警官)に至っては、その人たちのことを嫌いだと日記で書いていました。僕が嫌いと書いた張本人にノートを見られ(その部分を見ていたかは知りませんが)、突きつけられているという状況です。出所する際に見られる分にはいいやと思っていたのですが、嫌なタイミングで見られてしまいました。

また、被留置者のことについても色々と書いていたため、あんなに書かなければよかったと後悔しました。僕の日記の情報から、他の被留置者が何か言われてしまったらどうしようという怖さもありました。この一連の出来事も近くの房の被留置者からは見られていたため、あいつが何かやらかしたということはバレているのです。

とにかく、日記を見られ、今まである程度自由に書いていた日記 ━━留置場での心の支えとなっていた日記━━ がこれで終わってしまうということに絶望のようなものを感じていました。


警察との攻防

先ほどの「ノート検査するぞ」という言葉に対しては仕方なく、「分かりました」と答えました。すると続けて、「このノート捨てることになってもいいか?」と訊かれました。訊かれたというよりは、僕には「捨てるぞ」と言っているように聞こえました。

普通だったらここで、分かりましたと言うでしょうし、職代もそう言われると思っていたのかもしれません。が、僕は、「いや、捨てるのはやめてもらっていいですか」と言いました。

自分の今までの気持ちを綴ってきた大切なものであり、闘いの証として僕は残しておきたかったのです。(獄中日記として将来残しておいたら面白いかなと思ったというのもありますが。)


それに対して職代は、「じゃあまたチェックして該当箇所だけ黒塗りして返すけどそれはええか」という風に言ってきたと思います。

そのことについては了承し、どういう規則違反をしているのかと僕から尋ねました。ここら辺のやり取りは細かくは覚えていませんが、職代から言われたのは、留置施設のことについて書いてはいけないことを書いているという感じでした。被留置者や担当さんについて書いていたことには触れられず、留置施設の仕組みについて書いてある部分がダメなようでした。

物を入れられる小窓のサイズや、
天井の梁の数を書いていた

留置施設についても、めちゃくちゃに細かく書いていたつもりはありません。わざわざ規則違反を起こしたいわけではありませんし。それに、最初に同房だった10番さんから、絵で留置施設のことを描いてはいけないという風に言われていたので、それは守っていました。

そもそも、絵で留置施設を描くなとも、ノートに留置施設のことを書くなとも警察からは言われていません。初めに禁止事項として告げられていないのに、それで罰せられようとしているという感じです。常識的に考えて書いてはいけないのかもしれませんが、文字で書く分にはそこまで細かく伝えられないし問題ないだろうと思っていました。

なので、この時も、「そんなに色々細かく書いたつもりはないです」という風に言いました。職代は比較的優しく、「分かった分かった、それもまた聞くから。他のやつ(被留置者)にも言わんから」と小声で言われたのを覚えています。隣にいた黒マスクは相変わらず僕に厳しく、「反抗すんな」的なことを言われてイラッとしたのも覚えています。


そして、この時はまだ、本命の規則違反の罰がどのようなものか分かっていませんでした。勾留期間が延びたらどうしようなどと不安で、怖かったです。

しかし、話を聞くとどうやら嗜好品(お菓子や雑誌)が3日間禁止になるというだけのようでした。僕が、「どういう罰になるんですかね、勾留長くなるとかですか?」とおそるおそる尋ねると、「いやいや、俺らにそんな権限ないよ笑。ちょっとお菓子とかが禁止になるだけや、そんなんは全くないから安心せえ」という風に職代から言われました。僕がわざとやったわけではないというのを職代は分かってくれていたようで、口調は優しかったです。

とりあえず罰が軽いものだと分かり、かなり安心しました。僕が無知だっただけですかね。


誓約書

その後、僕の房の前に来ていた警官らは去っていき、ノートの検査を待つこととなりました。これからじっくりと内容を見られると思うと、中々気持ちが落ち着かなかったです。

しばらくの間、そうして待っていると、また職代らが房の前にやってきて、「誓約書にサインしてもらうから出てきてくれ」と言われました。こんなことに誓約書があるというのが驚きでした。

そして、房の外にある椅子に座らされ、5人ほどの警官に囲まれた中で“規則違反に当たる箇所の黒塗りを認める”というような誓約書に指印させられました。

(勾留中は印鑑のかわりに指を使う)

ただ、この時も、素直には指印しませんでした。大勢の警官で僕を潰しにこようとしている感じに反抗したくなってしまったのです。それに、ルールを伝えられていないのにルール違反だと言われるのが納得できませんでした。

内容を見られることについてはもう開き直って、「そんなルールがあるっていうのを僕は聞いてないし、知らなかったんで。わざと書いてるわけじゃないんですよ」と言いました。加えて、「今黒塗りしたところで全部内容覚えてますよ」とも言いました。

すると、職代からは、「そうかもしれんし、外に出てからは何も止められへんから自由にしてくれたらいいけど、こんなかでそれを見過ごすわけにはいかへんねん、それがルールやから」と言われました。

僕は、「ルールなんやったら従います。でも、そんなルールがあるって知らなかったんで。わざとやったわけじゃないってことは分かってほしいです」と言って、指印に応じました。

向こうからしたら、何かと反抗してくるなと思っていたかもしれません。


誓約書の指印を終え、房に戻されてからは、去り際の黒マスクに「いらんこと書くなよ」と冷たい口調で言われました。黒マスクは隣の房の10番にも、「古い(長くいる)からって色々喋んなよ」と言っていました。僕が10番に関係する何かを書いているのを知られるのも嫌でしたし、何より僕のせいで注意されたのが申し訳なかったです。


協議結果

結局、警察側での協議の結果、該当箇所を黒塗りされたものの、罰則は適用されませんでした。僕が故意にやったわけではないことを加味しての判断だと思います。そのかわり、ノートは1日2ページまでという制限を与えられました。後から他の被留置者に聞いても、こんなルールはないようでしたが、僕が書きすぎてチェックするのが面倒だったからでしょう。

警察側の仕事が増えるなどの事情は分かりますが、後から決めたルールで縛ってくるってどうなんですかね。洗面5分の制限もそうですし、そこまで自由を奪われなければならないんですか。
獄中で過ごしていると、そのわずかな縛りでも、精神的にはかなりのダメージを受けました。


まとめ

ということで、今後は律儀に1日2ページまでという制限を守って書いていくことになります。書く内容も、担当さんとのやり取り等は書かないようになりました。そもそもそれを書くのがおかしいですかね。見られる可能性が十分にあるのに書いていた僕がバカでした。

拘置所に移送されるとまた、日記のテイストが少し変わりますが、それまで飛ばし飛ばしで投稿していきたいと思います。

※noteでは、個人が特定されるような表現や留置施設内の細かい仕組みについては載せないように配慮しています。


ちなみに

なぜこのタイミングでノートを確認されたのかということですが、僕が釈放される可能性があり、その前に軽く確認しておこうという感じだったはずです。「勾留延長か釈放か分からんから急いで確認した」と言われた気がします。(どちらになったかはお察しの通りです。)

それと、黒塗りはボールペンでされていたのですが、他になかったんですかね。新聞の黒塗りはボールペンじゃなかったと思うんですけど、、黒塗りする側も大変だったことでしょう。

ノートがヨレヨレになってしまった

そして、僕のノートは他の被留置者から「デスノート」と呼ばれることになりました。災いをもたらすノートということで。

本名知らないんで名前書けないですけどね。


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