出産前後のマトリックス
訳者コメント:
人類がくぐり抜けようとしている危機は、比喩的には出産の危機であって、その意味で人類はまだ幼児期にさえ達していないのです。母の胎内でこれ以上成長できなくなるところまで成長してしまったことが、現在の危機の本質です。生まれ出た先に何が待っているのかを、生み出される赤ん坊が前もって知ることはできませんが、出産という危機を通り抜け、新しい命として母の胸に抱かれるのです。
チャールズはこの考えを膨らませたエッセイ「押すべき時」をコロナ禍の2021年に書いています。
(お読み下さい:訳者からのお知らせ)
8.3 出産前後のマトリックス
分断と再合一の流れは、個人と集団、そして人生のさまざまな次元のあらゆるレベルで繰り返され、私たちを全体性へと何度も何度も連れ戻しますが、それは一周して元に戻るのではなく、螺旋を描きながら、より高いレベルの叡智、意識、複雑さ、統合性をもって再合一するのです。前節ではこのプロセスの神話的な雛形について説明しましたが、おそらく分断と再合一の原動力が最も直感的に表れたモデルは、出産のプロセスでしょう。私たちが個人として肉体的に生まれてくるのと同じように、私たちは〈母なる地球〉によって集団的に、そしてスピリチュアルに生み出されつつあり、その先に待っているのは私たちが誰であるかという新しい概念です。
スタニスロフ・グロフは、出産の心理力学に関する強力で詳細なモデルを開発し、それを「出産前後(周産期)」の4段階(子宮の至福、閉塞、闘争、光への出現)に区分しています[3]。出産は分断と個体化というプロセスの原型なので、グロフのモデルを比喩として私たちの現状に当てはめるのは有益なことです。
出産プロセスの第一段階は、胎児が子宮の限界に押し当たるようになる前の数カ月間です。温かくリズミカルに揺れ動く環境の中で、彼女(ここでは胎児を女の子としましょう)のニーズは自動的に難なく満たされます。彼女のしていることは、肉体的にも精神的にも、ただ存在し成長することです。第一段階に対応する心理状態は、完全な安心感、自己満足、そして限界は存在しないという感覚です。世界は限りない成長の余地を与えてくれます。
神話の世界では、第一段階は、あらゆる欲求が難なく満たされるエデンの園や、人々がまだ自然の懐で暮らし、闘争や争いを知らなかった古代伝説の〈黄金時代〉に代表されます。「大地は、強制されることなく、鍬も鋤も使わず、必要なものを全て与えた。[4]」人類と地球という観点から見れば、第一段階は狩猟採集の段階でした。人生には時には悲劇や痛みもありました(胎児が子宮の中で時折擾乱にさらされるのと同じです)が、全体的には豊さと育みの環境でした。私たちの数は少なく、世界は広かったのです。私たちはまだ環境の限界を探ることも、世界には限界があると見ることも始めていませんでした。成長の余地は無限にあるというこの姿勢は、聖書の「産めよ、増やせよ」という命令に見出すことができます。習慣と惰性から、今でも私たちはこのような態度を捨てられず、私たちを破局へと向かわせています。
成長の自然な結果として、子宮はやがて窮屈になります。かつて至福だった宇宙が胎児に敵対するようになり、彼女は動きの自由を失います。まだ子宮頸管は閉じたままなので、このますます不快になる苦境は、文字通り出口無しです。陣痛が始まると、宇宙の全てを包み込む圧力が、あらゆる方向から胎児を圧迫します。したがって第二段階は、落胆、抑うつ、絶望という心理状態に相当します。
第二段階では、子宮というエデンの園が〈地獄〉と化しています。胎児に出口がないように、〈地獄〉は救済の望みのない場所です。宇宙の基本的条件は絶望的な苦しみです。神秘主義者の言葉では、この状態は〈魂の闇夜〉と呼ばれ、神に完全に見捨てられたという感覚です。スピリチュアリティは残酷な冗談に思え、信仰は妄想に思えます。それは段ボールの世界です。その無意味さが透けて見えます。実存主義が密接に結びつくのは、文字通りの〈出口なし〉である出産プロセスの第二段階です。私たちは肉から作られた機械に過ぎず、何の重要性もないし、有りえません。
これまで数千年もの間、人類は深まってゆく第二段階の苦境にどっぷり漬かってきました。次々と、私たちは成長の物理的・社会的な限界にぶつかっています。もはや過去1万年間と同じように成長し続けることはできず、もはや環境をどんどん収奪し続けることはできません。私たちの問題解決への努力がさらに多くの問題を生み出すだけなのは、それが環境へのコントロールを拡大し、ますます多くを人間の領域へと取り込むことに基づいているからです。それは同じ子宮の中で成長を続けようとする試みです。「宇宙をもっと人間の指揮下に置こう」というような解決策は、必然的に人間の条件を悪化させ、環境が与える能力の限界に私たちを近づけることになるのです。親方の道具で親方の家を壊すことはできません。第二段階の終わりには、変化の方向はもはや胎内での成長の継続ではありえず、むしろ新しい世界への旅となるはずです。
