「伝えるための準備学」は「アスリートのノート術」である。
2024年7月22日に、「伝えるための準備学」が、ひろのぶと株式会社から発売された。著者は元テレビ朝日のフリーアナウンサー古舘伊知郎である。
団塊ジュニア世代の筆者にとって、古舘伊知郎の実況で思い出深いのは、1980年代前半にテレビ朝日で放送されていた「ワールドプロレスリング」と、1980年代後半にフジテレビで放送されていたF1グランプリ中継である。
古舘伊知郎による実況があったから、競技のルールや魅力をすぐに理解することができ、プロレスやF1のブームが巻き起こったといっても過言ではないだろう。
今回「伝えるための準備学」を一読して思ったことは、古舘伊知郎が実況や司会の準備のために行っていることは、スポーツ選手や指導者、解説者が行っている「ノート術」と同じであるということだ。
例えば、こまかすぎる解説で有名なマラソン解説者・増田明美、最近人気急上昇中のサッカー解説者・林陵平は、学生時代から指導者や解説者となった今に到るまでノートをつけていることを自著で語っている。それらの内容をみていくと、まさに「伝えるための準備学」と同様の「準備」をしているのである。
このnoteでは、古舘伊知郎著「伝えるための準備学」の書評だけでなく、増田明美や林陵平の著書も取り上げながら、優れたアスリート、実況アナウンサーや解説者に共通する「準備学」=「ノート術」を考察することにしたい。
古舘伊知郎「伝えるための準備学」

スポーツ実況や解説という仕事は、眼前で繰り広げられる光景や、勝利につながる決定的な瞬間を、的確かつ瞬時に「言語化」して、視聴者に伝える仕事だと私は考えている。また、中継している競技や競技者の本質を、即座に視聴者に理解してもらうための「言語化」も、スポーツ実況や解説の重要な仕事だろう。
圧倒的な情報量やアスリートを形容するキャッチフレーズのセンスなど、古舘伊知郎の「言語化」のスキルが、アナウンサー業界において抜きん出ていることは言うまでもない。そして、「伝えるための準備学」という本は、古舘伊知郎が「言語化」のスキルをどのようにして会得したか、そのノウハウを披露している本であると言えるだろう。
古舘伊知郎の「言語化」のノウハウは、この章の冒頭で述べた、二つの「言語化」のノウハウである。
一つ目は、スポーツ中継において、眼前に繰り広げられる光景から、どのような駆け引きが行われているか、また、勝利につながる決定的な瞬間等を瞬時に捉えて、的確に伝えるための「準備」である。
その「準備」のノウハウは、この本のカバーを取り外すとすぐに分かる。

「パワポの奴隷になっちゃいけない」と語る“ある理由”とは
「国宝」と評された、膨大な量のメモとF1グランプリのコースのイメージ図である。古舘伊知郎は、この膨大な量のメモとイメージ図を事前に作成して「言語化」し、本番の試合までに何度も読み返して脳裏に焼き付けていたのだろう。瞬時に言語化する、アドリブに見えていたものは、すべてこの「準備」に支えられていたといえる。
もう一つの「言語化」のノウハウは、選手の魅力や競技のルールといった選手や競技の本質的な部分を、視聴者に理解してもらうための「言語化」、つまり「キャッチフレーズ」のノウハウである。
スポーツ中継の放送時間は極めて短時間だ。そこで競技の概要やルール、選手紹介等を、何の工夫もなく説明していたら、尺に収まらない。したがって、伝えるべき情報を要約する必要がある。
「キャッチフレーズ」は、いわば「究極の要約」である。アンドレ・ザ・ジャイアントの「一人民族大移動」は7文字で12音、アイルトン・セナの「音速の貴公子」は6文字で9音である。短時間の中継の中で、選手の人物像を伝えるためには、ここまで圧縮する必要があるのだろう。
「伝えるための準備学」の第4章「「自分らしさ」は圧倒的な準備に宿る」では、古舘伊知郎独自のキャッチフレーズ考案のノウハウが披露されている。
キャッチフレーズの考案には、第一段階と第二段階がある。
第一段階は、「対象についてたくさん調べ、情報を集めて整理する」ことである。これは、ひろのぶと株式会社の田中泰延社長の著書「読みたいことを、書けばいい。」の中にある「物書きは「調べる」が9割9分5厘6毛」という考え方と一致している。先に述べた通り、キャッチフレーズの考案は「究極の要約」、すなわち「書く」ことである。「書く」ためには「調べる」必要があるということだろう。
