ブルーオーシャンが僕を釣りの天才だと勘違いをさせた説
みなさん、こんにちは。隆之です。
今日は、珍しく仕事の話ではありません。
昔、僕がバス釣りにハマっていた頃の話です。
ただの釣りの思い出話なんですが、
「人はどうやって、自分を実力者だと勘違いするのか」
という意味では、わりとよくできた話でもあります。
あの頃の僕は、本気でこう思っていました。
「俺、めちゃくちゃ釣りがうまくなったじゃん」
結論から言えば、勘違いでした。
でも、その勘違いには、ちゃんと理由があったんです。
今日は僕の黒歴史の話です。
それでは始めましょう。
リーマンショックで、時間だけはできた
あれは、リーマンショックの直後だったと思います。
景気が一気に悪くなり、当時僕が働いていた工場でも、仕事が激減しました。
それまでは残業が当たり前だったのに、急に毎日のように定時で帰れるようになったんです。
会社としては、まったく喜べる状況ではありません。
仕事がないわけですからね。
ただ、会社の業績とは反対に、僕の夕方だけは急に充実し始めました。
もともと僕は釣りが好きで、週末になると仲間たちと決まった川へ出かけていました。
とはいえ、当時の釣り方は、かなり適当です。
なんとなく格好いいルアーを選び、遠くへ投げて、リールを巻く。
釣れれば、
「今日はいい日だった」
釣れなければ、
「今日は魚の機嫌が悪かった」
だいたい魚のせいです。
なぜこの場所に投げるのか。
なぜこのルアーを使うのか。
水の色や天気が変わったら、何を変えるのか。
そういうことは、ほとんど考えていませんでした。
釣りというより、ルアーを遠くへ飛ばす競技に近かったと思います。
また、当時の僕には、こんな思い込みもありました。
「ちゃんと魚を釣るなら、ある程度遠くへ行かなければならない」
会社の近くにも川はありました。
毎日のように前を通っていた、ごく普通の川です。
しかし、そこで釣りをしている人を見たことがなかったので、僕は勝手にこう判断していました。
「ここにはバスはいない」
調べてもいません。
川へ確認したわけでもありません。
ただ、人がいないという理由だけで、魚もいないことにしていました。
ずいぶん雑な現地調査です。
本を一冊読んで、急に賢くなった
そんな僕の釣り方が、ある本を読んだことで変わり始めました。
バスプロとして有名な田辺哲男さんの本です。
そこには、魚がどんな場所にいるのか、天候や水の状態によって何を変えるのか、ルアーをどう使い分けるのかが、論理的に書かれていました。
それまでノリだけで釣りをしていた僕には、かなり衝撃的でした。
魚は、適当にルアーを投げれば、そのうち親切に食べに来てくれるわけではない。
当たり前の話ですが、当時の僕にとっては新発見です。
たった一冊の本を読んだだけなのに、川の見え方まで変わった気がしました。
水面は昨日と同じでも、その下で何が起きているのかを考えるようになったんです。
釣れなければ、投げる場所を変える。
ルアーを変える。
重さを変える。
巻く速さを変える。
急に選択肢が増えました。
そして、本を一冊読み終えた頃には、僕の中で田辺哲男さんと僕の距離は、かなり縮まっていました。
もちろん、田辺哲男さんから見れば、何も縮まっていません。
僕だけが勝手に近づいていました。
ちなみにこの時期、村上晴彦さんにも憧れ、水の中へ入って釣るためのウェーダーを買いました。
琵琶湖で格好よく釣りをする姿を想像していたのですが、僕が入ったのは千葉の普通の川です。
底は泥でした。
足が沈み、抜こうとすると、さらに沈みました。
魚を釣るために川へ入ったはずなのに、途中から目的が「無事に陸へ戻ること」に変わりました。

憧れは琵琶湖。
現実は、千葉の泥です。
それ以来、ウェーダーは履いていません。
とはいえ、知識は少しずつ増えていました。
