ぼくを変えたあの日のこと
「もう来ないと思ってました」
電話の向こうから聞こえる家主の第一声は、ひどく悲しげだった。
現地での手続きに手間取ってしまった我々は、家主を落胆させていた。
石巻でのボランディア活動。
初めてのことばかりとは言え、それは何の言い訳にもならない。
唯一家主と話したぼくは地図をぐっと握り締めると、誰よりも先に歩き出した。
大通りから一本入ると、車一台が通れる幅を残し、道の両脇には瓦礫の山が広がっていた。
小高く盛り上がった瓦礫は原形をとどめない木材ばかりだ。
無残に破壊された車が何台も転がっている。
どこからか溢れ出した泥水は、長靴の縁スレスレまで達している。
どこにでもあるような住宅街のはずなのに、今までに決して見たことのない光景が目の前にある。
これが現実。現実なのだ。
迂回を繰り返し、地図にはないはずの空き地を右へと曲がり、ようやく作業場所となるお宅へとたどり着いた。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
ぼくはただただ頭を下げた。
家主は決して我々を責めることなく、ぽつりと作業の要望を話してくれた。
すでに家の中の泥出しは済んでいた。先週のうちに片付いたそうだ。
家主の要望は、津波で動いてしまった庭の物置を移動させて欲しいというものだった。
かつてCMで「100人乗っても大丈夫っ!」と言っていた、あの物置だ。
物置を見た瞬間、『人の手だけでこれを動かなんて、本当にできるんだろうか?』
率直にそう思った。
雨の降る中、作業にあたったのは総勢17人。
物置に保管されている荷は、立派な座卓やダンボール数個分の毛布など。茶碗や皿などは無数にある。
男子チームは物置の片付け、女子チームは泥まみれになった食器洗いに分かれた。
胸ほどの高さの棚にある荷がぐしゃぐしゃに濡れている。水を含んだ毛布が腕に食い込む。
誰もが自分の判断で、次から次へと手を動かす。
名目上、リーダーを担っていたけど、指示をする必要など全くなかった。
みんなが目の前の現実に、ただひたすらに立ち向かうしかなかった。
昼食をはさみ、作業は15時まで続いた。
はじめは眺めることしかできなかった物置が、今では2つきれいに並んでいる。大きい方の物置は土足厳禁になっているほどピカピカだ。
母屋にはきれいに磨かれた食器が整然と並んでいる。おそらく数百はあったと思う。
玄関先で奥さんの入れてくれた温かいお茶と、先週から生産を再開したという石巻名物の笹かまをいただくと、みんなの会話が弾んでいた。
わずか数時間だけだったけれど、そのわずかな時間の積み重ねで救われる人がいるんだと、身をもって感じた。
はじめは呆然とするしかなかった大きな物置が、数百もあった泥まみれの食器たちが、みんなの力で片付けられたことは、まぎれもない事実だ。
ふと片付いた庭先に目をやると、水仙がいくつも咲いていた。
きっとこの水仙はあの津波の後に咲いたはずだ。
もしかしたら、一家にあの日のことを忘れさせようと懸命に咲いているのかもしれない。
そう思ったぼくは、構えたカメラをそっと下ろした。
記念の集合写真を撮り終え、ぼくは言った。
「では行きますね。それと…
お父さん、お母さんの結婚記念日おめでとうございます」
庭に大きな拍手が沸き起こる。
今日が結婚記念日だと、お茶をいただいている時に、奥さんがそっと話してくれていた。
恥ずかしそうにする家主と奥さん。
そして、それを笑顔で見つめる娘さん。
「ありがとうございました」
そう言ってぼくが右手を差し出すと、家主は驚くほどの強さでぼくの手を握り返した。
「もうどうにもならんと思うとうた」
家主の目からは涙がこぼれていた。
一緒に泣いてしまいそうだったけど、ぼくは泣く立場にはないと思った。
家主はこれから、まさにぼくらが去った後も、戦い続けなければならないのだ。
家主の泥だらけの手がそう言っている気がした。
ぼくも力強く家主の手を握り返した。
「本当にもうどうにもならんと思うとうた」
もう一度、家主は言った。
ぼくは何か声を掛けた。
何を話したのかまったく覚えていない。
ただ、その後に家主がにっこり笑ってくれたことはよく覚えている。
そして、別れ際に家主が言ってくれた言葉もしっかりと覚えている。
「ありがとうございました」
あの悲しげな声はもうなかった。
一家は傘も差さず、ぼくらが見えなくなるまで、いつまでもいつまでも手を振ってくれていた。
朝から降り続いていた雨が少し小降りになったような気がした。
2011年4月23日

