見出し画像

【VOL.101】⛩️上賀茂神社|賀茂別雷大神の神話と神山・立砂の祈り─二十二社#06「上七社」京都北の聖地へ🙏

こんにちは。

いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。

【VOL.94】の⛩️伊勢神宮外宮、内宮から始まった「上七社巡り」─⛩️石清水八幡宮【VOL.98】、⛩️松尾大社【VOL.99】、⛩️平野神社【VOL.99】と続いてきたこの旅が、今回、京都の北の守りを担う⛩️上賀茂神社へと繋がっていきます。

今回の参拝では、以前(VOL.80)では時間の都合で十分に向き合えなかった摂社・末社を中心に、境内をじっくりと歩き直してきました。

鳥居と社号碑

本殿の空気を受け取ったあと、境内に点在する各社の前に立ち、そのひとつひとつに込められた歴史と祈りを確かめながら過ごした時間は、これまでとはまた違う深みをもった参拝になりました。

■ 二十二社「上七社」の一社として

⛩️石清水八幡宮、⛩️松尾大社、⛩️平野神社—そして⛩️上賀茂神社は、平安京の守護神として二十二社の中でも別格の位置に置かれてきた神社です。

⛩️上賀茂神社は「勅祭社(ちょくさいしゃ)」です。

天皇陛下から勅使が遣わされる勅祭社は、全国でも十数社に限られる特別な神社で、二十二社の格式が「過去のもの」ではなく、今も続く国家祭祀として生きているということを体現している場所です。

延喜式「名神大社」への列記、官幣大社への格上げ、世界文化遺産への登録(1994年)—複数の時代を経て重ねられてきた格式があります。

しかしそれ以上に、現在もなお勅使を迎える「生きた国家祭祀の場」であるということが、⛩️上賀茂神社の特別さの核心だと感じます。

世界文化遺産

■ 賀茂別雷大神の誕生神話──矢と川と雷

社伝によれば、玉依比売命(たまよりひめのみこと)が御手洗川で禊をしていたとき、川上から丹塗りの矢が流れてきました。

その矢を持ち帰ったところ懐妊し、生まれたのが賀茂別雷大神であったと伝えられています。

矢は、天から地へと飛んでくるもの。

雷もまた、天から地へと降り注ぐものです。

「別雷(わけいかづち)」という名の「別」は「分かれ出る」という意味を持つとされます。

つまり賀茂別雷大神とは、天の力が大地に分かれ出て生まれた存在—という神格の本質が、この誕生神話にそのまま込められているように感じます。

水・矢・雷・天。

この神話を知った上で「別雷」という名を心の中で唱えると、深い意味と力強さが、より一層伝わってきます。

境内に流れる御手洗川のせせらぎを聞きながら、この神様の誕生の場面を思い浮かべると、川と神様の関係が一本の線で繋がってくるようです。

鳥居と制札

■ 御阿礼神事──神様を「お迎えする」という祈りの核心

⛩️上賀茂神社の深さを最もよく示す事柄が、「御阿礼神事(みあれしんじ)」だと思います。

御阿礼神事は、賀茂祭・葵祭に先立って行われる非公開の重要な神事とされています。

「御阿礼」という言葉は「神様が出現・降臨する」という意味を持つとされており、その内容は外部に公開されていません。

見せない、語らない、しかし続ける—その姿勢の中に、古くから変わらない信仰の芯があります。

葵祭の華やかな行列の背後には、賀茂の神々へ祈りを捧げ、国家の安泰と人々の安寧を願う重い祭儀があります。

御阿礼神事のような非公開の神事を知ると、表に見える行列の美しさだけではない、賀茂祭の深さが感じられます。

参道
神馬舎
鳥居
手水舎
手水舎

■ 神山(こうやま)という御神体山──立砂の意味がより深くなる

⛩️上賀茂神社の北北西、約2キロの場所に神山(こうやま、標高約301m)があります。

社伝によれば、賀茂別雷大神がこの神山の山頂にある磐座(大岩)に最初に降臨したとされています。

神山そのものが御神体であり、本殿は神山を遥拝する方向に建てられていると伝えられています。

二の鳥居を入ったところに置かれた二基の白い砂山(立砂)—それは単なる造形ではなく、遠く2キロ先の御神体山を、境内の中心に「写し取った」ものだと考えると、その意味が一段と深くなります。

