【章間コラム2】 共有されていた前提が崩れるとき、何が起きるのか
――怯えながら暮らす、ということ――
畑は、私にとって生活の一部だった。仕事を終えて土に触れ、作物の様子を確かめ、必要な手入れをする。それは特別な行為ではなく、日々の延長にあった。
しかし、ある時期から、私が手を入れていた場所に、別の力が加わることが増えていった。
研究用として育てていたレンギョウが伐採されていた。自分で購入して運び込んだ牛糞堆肥も、ほとんど使われていた。
私は、そのたびに、強く争わなかった。やめてほしいことを伝え、できるだけ生活を壊さない形で済ませようとしていた。
ジャガイモのときも、そうだった。
母が「戻してらっしゃい」と言い、芋は家の前に戻ってきた。私は、それを引き取ってもらった。それで終わりにした。
けれど、終わらなかった。
その夏、芝が刈られていた。
農道を安定させるために育てていた芝である。根を張れば土が崩れず、やがて草刈りそのものが要らなくなる。ただし、育つまでは刈ってはならない。父はそのことを知っていた。弟にも、芝を育てているから刈らないでほしいと伝えてあった。
父が亡くなった翌年の7月2日の昼、私は実家で、弟に伝えた。あの場所の草を刈らないでほしい、と。
弟は答えた。
「母に頼まれた。」
母は、そこが芝を育てている場所だと理解していなかった。私に何も言わず、弟に頼んでいた。
私は母にも伝えた。私に断りもなく弟に頼むから、問題が起きるのだ、と。
私が母と話していると、背後から弟が来た。
突然、腕を掴まれた。実家の外へ無理やり押し出されそうになった。
「出ていけ。」
大きな声だった。さらに、髪を掴まれて引っ張られた。
その場にいた弟の妻が、
「髪の毛は引っ張ったらダメ」
と声を上げていたことを、私は覚えている。
その後、左肩の痛みが続き、腕を上げにくい状態が約二週間続いた。完治までには、一か月ほどかかった。足や腕の擦り傷もあり、こちらも治るまでに時間を要した。
その日は痛みで眠れなかった。翌日、病院を受診し、痛み止めなどの処方を受けた。
それから一か月、私は迷っていた。
弟の力を、私は止められない。家族のことでもある。この先も、こうしたことが起きるのだろうか。そう考えながら日々を過ごしていた。
私は警察に相談した。警察は弟に指導を入れたという。
それでも、被害は続いた。柿の木の枝が伐られ、農道の芝が削られた。伝えれば、また同じことが起きるかもしれない。私は言えなかった。
一年が過ぎ、私はもう一度、警察へ行った。
警察は言った。相続人の確定していない土地の作物には、警察は入れない、と。
代わりに、あの日の暴力が取り上げられることになった。芝や作物への被害は、その理由として述べることになった。
被害届を出した。現場検証が行われた。事件は書類送検され、最終的には不起訴となった。
けれど、生活の側では終わらない。
それ以降、私は、同じ場所に立っていても、以前と同じ前提でそこに立つことができなくなった。
畑は畑のままだった。家は家のままだった。土の匂いも、季節の巡りも、何も変わらなかった。
けれど、そこには見えない境界が生まれていた。
私は争いたかったのではない。生活を続けたかっただけだった。
だが、生活を続けたいという願いだけでは、安全は守られないことがある。
制度の言葉でいえば、これは一つの不起訴事件にすぎないのかもしれない。
けれど私にとっては、安心して暮らせるという前提を失い、怯えながら暮らすという条件が始まった日の記録である。
🌸この記事は連載
『それでも、家族と暮らしたかった』
の章間コラムです。
家族の生活が、ある日
「証拠」と呼ばれるものへ変わっていく。
その過程を記録しています。
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