前世紀に起きた二度の世界大戦、大殺戮に次ぐ大殺戮、そして加速する地球の荒廃の結果、自然のコントロールとその頂点である〈機械〉よって〈ユートピア〉の約束が果たされるという幻想は、丸見えになってしまいました。露呈したのは、私たちのとってきた解決策が破綻していること、また他の方法に目を向けない以上、私たちが「人間の条件」と呼ぶものを改善するのは望めないことでした。私たちは立ち往生し、閉じ込められました。私たちの僕である機械が私たちを奴隷にし、子宮は毒素で満ちてしまいました。それが物事の本質だと私たちは考えていたので、それに代わるテクノロジーや、多くを必要としない成長方法を思い付くことができませんでした。一方、私たちの科学イデオロギーは、非人間的な力と無個性な質量からなる機械論的で魂のない宇宙の中に私たちを位置づけることによって、絶望、無意味、自暴自棄という感情を悪化させました。私たちは死んだ無慈悲な宇宙の中にひとり取り残され、努力するほどますます酷くなっていく世界で、生き残りをかけた無意味な闘いを強いられることが、自然と人間の本性によって運命づけられていました。
私たちは頑張り続けようとするかもしれませんが、かつて豊かだった世界という子宮は、もはや人類という胎児の成長を維持することができません。自然、社会、文化、魂の資本という〈母体〉の資源から、あと数年だけ搾り取ろうとする努力は、子宮にさらなる毒素を増やすだけです。しかし、たとえ成長のための資源を使い果たしたとしても、私たち胎児の文明に組み込まれた成長への命令が変わるわけではありません。ですから必然的に、それは終焉を迎えるか、あるいは変化を遂げるしかありません。
とても単純なことです。胎児は成長し、子宮は有限なのです。成長の限界は出産の危機を引き起こします。それは耐え難いものですが、第二段階はどんな出産プロセスにも必要です。もし現状が耐えがたいほどになっていなければ、新たな状態への出産という変化を促すものは何もないでしょうし、ようやく光が見えても、私たちは理解できずに背を向けてしまうでしょう。それが第三段階で起こることであり、出口がようやく垣間見えるのです。この出口は、子宮をほんの少しだけ長く住めるようにする技術的対策でもなければ、ましてや子宮が魔法のように無限に大きくなるといった技術ユートピア的な幻想でもありません。それでは停滞と死産への道です。第三段階では、子宮頸管が開き新しい世界を約束する光が差し込むにつれて、胎児にかかる大きな圧力には目的があり、方向性があることが明らかになります。
胎児の身体的苦痛は第二段階よりもさらに強くなっています。彼女は巨大な圧力にさらされ産道をゆっくりと進んでいますが、彼女の全存在は生死をかけて闘っています。この時点で、もう慣れ親しんだ子宮に戻ることはできません。その子宮は今や地獄であり、しかも出産の圧力は抵抗できないほど大きいからです。肉体的にはより困難ですが、心理的には第三段階の状態の方がまだ耐えやすいのは、前方にある光が希望と方向性を与えてくれるからです。人類にとって、それは別の生き方が可能だという知識が深まっていくことを意味します。もうその片鱗はトンネルの先の光に見えていて、私がこれまで述べてきたような、新しいあり方のテクノロジー、お金、医療、教育などです。
この時点で、私たちは出産のプロセスに押し潰されそうになりながら、それに抵抗し、無限の直線的成長という妄想を維持するため、子宮に戻ろうとしているように見えるかもしれません。これは第三段階の動態としては珍しくありません。新しい仕事や人間関係に入り、その中で成長し、やがてその限界にぶつかるとします。その仕事も人間関係もだんだん耐え難くなってきますが、私たちはそれに耐え、代替案に目を向けることはなく、居心地の良い子宮が限界に達したとは考えられません。
這いつくばって元に戻りますが、次の収縮はさらに強いものになります。現状が本当に耐えられなくなるまで行ったり来たりを繰り返す人もいます。初期の陣痛は最も穏やかです。一回目の陣痛でチャンスを垣間見るかもしれません。やがて古い状況という子宮は生き地獄に変わり、後戻りは不可能となります。私たちの意識的コントロールを超えた力が働いて、私たちは新しい世界に生まれ出ます。
集団として、私たち人類が経験したのは、垣間見た新しい世界へと突き進む産みの苦しみの始まりだけです。まだ私たちは抵抗することができ、自然から際限なく収奪することができ、自然は私たちの収奪のために無限の富を持ち、私たちの廃物を受け入れる無限の容量があると、自分を欺いて考えることができます。この幻想は急速に崩壊しつつあり、私たちが生きている間にその崩壊は劇的に加速するでしょう。人類の上に急に折り重なってきた危機は、私たちを新しいあり方へと駆り立てる子宮収縮に他なりません。