第二段階は、「擬人化」と「妄想」である。第一段階の情報収集に飽きてきた頃、「ムラムラ」してきた頃が第二段階のはじまりである。ここで妄想を膨らませて、モノを人に「擬人化」してみたりする。あるいは逆にヒトを物に「擬物化」してみたりする。
また、ネットを検索して情報収集するだけではなく、古書店街等を巡り、普段とは全く違う知的刺激を受けることも大切であるとしている。
最後にまとめると、「伝えるための準備学」とは、古舘伊知郎の実況等における2つのノウハウ、「言語化」による事前の「準備」と「キャッチフレーズ」という「究極の要約」のノウハウを解説した本である。
そして、これらのノウハウは、古舘伊知郎と同様に、スポーツの魅力や醍醐味等を伝えてくれる解説者たちも実践していることである。
次章以降では、マラソンの増田明美とサッカーの林陵平という二人のスポーツ解説者の著書を引用しながら、そのノウハウの実践について考察してみたい。
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増田明美「調べて、伝えて、近づいて」

マラソン中継等での解説者として有名な増田明美は、元陸上選手であり、1984年のロサンゼルスオリンピックで女子マラソン代表として出場した。
現在の肩書はスポーツジャーナリストであり、マラソン中継での、選手のエピソードや背景を詳細に紹介する「細かすぎる解説」で有名である。
また、プロのアナウンサー顔負けの、「F分の1(1/f)ゆらぎ」といわれる美声の持ち主でもあり、2017年のNHKの朝ドラ「ひよっこ」では、ナレーターを務めた。
2022年に、増田明美は、自分自身のスポーツジャーナリストとしての考えやノウハウを丁寧に説明した本を出版した。中公新書ラクレから出版された「調べて、伝えて、近づいてー思いを届けるレッスン」である。
この本では、増田明美自身が書いていた、高校時代の陸上部での練習日誌のエピソードが紹介されている。以下に該当箇所を抜粋する。
もともと陸上部に入ってからは、毎日、練習日誌をつけることが習慣になっています。最初は練習の感想や反省点を記し、監督から注意されたことも忘れないようにメモしていましたが、そのうち心の中で思っていることも洗いざらい書くようになりました。
〈絶対、負けるもんか!〉〈今に見ていろ!〉 あの頃の練習日誌には、同じ言葉が何度も繰り返されています。ライバルや監督への激しい闘志、それは誰にも言えないことでした。
五輪に出場したりプロになるレベルのアスリートには、練習日誌をつけている選手が多い。練習や試合での反省点や、監督のアドバイスだけでなく、自分自身が練習や試合の中で思ったことを洗いざらい書くという。これが「アスリートのノート術」である。
「練習や試合の中で思ったこと」というのは、「メンタルの状態」と言い換えられるだろう。競技中のメンタルの状態はパフォーマンスに直結する。メンタルの状態を都度記録して、「言語化」しておくことで、どういう時に集中力が高まるのか、どういう時に緊張して、判断力や技術精度が低下するのかを把握する。アスリートにとっては、こうした「言語化」が、試合に勝利するためには重要なのだろう。
そして、この「アスリートのノート術」は、「伝えるための準備学」にある、古館伊知郎の「準備」のための、膨大な量のメモと同じである。
実況アナウンサーや解説者は、中継する試合の、数々の山場の瞬間を捉えて、的確に伝えることが必要であり、事前に「言語化」の準備のための取材ノートを作成する。
アスリートもまた、日々の練習や試合の中での、指導者からのアドバイスやメンタルの状態を詳細に記録して「言語化」して、本番の試合に勝利し、大会で成功するために、練習日誌などのノートを作成する。
つまり、実況アナウンサーや解説者がつけている取材ノートと、本質的に同じなのである。
増田明美は現役引退後、スポーツジャーナリストとなるが、選手時代と同様の取材ノートをつけている。そのノートの内容は、下記の記事の写真から伺うことができる。

また、「調べて、伝えて、近づいて」には、増田明美の解説が「こまかすぎる」と評されることが納得できる、取材ノートについての記述がある。