立砂の前に立つことは、神山の前に立つことでもある。

そう思いながら眺めると、白砂の静かな輝きが別の顔を見せてくれます。

⛩️松尾大社の背後にある松尾山(磐座を持つ御神体山)と同じ構造がここにもある—「社殿の背後に本当の信仰の核心がある」という感覚が、⛩️上賀茂神社でも繰り返されました。

立砂
立砂
立砂
樟橋

■ 国宝・本殿と権殿──「流造」という建築の原型

⛩️上賀茂神社の本殿・権殿は国宝です。

「流造(ながれづくり)」という建築様式の原型として、建築史上も重要な存在とされています。

屋根の前面が大きく流れるように伸びる様式で、全国の神社に広まった形式のひとつです。

そして重要なのが、21年ごとに行われる「式年遷宮」です。

社殿を修理・造り直すことで、建物の形と精神の両方を更新し続ける—「新しく造り直すことが、守り続けることである」という日本固有の時間観があります。

境内に立ちながら「これは何度目の遷宮を経た社殿か」と考えると、目の前の建築の意味が変わります。

改めて社殿の前に立ってみると、屋根の大きな流れが参拝者を受け止めるように広がっているのが感じられました。

楼門と神橋
棚尾神社
中門と本殿
中門と本殿

■ 境内を流れる水の地形──御手洗川・御物忌川・ならの小川

⛩️上賀茂神社の境内には、御手洗川(みたらしがわ)と御物忌川(おものいみがわ)という二つの川が流れ、境内の社殿群を取り囲むように合流しています。ならの小川はその流れの一部です。

水が社殿を守るように流れている—それは単なる地形ではなく、「水による祓い」という信仰的な意味を持つ空間設計でもあります。

御手洗川という名前自体が「手を清める川」であり、境内に入ることが「水によって清められていく」過程と重なっています。

百人一首にも詠まれたならの小川の流れ。

木陰にせせらぎの音が響き、この日の昼下がりの気温をわずかに和らげてくれるような清涼感がありました。

御手洗川と御物忌川
御手洗川と御物忌川

■ 境内の摂社・末社を歩く──神々の系譜を辿る旅

今回の参拝で最も丁寧に向き合ったのが、境内の摂社・末社です。

⛩️上賀茂神社の広大な境内には、摂社と末社が数多く静かに鎮座しています。

本殿だけでは見えてこない、⛩️上賀茂神社の信仰の奥行きが、こうしたお社のひとつひとつに宿っています。

以前の参拝では時間的な制約から十分に向き合えなかった場所が多かったのですが、今回はできる限り足を運びました。

それでもまだ見逃している社がある—巡礼というものの正直な姿だと思います。

【摂社】片山御子神社(片岡社)── 紫式部も通った、縁結びの摂社

⛩️上賀茂神社の境内で最も多くの人が手を合わせる社のひとつが、片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)、通称「片岡社」です。

御祭神は玉依比売命(たまよりひめのみこと)。

賀茂別雷大神のお母様にあたる神様です。

この社は、縁結びの御神徳で知られています。

平安時代の文学者・紫式部が、この社に何度も足を運び、縁を願って歌を詠んだと伝えられています。

「縁」とは、恋愛の縁だけではなく、自分がこれから進む道との縁、大切な人との絆、まだ見えていない未来への縁—そういう広い意味で向き合える場所が、片岡社の静かな空気の中にはあると感じます。

境内の一角に静かに鎮座するこの小さなお社の前に立つと、千年以上の時間をかけて積み重なってきた祈りの重みが、じわりと伝わってくるような気がしました。

片岡社
片山御子神社

【摂社】⛩️新宮神社(しんぐうじんじゃ)── 水の神・龍神の鎮まる社

新宮神社に祀られているのは、高龗神。(たかおかみのかみ)

水を司る神様として古くから信仰されてきた神格です。

龍神との関わりも語られる神様で、賀茂川の清流と深く結びついているとされています。

境内の川のせせらぎを聞きながら、この神様がお祀りされている意味を改めて考えると、⛩️上賀茂神社という場所が「水の信仰」を根底に持つ神社であることが、より深く伝わってきます。

