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今月、あなたは何を見ていたか。

また、月が変わろうとしている。
シャッターを切るように、問いを一つ置いておきたい。

残像のありか

一ヶ月という時間は、思いのほか長い時間だ。
24時間×30日=720時間もある。
それなのに振り返ると、掌に乗るくらいの景色しか残っていない。

カメラを持ち歩いていると、目に焼きついた瞬間と、素通りした瞬間の差がくっきりする。
どちらも同じ時間の中にあったはずなのに、片方だけが像を結ぶ。

残るものと消えるものの境界線は、どこにあるのだろう。
その問いを抱えながら、今月もレンズを向け続けていた。

視線という記録

「今月、一番よく見ていたものは何か」と、自分に問いかけてみる。
人の顔かもしれない。空の色かもしれない。スマートフォンの画面かもしれない。

目を向けていたものは、そのまま意識を向けていたものだ。
視線の記録は、生き方の記録に近い。

答えは一つでなくていい。
複数の残像が重なって、今月という厚みになっているのだから。

光の差し込み方

台東区の朝は、光が路地を斜めに切り裂くように差し込んでくる。
その光を見るたびに、一日が始まるのではなく、一日が差し出されている、と感じる。

今月、あなたにはどんな光が差し込んできただろうか。
予期しない角度から届いた、やわらかな何かがあっただろうか。

余白にこそ、記憶は育つ。
忙しかった日ほど、隙間に滑り込んだ小さな景色が、後になって輝き始める。

問いを、次の月へ

一人で答えを持つよりも、誰かと問いを共有したとき、記憶は違う色を帯びる。
「そういえば私も」という声が重なると、孤独に見えていた体験が、川の支流のようにつながり出す。

言葉にすることは、記憶を定着させる現像液のようなものだ。
浮かび上がらせなければ、像は闇の中に溶けていく。

締めくくりは、閉じることではなく、次へ渡すことだと思っている。
今月あなたが見ていたものを、来月どこかで思い出すとしたら、それはどんな景色だろうか。

#カメラ #写真と言葉 #内省エッセイ #台東区 #記憶と記録

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