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【社長インタビュー】天文学を学び、ホテル業界を経て家業の土木会社へ。これまでの歩みと大切にしている価値観

今回お話を伺ったのは、大北土建工業株式会社の荒木社長。
東京でホテルマンとして社会人生活をスタートした後、富良野に戻り家業を継承。どのような想いで会社を引き継いだのか、これまでの歩みとともにお聞きしました。
ぜひご一読ください!

【プロフィール】
荒木 崇宏(あらき たかひろ)
富良野市出身。1985年生まれ。2009年3月鹿児島大学理学部卒。藤田観光(株)に入社、社会人経験やホテル業を学び、2014年大北土建工業㈱に入社。工事部からはじまり営業、管理部門、社長室長を経て、2021年取締役副社長、2023年代表取締役に就任。公職として旭川建設業協会理事、富良野建設業協会理事・副会長。趣味は天体観測。座右の銘は「百のすみませんより、一つのありがとう」


天文を学んだ後、東京でホテルマンとしてキャリアをスタート

誰かを楽しませるのもホスピタリティだと同僚から学んだホテルマン時代

――とてもユニークな経歴ですが、まずはこれまでの歩みを教えてください

まず生い立ちからお話しすると、私は富良野生まれです。父が大北グループの中核企業である大北土建工業を経営していたこともあって、会社の存在は子どもの頃から身近にありました。

といっても、当時は会社のイベントに連れて行ってもらったりした記憶が少しあるくらいです。小学4年生のときに富良野を離れ、札幌へ引っ越しました。

高校卒業後の進路を考えたとき、もともとプラネタリウムが大好きだったので、「天文の勉強がしたい」と思い、鹿児島大学へ進学しました。宇宙関係の仕事に憧れる人は多い。その中でも研究者を目指す人たちを見ているうちに、「この世界でやっていくには、相当な能力が必要なんだな…」と感じるようになりました。

そこで改めて自分の将来を考えたときに思い出したのが、子どもの頃に富良野のホテルで受けた温かいおもてなしでした。「人を喜ばせる仕事っていいな」と思い、ホテル業界に興味を持ったんです。

その後、全国各地でホテルやリゾートを運営している藤田観光株式会社に入社し、東京で社会人生活をスタートしました。

富良野に戻り、家業を継いだ理由

ホテルマン時代の同期との写真。今でもお付き合いが続いているそう

―― 家業を継ぐことを意識したのは、いつ頃からだったのでしょうか?

ホテル業界では現場から、理系卒だったため施設管理や本社部門まで幅広く経験しました。その中でホテルのリニューアル工事や外構工事に携わる機会があり、それが土木の仕事との最初の出会いでした。

ホテル業界にいるのに家業と同じ土木の仕事に携わっている。不思議な縁も感じたし、運命だと思いました。

また、これまでさまざまな地域で暮らし、その土地ごとの産業や文化、観光の魅力に触れてきました。そうした経験を重ねるうちに、改めて富良野の良さや、地域を支える企業の大切さを感じるようになったんです。

一方で、父は建設会社を経営する傍ら、まちづくりや地域活性化にも積極的に関わっていました。その姿を見ているうちに、建設業は単に道路や橋をつくる仕事ではなく、地域そのものを支える仕事なんだと気づきました。

いろいろな経験や思いが重なる中で、「今度は地元のために力を使いたい」という気持ちが強くなり、29歳のときに大北土建工業へ入社しました。

家業だから戻ったというよりは、外で学んだことや経験してきたことを富良野で生かしたい。そんな思いの方が強かったですね。

工事部に所属し、現場に出ていた1年目

毎年大北グループが参加している、富良野を代表する「へそ祭り」の時の写真(入社2年目)

―― 入社後はどのような経験を積まれたのでしょうか?

