傷が糧になる。何でも糧になる。
私の部屋の前は緑豊かな公園だ。
ベランダで夜風に当たりながら、
ハーブティーでも飲んでいると、
公園のベンチでいちゃついている恋人達の笑い声が聞こえる。
毎日同じカップルなのかはわからないが、
小鳥たちのように囁きながら寄り添っている。
私はなんとなくムードのあるジャズをかけてみた。
2階なので、
すぐそばのベンチまで聴こえるだろう。
そして遮光カーテンを開けて
部屋の光を外に漏らす。
ベンチにちょうどよく柔らかな光が当たり、
ロマンチックな雰囲気になる。
真っ暗より、
うっすら顔が見えた方が良いでしょう?
などと思いながら、
私は何をやってるんだ?あん?
頼まれてもいないのに、
知らない恋人達のために雰囲気づくりをしている。
サービス業の私は、
つい先回りして相手を喜ばせようとしてしまう。
いや、
サービス業だからではない。
子どもの頃からそうだった。
弟が生まれてから。
私は、
しっかりしているお姉ちゃんという、
ありがたくもない役割を与えられた。
親達の表情から気持ちを察知し、
先回りして喜ぶことをやってきた。
そうすれば、
両親の目が私に向くのを知っていたから。
私は急に弟に両親を取られたような気がして、
頑張らなくてはならなくなったのだ。
そういう経緯があり、
先回りして喜ばせるというのは、
息を吐くくらい自然にできるようになった。
頼まれてもいないのに、
知らない恋人達のロマンチックなシチュエーションまで作っているのだから、
なかなか重症である。
しかし、はからずも身についたこの癖は、
大人になって仕事で大いに役立っている。
人は何を求めているのか。
何をしたら喜ぶのか。
それを考えるのが当たり前になっていた。
弟に両親を取られたと思っていた少女は、
気づけばその能力で仕事をしていた。
寂しさから生まれたものだが、
今では私の生活を支える大きな武器になっている。
人生は面白い。
経験は全部、
糧になるのだなと思う。
今夜もベランダで
ロマンチックなジャズをかけるだろう。
