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第24章 録音は、何を残して何を失うのか

――切り取られた声が「証拠」になるとき――


相手方が提出した反訳書面を読んだとき、私は、自分の言葉がそこに並んでいることに、強い違和感を覚えた。

確かに、私の発言だった。だが、その言葉が発せられた前後の流れは、書面の上では薄くなっていた。

会議全体の中で自然に語られていたことが、書面の中では見えにくくなっている。そのことに、私は戸惑った。

録音は、すべてを残しているように見える。だが、言葉は、録音された瞬間に意味が決まるのではない。

どの部分が抜き出され、どの順番に置かれるのか。その並びによって、同じ声は、別の意味を持ち始める。

私はそのことを、父が亡くなった年の12月10日の家族会議の録音を通して、痛いほど知ることになった。

会議は録音されていた。しかも、私には知らされないまま。

後になって相手方が法廷に提出したのは、その録音を文字に起こした反訳書面だった。

そこで私は、自分の言葉が、どのように切り取られ、どのように並べ替えられ、別の意味へ整えられていくのかを、否応なく見ることになった。

録音が残すのは、声そのものだ。

その場にあった前提や、どの話題の流れの中で発せられたのかという文脈は、容易に落ちてしまう。

むしろ録音は、必要な部分が抜き出され、別の順序へ置かれることで、一定の意味へと整理されていく。

その過程の中で、言葉は、提出される側の論理へと、静かに結び直されていく。

失われた文脈の空白は、別の意味で埋められていく。

その場で話されていたのは、父が農業を誰か一人へ正式に承継させることを確認する場ではなかった。

私は父から、家族みんなで力を合わせながら、農業を続けていきたいという話を聞いていた。

そのため、相手方が耕作に加わること自体に、違和感はなかった。

だが、父が相手方を唯一の後継者として定めた、という形の話ではなかった。

実際、農業台帳では、父が第一順位、私が第二順位の農業従事者として記載されていた一方、相手方の記載は存在していなかった。

A4の農地については、私が自宅を建てる頃から、父との間で将来を見据えた約束があった。その後も、私と父は、協力しながら耕作を続けていた。

兄自身も、「俺しか聞いてないけど」「遺言じゃないけど」という留保を添えていた。そこには、まだ記憶の揺らぎが残っていた。

会議の中で話されていたのは、父が生前、どのような言葉を残していたのかということだった。

これまで続いてきた農地の耕作を、これから先どう続けていくのか。

兄は、父から託されていた言葉を、一つずつ紹介していた。

家をどうするか。そして、いずれ母が亡くなったときの葬儀のことも、父は生前、兄に話していた。

生活の中で残されていた課題を、家族それぞれの記憶を確かめながら話し合う、そのようなやり取りだった。

実際に、私の応答は次のものだった。

「言っていたよ。親父からもそれは言われた。」

それは、兄が父の言葉をいくつか紹介する中で発した、相づちだった。

父は亡くなる前年、入院していた時期があった。その入院を、兄にも相手方にも知らせないでほしいと、父は私に話していた。

同居していた母でもなく、父は私にキーパーソンとして関わってほしいと言った。母にその役割を担わせるのは難しいと、父は考えていたのだと思う。

だから私は、入院中の父と、比較的長く話す時間を持つことになった。

父は、自分の身体のことを話した。そして、農業のことについても、少しずつ口にしていた。

「田んぼの作業が本当に大変だった」

そう話すこともあった。これから先、今まで通りには続けられないかもしれないこと。

家族で支え合わなければ、維持していくことが難しくなっていること。

それは、誰に何を相続させるかという話というより、長く続けてきた生活を、これからどう支えていくのかという話に近かった。

「体調が悪く、来年からは農業ができないかもしれない」

そう打ち明けられたのも、その入院中のことだった。

だから、兄が語る父の言葉に、私は「言っていたよ」と応じた。

それは、兄の話を裏付けるためではなく、自分が直接聞いていた父の不安と、それが重なっていたからだった。

だが、相手方が提出した準備書面には、こう書かれていた。

父が亡くなった年の12月10日、兄が、父が「家の取壊し、母の葬儀、農業の後継も弟にやってもらう」と言っていたと発言した。

これに対し、私が「そうだ。言われた。俺も聞いた」と返事した——。

いくつかの別々の話題は、一つの発言へまとめられていた。そして私の相づちは、より断定的な同意の言葉へ、置き換えられていた。

私は、そのような言葉を口にしていない。

だが、それ以上に問題なのは、言葉そのものの違いではなかった。

たとえ似た言葉を発していたとしても、その場で交わされていたのは、農業の後継を誰にするかという合意の場面ではなかった。

父の体調と、これからの不安を、家族それぞれが確かめ合う、そういう流れの中の一言だった。

いくつかの話題を一つにまとめ、相づちを同意の言葉に置き換える。その二重の作業を経て、確認の言葉は、承継への同意へと姿を変えていた。

確認として交わされていた言葉は、いつのまにか、了承の言葉へ近づいていた。確認と承認のあいだにある距離は、書面の上で、静かに縮められていた。

さらに、母が別の日、「生きている間は誰にも渡さない、分けない」と語っていたことも、私は覚えていた。

だが、その言葉は、12月10日の反訳書面のどこにも現れていなかった。

この日の記録に残っていなかったのは当然のことだったが、そのことに気づいたとき、私は不安になった。

一つの記録に残らなかった言葉は、別の記録にも、同じように残らないのではないか。

切り出された私の応答だけが、別の文脈の中で、新たな輪郭を与えられていた。

ここで起きているのは、単なる誤記や記憶の違いではない。録音という技術が、生活の言葉を、「証拠」として整理していく過程である。

私はその事実に、相手方が提出した反訳書面を、逆向きにたどることで、ようやく気づいていった。

録音は、真実を固定するものではなかった。

声はそのまま残っても、文脈は残らない。失われた文脈は、別の意味へと結び直されていく。

私は、残された声をたどりながら、切り離されていた順番を、もう一度つなぎ直していくことになった。





🌸この記事は連載
『それでも、家族と暮らしたかった』の一章です。

家族の生活が、ある日
「証拠」と呼ばれるものへ変わっていく。
その過程を、順番のまま記録しています。


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