僕はこう思い始めます。
「前より、魚が釣れる気がする」
今思えば、このあたりから危険でした。
ジャバロンを切り、あぶり、風呂へ入れた
釣りへの熱が高まった僕は、次第にルアーを自分で改造するようになりました。
針を変える。
オモリの位置を変える。
ルアーを切る。
接着する。
ライターであぶる。
釣りをしない人から見れば、何をしているのか分からないと思います。
安心してください。
家族にも分かっていなかったと思います。
当時、ジャバロン160という、16センチほどある大きなワームがありました。
魚の形をした、柔らかいゴムのルアーです。
そのジャバロンを改造すると、水中で左右に大きく動き、S字を描くように泳がせられるという方法を見つけました。
僕はさっそくジャバロンを買い、切り刻み、向きを変え、ライターであぶって接着し、オモリを押し込みました。
文章にすると、何か高度な研究をしているように聞こえます。
実際には、大きなゴムを切って、火であぶっているだけです。
本人だけは真剣でした。
問題は、本当に狙ったとおりに泳ぐかどうかです。
そこで僕は、完成したジャバロンを風呂場へ持っていきました。
湯船に入れ、糸をつけて、ゆっくり引っ張ります。
すると、改造したジャバロンが、水の中をきれいなS字で泳いだんです。
あのときは、本当に興奮しました。
まだ魚は一匹も釣れていません。

しかし、風呂の中でゴムが左右に動いた時点で、僕の中ではかなり成功していました。まるで本物の魚じゃないか!
釣りをしない方から見れば、風呂場でワームに糸をつけて引っ張り、喜んでいる大人です。
客観的に見ると、かなり厳しい光景です。
本当は週末、仲間たちと行く川で試すつもりでした。
でも、風呂場での出来栄えに気をよくした僕は、週末まで待てませんでした。
「ちょっとだけ、本物の川で泳ぎを見てみたい」
そこで仕事帰りに、いつも通り過ぎていた会社近くの川へ寄ってみることにしました。
ブラックバスがいるとは、まったく思っていなかった川です。
目的は釣ることではありません。
あくまで、泳ぎの確認です。
手元へ軽く投げ、ゆっくり巻いてみました。
風呂場と同じように、きれいなS字で泳いでいます。
僕はうれしくなりました。
そして、もっと遠くで泳がせてみたくなり、思い切り遠投しました。
水中でジャバロンが華麗なS字を描いている姿を想像しながら、ゆっくりリールを巻きます。
すると、突然、強いアタリが出ました。
魚が食ってきたんです。
上がってきたのは、立派なブラックバスでした。
会社帰りに、泳ぎを確認するためだけに寄った川。
バスがいるとは思っていなかった川。
そこで、自分が改造したルアーに、本当に魚が食いついた。
これは、うれしかったですね。
ただし、この一匹が、後の僕の自己評価に深刻な影響を与えることになります。
誰もいない川で、僕の才能が開花した
「あの川、実はいけるんじゃないか」
そう思った僕は、会社へ釣り竿を持っていくようになりました。
仕事が終わると、そのまま川へ向かいます。
夕方から暗くなるまでの一時間か二時間、ひたすら釣りをしました。
日が沈み、コウモリが飛び始め、ときどき釣り糸にぶつかるくらいまで続けました。
本当に、毎日のようにです。
なぜ、そこまで通ったのか。
釣れたからです。
一時間釣れば、ブラックバスが二匹、三匹と釣れました。
日によっては、四匹、五匹と釣れることもありました。
それまで週末に遠くの川まで行き、釣れればラッキーくらいだった僕にとって、これは異常事態でした。
何を投げても釣れる。
仕事帰りでも釣れる。
しかも、周りには誰もいない。
会社の業績は落ち込んでいましたが、僕の自己評価は右肩上がりでした。

僕は魚を釣るだけではなく、川底まで調べ始めました。
糸の先にオモリだけをつけて投げ、底を引きずります。
硬い場所。