入社後の1年間は工事部に所属し、現場業務を経験しました。その後は本社で経理を担当し、会社のお金の流れや経営の基礎を学びました。3年目頃からは営業として取引先への挨拶回りや外回りを担当しながら、少しずつ会社全体の仕事を理解していきました。

現場で働いた経験は、今でも大きな財産になっています。仕事の流れや会社の仕組みを知ることはもちろんですが、それ以上に人とのコミュニケーションの大切さを学びました。

私は「社長の息子」という立場で入社したので、周囲も最初は「どんな人が来るんだろう」と見ていたと思います。実際、現場では失敗もたくさんしましたし、叱られることもありました。

ただ、分からないことは素直に聞く、失敗したらきちんと謝るということだけは大事にしてきました。

自分のミスを周囲の方にフォローしてもらったことがありました。その後謝罪したところ「社長の息子でも謝れる人なんだな、信用できる」と言っていただいたことがあり、その言葉は今でも一番印象に残っています。

荒木社長が考える「こころくばり」とは

―― 社長就任後も受け継いでいる「こころくばり」という企業理念には、どんな想いがあるのでしょうか?

経営者が変わるタイミングで企業理念を見直したり、新しく作り直したりする会社もあります。でも私は、この「こころくばり」という理念が結構好きなんです。これからも大切に受け継いでいきたいと思っています。

「こころくばり」って、相手の立場になって考えることだったり、相手がどう感じるかを想像しながら行動することだと思うんです。これは仕事だけじゃなくて、人としてすごく大切なことですよね。日常生活でも人間関係でも、欠かせない価値観だと思っています。

うちの仕事は地域の皆さんがいて初めて成り立つ仕事です。そして、その中には社員や社員のご家族も含まれています。だからこそ、会社に関わるすべての人や地域を大切にすることが、企業の役割なんじゃないかなと思っています。

また、年代やライフステージによって、求める幸せの形はそれぞれ違います。若い世代と子育て世代、ベテラン社員では考えることも違いますよね。だから一人ひとりの声に耳を傾けながら、みんなが働きやすいと思える環境を整えていきたいと考えています。

―― その理念を象徴するような、大北らしいエピソードはありますか?

私が個人的に「大北らしいな」と感じるのは、社員のお子さんへのクリスマスプレゼントですね。

かなり昔の話ですが、サンタクロースの格好をした社員が各家庭を訪問してプレゼントを届けていたそうです。今は富良野におもちゃ屋さんがなくなったこともあって商品券という形に変わりましたが、「子どもたちに喜んでもらいたい」「思い出を残したい」という考え方は今も受け継がれています。

実は私自身も、子どもの頃にそのプレゼントをもらっていた一人なんです。当時はそれが当たり前だと思っていましたが、振り返ってみると、会社が社員だけではなく、その家族のことまで大切にしていたからこそ続いてきた取り組みだったんだなと感じます。

だから私は、会社というのは単に働く場所ではなく、人の幸せや思い出をつくる存在でもあってほしいと思っています。その考え方は、これからも大切にしていきたいですね。

会社名に“さん”付けで呼ばれる企業になる

―― 最後に、これからの大北グループが目指す姿を教えてください

真摯に誠実に仕事を続けることで、地域から信頼され、必要とされる存在であり続けること。それが私たちの目指す姿です。

以前から会社では「会社名に“さん”付けで呼ばれる企業になろう」という考えを大切にしてきました。

例えば、親しみを込めて「大北さん」と呼んでもらえるような会社ですね。実際にそう呼んでくださる方もいるので、とても嬉しく思っています。

建設業としてインフラを支えることはもちろんですが、それだけではなく、地域に支えられてきた企業として、富良野に少しでも恩返しをしていきたいと思っています。

余談

社長に影響を受けた本を伺うと、新渡戸稲造の『武士道』の話題が挙がりました。特に印象的だったのは、「つまらないものですが」という日本人らしい贈り物の文化についてのお話です。「自分にとっては最高の品でも、相手にとってはそうではないかもしれない」そんな相手への敬意や心配りに、日本人らしい価値観を感じるのだそう。「こころくばり」を大切にする社長らしいエピソードでした。

次回noteもぜひご覧ください!


大北グループについてもっと知りたい方は、こちらをご覧ください。



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