賀茂別雷大神の誕生神話も「川上から流れてきた矢」から始まります。

水は、この神社の始まりから今に至るまで、信仰の根幹に流れ続けているのだと感じました。

新宮神社

【摂社】⛩️若宮神社(わかみやじんじゃ)── 若い命を守る社

⛩️若宮神社に祀られているのは、若宮の神様。

子どもたちの成長を守り、厄を除く御神徳が伝えられています。

本殿の賀茂別雷大神が持つ力強い雷神の性格とは異なる、柔らかさのある祈りの場所として、境内の中に静かに存在していました。

【摂社】⛩️大田神社(おおたじんじゃ)── カキツバタ群落と芸能の神様

⛩️大田神社は、⛩️上賀茂神社の境内を少し外れた場所に独立して鎮座しています。

御祭神は天鈿女命。(あめのうずめのみこと)

天岩戸神話で、岩戸の前で舞を舞ったとされる神様で、芸能・美との関わりが語られています。

⛩️大田神社の境内には、国の天然記念物にも指定されているカキツバタの群落があります。

初夏の季節(例年5月上旬ごろ)に見頃を迎えるとされており、古来より「賀茂のカキツバタ」として親しまれてきました。

境内を少し外れた場所にある社であるだけに、訪れる人は少なく、神様と向き合える静けさがあります。

※カキツバタの開花時期・大田神社へのアクセスは、参拝前に⛩️上賀茂神社の公式サイトでご確認ください。

【末社】岩上(いわうえ)─社殿ではなく、岩そのものが御神体

境内を歩いていると、一際異質な存在感を持つ場所があります。

社殿があるわけではなく、岩そのものが祀られている場所—それが「岩上(いわうえ)」です。

古代の信仰では、特定の岩や山そのものに神霊が宿ると考えられていました。

その感覚がそのまま残っている場所がこの岩上です。

社殿という「人の手によってつくられたもの」ではなく、岩という「大地そのもの」に祈る—そこに古代の信仰の純粋な形が残されているように感じます。

境内の中でも、ひと際静かな聖域です。

【末社】⛩️須波神社(すわじんじゃ)── 旅と出発を守る神々

⛩️須波神社には、阿須波神(あすはのかみ)をはじめとする四柱の神様が祀られています。

旅の安全、家内の平穏、出発を守る御神徳が伝えられています。

二十二社巡りという旅の途上にある者として、この社の前では自然と頭が下がりました。

これから先の巡礼が無事に続けられますようにと、静かに手を合わせました。

須波神社
須波神社

【末社】⛩️川尾神社(かわおじんじゃ)── 水辺に鎮まる、癒しの神様

⛩️川尾神社は、罔象女神(みづはのめのかみ)をお祀りする末社です。

水の神様として、特に病気平癒や癒しとの関わりが語られてきました。

境内を流れる川のすぐそばに鎮座しており、水音が途切れなく聞こえる場所での参拝は、それだけで心の何かが静かにほぐれていくような感覚がありました。

川尾神社

【末社】⛩️橋本神社(はしもとじんじゃ)── 長寿と健康を願う社

⛩️橋本神社に祀られているのは、稚産霊神。(わくむすひのかみ)