私は「こまかすぎる解説者」と言われることに、恐縮しつつも少し恥ずかしい気もしています。とりたてて努力しているわけではなく、ただその人に興味があって、もっと知りたいという好奇心がそうさせているだけだからです。取材ノートに、現場で出会った選手たちの練習ぶりや日々の生活の様子、監督や家族から聞いたエピソードなど、何でも綴ってきました。
増田明美の「こまかすぎる解説」には、賛否両論があるかもしれないが、私自身はとても好意的である。
パリ五輪の女子マラソン中継を、Xと同時に見ていたが、おそらく中継前は、出場する選手に詳しくなかった多くのネットユーザーが、増田明美の解説のおかげで、色々な選手の特徴を踏まえた応援をしはじめていた。圧倒的な情報量の割には、聞いていて心地いいし、頭の中に入ってくるからだ。
そして、引用した下りだけでなく、この本全体を通じてとても印象深いのが、増田明美の「取材対象のアスリートに対する愛と敬意」である。
「ただその人に興味があって、もっと知りたいという好奇心がそうさせている」とあるが、あの「こまかすぎる解説」を成り立たせているのは、増田明美のアスリートをリスペクトする姿勢なのだろう。
この増田明美のリスペクトする姿勢で思い出したのが、田中泰延・直塚大成著「「書く力」の教室」である。
この本では、プロのライターにとって、取材対象へのリスペクトの姿勢が重要であることが強調されているが、増田明美は、取材対象へのリスペクトを理想的に実践しているスポーツジャーナリストである。
増田明美の著書「調べて、伝えて、近づいて」は、いわば、増田明美版「書く力の教室」といってよいだろう。
さらに、「調べて、伝えて、近づいて」の取材ノートの下りには、以下のような記述もある。
この取材ノートには、自分の支えになる言葉も書き留めています。新聞を読んでいて「これだ!」と思った言葉、出会った人から聞いて心に残る言葉などを、ノートの後ろのページにメモしていたのが始まりで、一冊のノートの後半は「言葉ノート」になっています。
新聞で見つけたり、出会った人から聞いた心に残る言葉を書き留めて、「言葉ノート」にしている点が、増田明美の取材ノートの特徴的なところである。おそらく、この「言葉ノート」に書き留めた言葉をマラソン中継での解説でも実際に使用しているのだろう。こうした点で、増田明美のマラソン解説は、他の解説者と一線を画しているといえる。
更に、こうした言葉が、「F分の1(1/f)ゆらぎ」と評される増田明美の美声で語られることによって、多くの視聴者の心を打つのだろう。
最後に、古舘伊知郎と同様に、増田明美もアスリートに「ニックネーム」=「キャッチフレーズ」をつけている。該当箇所を引用する。
マラソン解説でどうしたら選手に興味を持ってもらえるかしらと考えたとき、ニックネームをつけちゃうのがいちばん良いのではと思いつきました。 テレビの視聴者に、少しでも選手の走りを見てほしい、いかに頑張ってきたかを知ってほしいと思う。だから、ニックネームというよりは、興味を持ってもらうための「キャッチフレーズ」という感じですね。
取材を重ねるなかで、競技への姿勢や選手の人柄が見えてきます。ニックネームをつけるときのポイントは、競技者としてすごいところと人として素敵なところを表現すること。解説でもその両方を伝えられるように努めています。
「競技者としてすごいところ」と「人として素敵なところ」を表現するというニックネームをつける際のポイントに、増田明美のアスリートへの愛と敬意が表れている。
マラソンや陸上競技の中継で増田明美の解説を聞く時には、こうした増田明美による「準備」があることを念頭に置いておくと、さらに面白く観戦できるだろう。
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林陵平「林陵平のサッカー観戦術」

林陵平は、今人気急上昇中のサッカー解説者である。ネット配信サービスのDAZN等で、Jリーグや海外サッカーの試合を日常的に観戦する人であれば知っているだろうが、サッカーの試合を見るのは、W杯かオリンピック位の人は知らない人の方が多いだろう。
サッカー選手としての経歴は、明治大学サッカー部から、Jリーガーとなる。東京ヴェルディ、柏レイソル、モンテディオ山形、水戸ホーリーホックに所属し、フォワードとして活躍していた。なお、サッカー日本代表の長友佑都は、明治大学サッカー部の同期である。