深い場所。
途中にある段差。
大きな窪み。
毎日のように通ううち、水面からは見えない川底の形が、少しずつ頭へ入っていきました。
最初はノリだけで釣りをしていた僕が、本を読み、ルアーを改造し、風呂場で動きを確認し、川底まで調べている。
そして、実際に魚も釣れている。
そりゃあ、思います。
「俺、めちゃくちゃ釣りがうまくなったじゃん」
一冊の本を読んだだけで、もう田辺哲男さんになったくらいの気持ちでした。
少なくとも、僕の中ではそうでした。
DVD一本で、僕の才能が試され始めた
そんな状態がしばらく続いたあと、川の様子が急に変わりました。
昨日まで誰もいなかった岸辺に、釣り人が立つようになったんです。
一人ではありません。
日を追うごとに人が増えていきました。
あとで分かったのですが、人気バスプロの川村光大郎さんが、その川から一キロほど離れた場所でDVDを撮影していたそうです。
DVDが発売されると、その周辺が釣り場として知られるようになりました。
僕しかいなかった静かな川へ、次々と釣り人がやってきます。
僕の秘密基地が、本人の許可なく全国販売されたような気分でした。
それまで魚の前には、ほとんど僕のルアーしか通っていませんでした。
しかし、人が増えれば、一日に何度も何度もルアーが目の前を通ります。
魚も、だんだん警戒するようになります。
当然、以前のようには釣れなくなりました。
ところが、人が増えたばかりの頃、僕はまだ釣れていたんです。
周りの人に反応がない日でも、僕には釣れることがある。
普通なら、ここで少し冷静に考えたかもしれません。
しかし、当時の僕は違いました。
周りは釣れていない。
でも、僕には釣れる。
だったら、これはもう実力だろう。
「やっぱり俺は、釣りがうまいんだ」
自信は小さくなるどころか、さらに大きくなりました。
今思えば、ずっと自分のリールの感覚とラインの張りに集中しすぎていて、周りが釣れているかどうかに気づいていなかっただけかもしれません。
同じ川で、同じ時間に、同じようにルアーが通っているのに、見えている世界だけが違っていた可能性があります。
誰もブラックバスが釣れていないと思っていたのは、僕の視野の問題だったのかもしれません。
本を読んだ。
ルアーも改造した。
風呂場で泳ぎまで確認した。
川底も知っている。
そして、人が増えても釣れている。
僕の中では、完全に理屈が通っていました。
今思えば、理屈ではなく、自分に都合のいい物語です。
そしてそれから数週間後、平常運転に戻ります。
釣れればラッキー
もちろん釣れなくなってきたので、友人たちと通っていたホームリバーに戻ります。
そう、またいつもの田辺さんになったつもりになる前の自分に戻りました。
自然のなかで、川は僕にやさしく現実を教えてくれたのです。
あの川で一番よく釣れたもの
憧れだけで買った16センチのワームを切り刻み、ライターであぶり、風呂場で泳がせる。
琵琶湖に憧れてウェーダーを履けば、千葉の泥に埋まり、生還だけを目指す。
会社へ釣り竿を持っていき、仕事が終わればコウモリが飛ぶまで川に立つ。
魚もいなくなり、人もいなくなり、気づけば川だけが静かに残っていました。
それでもしばらく何も起きない水面を眺めひたすらルアーを投げ込んでいました。
そのときようやく気づいたんです。
釣られていたのは魚じゃなくて、自分のほうだったのかもしれない

今日は、いつもと少し違った趣向の記事を書いてみました。
僕にも過去にはいろいろな黒歴史があります。いつもは堅苦しい内容が多いのですが、意外と人間味があるんだなと親しみを感じていただきたくて、この記事を書きました。
たまには、こうした記事も発信していこうと思います。
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それではまた
