呼吸が浅くなるほど、刺さった「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ」
息ができない、と思った
映画を観ていて、こんな感覚になったのは久しぶりだった
観ている途中、胸がぎゅっと詰まるような、呼吸が浅くなるような感覚
実際に呼吸も荒くなっていたようだ
「苦しい」とは違う
でも確実に、楽に見られるものではなかった
こういう映画、あなたにはあるだろうか
途中で観るのをやめたくなるわけじゃない
むしろ、目を逸らしたくないのに、見ていること自体がしんどい
この映画は、私にとってそんな存在だった
なぜこんなにも息苦しくなったのか
観ながらも観たあとも、ずっと考えていた
そして、なんとなく思い当たる
これは、「自由」の話
自由に生きているように見える人が、
気づかないうちに自由じゃなくなっていく
誰かに縛られるわけでもなく、
何かを強制されるわけでもないのに、
自分で自分を制御して、
自分で自分を押さえつけて、
気づけば、動けなくなっている
それが、いちばん不自由なんじゃないか
誰かに縛られるよりも、
外から何かを課せられるよりも、
自分自身で、自分を縛っている状態
その姿が、あまりにもリアルで、
あまりにも自分と重なって、
私は、息ができなくなりそうだったのか
そう、私もきっと、同じことをしている
我慢して
制御している
自分をコントロールしている
それは、安心だから
はみ出さないように、
間違えないように、
ちゃんとしていられるように
でも、その安心の中で、
本当は見たいもの、
本当は感じたいものを、
私は見ないようにしているのかもしれない
そして、じぶんは誰かのせい なにかのせいにしてきたんだと思う
それを「もうごまかせないぞ」とこの映画が迫ってきたんじゃないか
解放してみないと、
見えない景色がある
それを、私はまだ見ていない
一生見ないでいる気なのか
本当は見たいと思っている
それなのに、動けないのはなぜなんだろう
もうそんなことを言う年齢じゃない、と言われるのかもしれない
いい大人なんだから、と
でも、そんなこと関係ないと思う自分もいる
一方で、
「そうだよね」と納得してしまう自分もいる
どちらも、確かに自分だ
否定はできない
だから最近は、
どちらかを消すんじゃなくて、
どちらも認めることからしか、
本当の意味での「解放」は始まらないんじゃないかと思っている
息ができないほど苦しくなる映画だった
でも同時に、
目を逸らさずにいたいと思った映画でもあった
もし少しでも自分が自由じゃないと思う人がいたら
もし少しでも何かを変えたいと思う心があったら
きっと、この映画は刺さる
静かに、でも確実に
あとがき
私は1997年頃~パンクロックに目覚めて、ファッションと音楽にその頃からずっと熱狂している
この映画の時代は、1978年~だ
私の熱狂の始まりよりも20年も前の話、全然知らない世界だし、バンド名も知らないバンドばっかりだった
それでも胸を打つ 音 映像 言葉 雰囲気
とってもいいものを残してもらった
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