現役引退後は、指導者としては、東京大学のサッカー部監督を務め、また海外サッカー、Jリーグの試合中継の解説者として活躍している。
「海外サッカーマニア」として圧倒的な情報量を持つものの、過度にマニアックにならず、とても分かりやすい解説が好評である。
その林陵平が2024年2月に、平凡社新書から出版した本が「林陵平のサッカー観戦術」である。W杯やオリンピックの日本代表の試合などのレベルのサッカー初心者でも非常に分かりやすく書かれている良書であり、サッカー観戦をする方にはぜひ読んでいただきたい一冊である。
この本の最後では、林陵平がずっと書き続けていた「サッカーノート」の話題が出てくる。該当箇所を引用する。
ここでは少しだけ、「サッカーノート」に関するお話をしたいと思います。僕は9歳の頃からずっと書いています。
もう、かれこれ約30年間になりますね。このサッカーノートをつけるきっかけとなったのは、当時所属していたヴェルディ・ジュニアのコーチの勧めでした。内容は人それぞれだと思いますが、僕は練習や試合の内容、感じたこと、自分のできたこと&できなかったことなど、サッカーに関わるあらゆることを綴っていました。
練習や試合の内容や、そこで感じたこと等、「サッカーに関わるあらゆること」を綴っているとある。先に紹介した、増田明美の選手時代の練習日誌と全く同じである。
そして、ずっと続けていたサッカーノートは、解説業や監督業にも役に立っているという。
現役引退してからも、解説業と監督業のためにサッカーノートは続けています。解説業でいえば、予習用に試合を観ているだけでも様々なことが頭には何となく残りますが、それだけだとゲームが常に流れている解説時にパッと思い出すのが難しいんです。でも、しっかりメモをしていればより鮮明に覚えられるし、すぐに言語化できるんですよね。
このサッカーノートは、下記の記事に写真があるが、かなり濃密である。実際にどのようなものなのかを確認することができる。

東大サッカー部の監督をしてわかったこと
「「ノートに書く」ことによって思い出す」
この画像を見れば分かる通り、古舘伊知郎「伝えるための準備学」にあるF1実況メモを彷彿とさせる濃密さであり、まさに「言語化の鬼」である。
「言語化」という言葉に関しては、この本には、次のような記述もある。
試合解説時に使用する「言語化集」もメモ書きにしています。例えば「ボール保持・非保持」、「メカニズム」、「再現性」、「予防的マーキング」、「正確・明確・効果的」、「臨機応変」、「具現化」、「振る舞い」など喋る際に使用頻度の高い言葉ですね。
スポーツ実況や解説で、解説者が専門用語を曖昧に使うと、視聴者は混乱してしまう。林陵平は、サッカー解説に際して「言語化集」を作成し、専門用語をあらかじめ定義しておくことで、解説の際に正確に使用できるようにしている。この「準備」により、視聴者に正確でわかりやすい解説を提供しているのだろう。
「読みたいことを、書けばいい。」の「定義をはっきりさせよう」の項では、言葉を明確に定義することの重要性が強調されている。林陵平の「言語化集」は、この考え方を実践しているといえるだろう。
そして、林陵平も古舘伊知郎や増田明美と同じように、選手のニックネーム、つまりキャッチコピーを事前に考えて準備している。キャッチコピーに関する記述を抜粋する。
さらに、選手を表現する時のキャッチコピーも僕はノートに書いています。ハリー・ケインなら「パーフェクト・ストライカー」、ジュード・ベリンガムなら「万能」など、パッと特徴を表現するのに役立つ一言ですね。
林陵平がキャッチコピーを使用する目的は、古館伊知郎や増田明美と同じだろう。つまり、選手の特徴や魅力を短い言葉で伝えるためである。
林陵平が解説するサッカー中継は、今のところ、ネット配信のメディアの中継が多いが、今後は、地上波のサッカー中継などでも解説する機会は増えるだろう。ぜひこの本を読みながら、サッカー観戦をすることをおすすめしたい。
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おわりに ~舞台に立って~

古舘伊知郎著「伝えるための準備学」を読み、このnoteを執筆している時期は、パリオリンピック、パリパラリンピックの真っ最中だった。
主にNHKのオリンピック中継を見ていたので、YOASOBIのパリオリンピックテーマソングである「舞台に立って」は何度となく聞いていた。