私たち人類は百年近く前に第二段階から第三段階へと移行しました。地域によってはこの移行が他より進んでいるところもあります。例えば、私たちが加速度的に環境を破壊しているのは事実ですが、もはやそれを無視できず、それが避けられない自然の摂理の一部だと疑うことなく思い込んだりすることもありません。一般的なレベルで、私たちは何が問題で、それに対して何をすべきかを知っています。その知識を実行に移すことが、典型的な第三段階の闘いです。フルコストアカウンティング、ゼロウェイスト製造、地域通貨、再生可能エネルギー、ホリスティック医療などの解決法が知られていて、多くの勢力は否定していますが、一般的な解決策はわかっています。こうした目標のために闘っている多くの人々にとって、状況は絶望的に見えます。これらの必要な解決策を実行に移すための原動力となるものは何でしょうか? 〈母なる自然〉と〈母なる文化〉は今、ひどい産みの苦しみを味わっています。自然災害、経済危機、飢饉、伝染病、やがて環境の破滅という形をとって、子宮は収縮します。私たちの限界が完全に明らかになるまで、私たちは無限の成長という胎内に戻ろうとし続け、私たち自身が変わるには全面的な環境崩壊が起こることが必要なのかもしれません。
神話のレベルで、第三段階は〈善と悪〉の最終決戦であるハルマゲドンや、北欧神話における神々と巨人の戦いであるラグナロクといった宗教的原型に相当します。ラグナロクでは、戦死した全ての立派な戦士たちが神々の側で戦います。この神話は私たち誰もが経験する共通の葛藤を指しています。それは私たちの個人的な戦いが普遍的な意味を持つということです。私たち人類の集団的変革は何十億という個々の変革の総和でしかありえず、それぞれ一般的な危機と私たち個人の生活が交わることによって突き動かされています。もはや私たちは身を隠すことができず、どこか他の場所で他の誰かに起こることでもなくなります。それらは何らかの形で私たち全員に個人的な影響を及ぼすことになります。私たちはばらばらの個人ではなく、他の人間や自然との関係の中で存在しているので、病んだ社会と汚染された地球の中で永続的な健康を享受することは不可能です。それは不可能であり、言葉自体が矛盾しています。
出産の第四段階で、赤ちゃんは想像もつかない新しい世界に生み出され、そこで解剖学的に明確な個体となります。どのような出産プロセスにおいても、生み出される本人は母体の向こうに何があるのか想像できません。人類の場合も、私たちが生み出されようとしている新しい社会は、おそらく想像を超えるものでしょう。私が〈再合一の時代〉をたどたどしく説明しようとしたところで、その本当の素晴らしさには全く及ばないでしょう。集団としての人類がどのような形をとり、個人の生活がどのようなものになるにせよ、ひとつ確かなことがあります。それが自然に対する最終的な勝利や支配ではないだろうということです。臍の緒が切れた乳児が母親から独立した存在とはならないのと同じように、私たちが自然から独立することはありません。
出産という旅は、至福の一体性から始まり、次第に耐えがたくなる閉塞を経て、英雄的な闘いで最高潮を迎え、新たなレベルの存在として一体へと戻ることで終わります。人間の出産ではこれが乳房であり、新たな、より高度に個体化された方法で母親と再び結ばれるのです。かつて私たちは自然の胎内に宿され、幻影的な分断の可能性さえありませんでした。この出産に続く〈再合一の時代〉に、私たちは〈母なる自然〉の顔を、幼子のような慈愛に満ちた目で見つめることになるでしょう。
考古学者や歴史家は先史時代や古代の社会を説明するとき「文明の揺りかご」といった幼児の比喩を好んで使います。こうした比喩はおそらく誤解を招くものです。今もまだ人類は幼児期にさえ達していないのです。信じられないような旅が私たちを待ち受けています。
私たち人類、そして地球そのものも、出産を経験しつつあって、その先にどのような状態が待っているかは推測するしかありません。私たちは狩猟採集民という長い妊娠期間を経て、これ以上成長できなくなるまで環境の限界に逆らって成長し、いま陣痛が始まって、私たちの能力は限界まで試されるでしょう。一部の環境保護論者、特に最も幅広い知識を持つ人々は、地球を救うにはすでに手遅れで、逆転不可能なプロセスがすでに動き出し、人類の破滅は確実だと絶望しています。しかしおそらくこうした条件を必要としているのが、科学とテクノロジーが長年培ってきた能力を本来の目的に向けること、つまり自然のパターンを復元し、さらに深めて、新たな美の形を創造することなのです。おそらく迫り来る大災害は、私たちの文明の科学とテクノロジーのあらゆる面を地球の癒しに向けることを求めるでしょう。1960年代の宇宙開発競争や、ガン、貧困、薬物、そして互いに対する前世紀の戦いよりも遥かに、遥かに強力な方法で、人類を活気づけ、私たちを結び付けます。おそらく私たち人類の存続を保証するものは全面的な闘い以外になく、おそらくそのような闘いの中でしか私たち自身の可能性と目的に達することはできないのです。破壊された自然、善、美、生命を癒すことで、私たちはこれまでの自分を超越し、別の何かに生まれ変わるのです。
注:
[3] スタニスロフ・グロフ[Grof, Stanislov], 『Realms of the Unconscious(無意識の領域)』, Viking, 1975年. 再版Condor Books, 1995年.
[4] オウィディウス, 『変身物語』 1.89
原文リンク:https://ascentofhumanity.com/text/chapter-8-03/