延命長寿・身体健全の御神徳が伝えられています。

橋のそばに鎮座するこの社は、川と境内の境目を守るような場所に佇んでいます。

川を渡るということ、生きるということ、長く健やかであること—その祈りが、この場所に込められているように感じました。

【末社】⛩️山尾神社(やまおじんじゃ)── 土台を守る山の神

⛩️山尾神社には、大山津見神(おおやまつみのかみ)が祀られています。

山の神として古くから信仰されてきた神様で、あらゆることの「土台」「根っこ」を守ってくださる神格と伝えられています。

背後に神山(こうやま)を持つ⛩️上賀茂神社の境内に、山の神様がお祀りされている—その自然な流れに、古代の信仰の構造が見えるような気がしました。

【末社】⛩️神宮寺新宮神社(じんぐうじしんぐうじんじゃ)─開運を支える社

⛩️神宮寺新宮神社には、高龗神(たかおかみのかみ)の賑御魂(にぎみたま)が祀られています。

摂社・⛩️新宮神社に祀られる荒御魂(あらみたま)に対して、こちらは穏やかな魂の側面(賑御魂)として祀られているとされています。

商売繁盛・開運の御神徳が伝えられており、⛩️新宮神社と合わせてお参りすると縁起がよいとも伝えられています。

■ 摂社・末社が教えてくれること──信仰の重層的な構造

今回、境内を丁寧に歩きながら、摂社・末社のひとつひとつに向き合うことで改めて感じたことがあります。

縁結びの片岡社、水の神・⛩️新宮神社、若い命を守る⛩️若宮神社、芸能の⛩️大田神社。

そして岩上・⛩️須波神社・⛩️川尾神社・⛩️橋本神社・⛩️山尾神社・⛩️神宮寺新宮神社。

人々が古くから、この境内に持ち込んできた祈りの多様さに気づきます。

本殿の賀茂別雷大神という大きな神格の周囲に、人々の暮らしに寄り添う細かな祈りの場が積み重なっていった—それが⛩️上賀茂神社という場所の、もうひとつの顔だと感じました。

岩本神社
加茂山口社

■ 賀茂氏という氏族──秦氏と対をなす山城国の信仰

⛩️上賀茂神社・⛩️下鴨神社の背後には、賀茂氏という氏族がいます。

秦氏は桂川流域の農耕・治水との関わりが語られ、賀茂氏は賀茂川上流・北山方面と深く結びついた氏族として知られています。

⛩️伏見稲荷大社・⛩️松尾大社が「秦氏の神社」なら、⛩️上賀茂神社・⛩️下鴨神社は「賀茂氏の神社」です。

秦氏の神社が「生業への祈り(稲荷山・松尾山・水・発酵)」を基盤とするのに対して、賀茂氏の神社は「自然神への直接的な信仰(神山・矢・雷)」を基盤としているように感じます。

都が平安京に定まる以前から、この土地の秩序を担っていた二つの氏族—その信仰が二十二社という国家祭祀の枠組みの中に組み込まれていった歴史は、「都を守る」という祈りがいかに重層的なものであったかを示しています。

橋と御手洗川と御物忌川
ご神木
願い石

■ 四社を巡って感じた、平安京を取り巻く祈り

VOL.97から続いてきた京都での上七社の旅を振り返ります。

⛩️石清水八幡宮(南西の守護)、⛩️松尾大社(西の守護)、⛩️平野神社(北西の記憶)、⛩️上賀茂神社(北の守護)—四社を続けて巡ると、平安京を取り巻く祈りの配置が、少しずつ立体的に感じられてきました。

朝廷が国家の重大事に二十二社へ奉幣を行ったのは、都を囲む祈りのネットワーク全体を働かせようとしていたからなのかもしれません。

⛩️伏見稲荷・⛩️松尾大社(秦氏)と⛩️上賀茂神社・⛩️下鴨神社(賀茂氏)。

二つの氏族の信仰が都を支えていた構図が、この巡礼の旅の中で少しずつ見えてきました。

⛩️上賀茂神社は、都が出来る前からこの場所にあった神社です。

平安京が計画される以前から、この地を守っていた祈りがある。

その事実の重みを、今回の参拝でも深く感じました。

■ 基本情報

【正式名称】⛩️賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)

【通称】上賀茂神社

【二十二社の分類】上七社・勅祭社・世界文化遺産

【アクセス】京都市バス「上賀茂神社前」下車すぐ

※ 参拝時間や御朱印、大田神社のカキツバタの開花情報などは、お出かけ前に必ず公式サイトをご確認ください。

御朱印


■ まとめ

平安京を取り巻く祈り ⛩️伊勢神宮から始まり、⛩️石清水八幡宮、⛩️松尾大社、⛩️平野神社、そして今回の⛩️上賀茂神社へ。

こうして巡ってみると、昔の人が京都の都をぐるりと囲むように祈りの拠点を配置し、街を守ろうとしていたネットワークが立体的に見えてきました。

⛩️上賀茂神社は、都が出来る前からこの場所にあった神社です。

平安京が計画される以前から、この地を守っていた祈りがある。

その重みを深く感じた参拝でした。

残る「上七社」は、⛩️伏見稲荷大社と⛩️春日大社です。

この二社を巡ることでどんな新しい発見があるのか、今からとても楽しみです。

次回は、⛩️上賀茂神社と対になる「⛩️下鴨神社(賀茂御祖神社)」についてお届けします。

⛩️上賀茂神社と一体の「賀茂信仰」の下社として、二社をつなぐ視点で改めて訪れた参拝記です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が、あなたを次の旅へと、背中をやさしく押せますように。

どうか良い一日をお過ごしください。

📚 あわせて読みたい関連記事


いいなと思ったら応援しよう!