そこで気付いたことがあった。YOASOBIの「舞台に立って」の歌詞は、「伝えるための準備学」に書いてあることと全く同じであるということだ。
このnoteの締めとして、「舞台に立って」の最後の方の歌詞を引用しながら、このことを解説することにしたい。
さあ 待ちに待った舞台に立って
今鳴り響く 開幕の合図
何度も何度も イメージしてきた
どんな自分も 超えて行ける
「舞台に立って」という歌の歌詞を解釈すると、パリオリンピック、パリパラリンピックに向けて練習を積んできたアスリートに対してエールを贈る歌であることがわかる。
「待ちに待った舞台」とは、「本番」である。古舘伊知郎風に言えば、「超本番」である。
「何度も何度もイメージしてきた」というのは、本番に向けての「準備」のための「言語化」である。アスリートであれば、増田明美の練習日誌や林陵平のサッカーノートのような、「アスリートのノート術」である。実況アナウンサーや解説者であれば、古舘伊知郎の「国宝」メモのような、圧倒的な情報量の取材ノートである。
大きく吸った 息を吐いて
静かに目線を上げれば
今までの どの瞬間も
無駄じゃなかったと思えた
「大きく吸った 息を吐いて 静かに目線を上げれば」の歌詞を吟味すれば、アスリートが本番の舞台に立って、覚悟を決めた瞬間だろう。
「伝えるための準備学」の第3章「「準備の奴隷になるな」、「本番の神様に従え」」では、パワポのプレゼンを例に、準備した資料にとらわれすぎることの危険性、用意した資料を捨てる準備の必要性が語られている。
実況アナウンサーも用意した取材ノートやカンペに囚われていては、実況すべき「瞬間」に追いつけない。アスリートもいざ本番の舞台に立ったら、準備してきたことを頭の片隅に追いやり、本番の舞台に集中しないと、勝利の「瞬間」を勝ち取れないということなのだろう。
「今までの どの瞬間も 無駄じゃなかったと思えた」は、「伝えるための準備学」の第2章「「コスパ」「タイパ」なんて忘れてしまえ」に書かれている考え方と通じる。一定程度のレベルの選手を目指す分には、効率的で要領の良い練習方法はあるのだろうが、世界を争うトップレベルのアスリートにとっては、非効率であっても試行錯誤しながら「準備」にやみつきになる必要があるのだろう。そうした「コスパ」「タイパ」とは真逆の「準備」が「本番」を支えているといえる。
そうだ 夢に見ていた未来に
今 私は立っているんだ
「夢に見ていた未来」の「未来」とは、試合や大会の「本番」を指している。この「本番」の舞台に立つために、アスリートたちは日々「準備」を重ねている。
ところで、「伝えるための準備学」は、「準備とは、未来を生きること」という章で締めくくられる。「未来」という言葉が共通して出てきていることが、「舞台に立って」と「伝えるための準備学」は、同じことを伝えている理由でもある。
そう 無邪気に思い描いた
未来の私は もうそこにいるんだ
今 確かに捉えた
「未来の私は もうそこにいるんだ 今 確かに捉えた」の意味は、試合や大会の本番で、勝利につながる決定的な瞬間を捉えたということだろう。
「伝えるための準備学」の副読本の背表紙には、「瞬間は、準備によってつくられる」という一文がある。アスリートは日々の練習において、練習ノート等に「言語化」しておくことで、本番で勝利の瞬間を勝ち取るための「準備」をしている。実況アナウンサーや解説者は、取材ノート等に事前に「言語化」しておくことで、試合や大会の本番で、勝利の瞬間を捉えて的確に伝える「準備」をしている。
アスリートも実況アナウンサーや解説者も、勝利の瞬間を捉えるために、「準備」を積み重ねているといえるだろう。
最後に、「伝えるための準備学」での古舘伊知郎のノウハウは、スポーツ中継だけでなく、映画やテレビドラマ、音楽等のエンターテイメント全般を鑑賞する際にも役立つと私は考える。眼前に流れてくる映像の「瞬間」を捉えるノウハウが書かれているからだ。
私自身、ドラマの考察やひろのぶと株式会社の本についてnoteに書くことが多い。今後は「伝えるための準備学」の「言語化」のノウハウを参考にして、書いていこうと思った次第である。
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