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235.楽観的な予言者

2006.8.15
【連載小説235/260】

《時間旅行レポート-14》

この連載手記『儚き島』は、トランスアイランドという社会実験の島の変遷を、一島民のポジションから僕が不特定多数の人々に報告するノンフィクションである。

よって、そこに記される全ては、この島と僕に関わる事実ということになるのだが、実は過去に一度だけフィクションを記したことがある。

僕は小説家だから、その作品の一部を引用してこの手記で紹介したことは何度かあるが、現実の世界に関わるレポートを残す報告者の立場として創作文章を記したのは一度きりである。

で、その内容は何かというと、2002年の9月にアップしたマーシャル諸島共和国の未来に関する記述である。

そのことを思い出させてくれたのは、ほかでもないマーシャルのジョンで、先月久しぶりに島を訪問してくれた彼と語らう中に、「マーシャル2020年」と題した当時の連載の話が出たからである。
第29話

そして、かなりおぼろげな記憶となっていた4年前のレポートを再読した僕の中に、なんともいえない「焦り」の気持ちが湧き上がることになった。

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「マーシャル2020年」は、2002年の7月にカヌーで単身トランスアイランドへやってきたジョンに対して9月まで行ったマーシャル諸島共和国の未来を模索するワークショップを総括するかたちで、僕がその未来予想図をまとめたマーケティングストーリーだ。

文明国家群に翻弄されるかたちで財政問題や外交問題、地球温暖化による国家水没問題等の悪循環に陥っている小国家をどのように再生させていくのかのシナリオを、ジョンが修得した伝統的航海術を核に創作したのである。
(悪循環の詳細は第24話

で、改めて当時のレポートを再読した僕の中に生じた「焦り」とは、あれから早くも4年が経過し、描いた2020年という着地点に対して与えられた時間の1/5以上を消化したにもかかわらず、世界は何も変わっていないし、それどころか、むしろ目指す先はさらに遠くへ離れてしまったとのではないかとの思いからきたものである。

例えば、僕はそのレポートで2020年から現在を振り返る視点でこんなテキストを記している。

「振り返って考えてみると、この20年ほどの間にゆっくりとではあるが、世界は着実に良い方向に向かってきた。新世紀の幕開け後すぐに起こったテロは、世界中に暗い影を落としたが、それを教訓に、その後の国際協力の中で国家・民族間の対立はかなりの部分で解消された…」

が、現実はどうだろう?

先週ロンドンで発覚した大規模なテロ未遂事件は、一歩間違えれば再び世界が「9.11」へ逆戻りする可能性をはらんでいたし、アフガニスタンにしてもイラクにしても安定を獲得するどころか緊張状態はいまだ続いている。

そして、今度はイスラエルとレバノンの紛争が始まり、中東和平など夢のまた夢といった状態である。

「米軍が引き上げたクワジェリンの島を、その設備を上手く引き継いでハイテク基地化すると同時に、環礁の島ならではの豊かな自然環境を国際的な海洋観光地へと変身させた…」

と、僕は太平洋上の軍事拠点を平和利用に転用する具体プランまで記したが、現実的には米国のアジア・太平洋エリアにおける軍縮など困難である。

おまけに、日本やハワイを標的とする北朝鮮のミサイル実験までが勃発し、比較的平和な環境を生きていたつもりの僕の周囲にまで、重苦しい争いの気配がちらつき出した。

ヒトは常に未来というものを楽観と悲観のバランスの中に思い描く。

であるなら、悲観の中にありながらも、楽観の側により多くの比重をかけて未来の夢を語ろうというのが僕の「マーシャル2020年」だったのだが、現実は厳しく、そのシナリオを次々と否定しながら刻々と減少する残り時間の中に僕を追い詰めようとする。

が、それでも僕にはジョンという希望が残されている。

「この小さな南の島におけるミクロネシア伝統航海術をベースとしたスタディプログラムが始まる…」

「マーシャルで正式に認められた伝統航海師から古式航海の実地研修を受け、最後には近隣の島への自力航海を行う…」

と、マーシャルの現場で展開されるシナリオの方は、ジョンによって確実に具体化され、僕のフィクションを前倒しするかたちで現実のものになっているからだ。

マクロの悲観が膨らむ背後でミクロの楽観は着実にその力をつけ、起死回生のシナリオを準備している。

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現実世界に対して空想世界のストーリーを記す作家として覚悟しておかなければならないことがある。

物語が絵空事のまま完結するものであれば問題ないのだが、現実世界の未来を描くという試みや企てに対しては、いつか歴史にその真偽を問われる時がくるのである。

つまり未来予想図をストーリー化した時点で、作家は「予言者」という別なる役割を持ち合わせることになり、いつか物語の時間と現実の時間が出会う時にその先見性を評価されるということだ。

考えてみると、このポジションはタイムマシンの操縦者に近い。

過去への旅であれば、既成事実という膨大な現地情報が準備されるから、旅先で起こるあれこれへの対処も可能であるが、未来への旅は未開の地へ旅立つ冒険に似て、現地でものをいうのは洞察力や動物的な勘と運である。

つまり、そこは優れた冒険者が無事帰還するのではなく、無事帰還した冒険者が優れているという結果の世界なのだ。

だとすれば、4年前に「マーシャル2020年」を記した僕は、リスクの高い冒険に出たことになるのだが、厳しい状況が続く旅の途上にあっても引き返そうとの思いは全くないといっていい。

ジョンという「旅の友」の存在が、僕を楽観的な予言者にしてくれるからだろう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

2026年の世界を20年前に覗き見したら、悲観的な未来しか見えないでしょう。

ウクライナ、ロシア、ベネズエラ、イラン…
国際紛争は当時より複雑に拡大し、先が読めない状況です。

悲観の中にありながらも、楽観の側により多くの比重をかけて未来の夢を語ろという僕のポリシーはなんとかキープしていますが、どこに比重をかければいいのか悩ましいところです。

そもその自分が生きている100年スパンの時間の中で、何か大きな課題が解決されるというスタンスを見直すべきなのかもしれません。

人類史というものを俯瞰的は見れば、常に課題をかかえながらも、何某かの対策でもって壁を越え続けたことは事実です。

それでも未来に夢を抱くためには、自分に与えられた時間をさらに小さく切り取って、そこに楽観的なシナリオを当てはめ続けることが必要です。

20年間に読み誤った予測があると同時に当時は予測さえしなかった現実があることに打開策を見出すというポジションはどうでしょう?

具体的には「AI」という存在のことです。

今年になって僕の仕事の大部分がAI相手になりました。
ビジネスはフロントキャストからバックキャストになり、マーケテインング活動は未来学的アプローチに変わっています。

もし、20年後の世界に楽観的な姿を見出す小説を書くとしたら、その作業はAIという知的パートナーとの対話の中で行うことになります。

もちろん、AIの営みに100%の信頼は持っていませんが、結果に責任を持たない人間の愚かさを多く見てきてしまったせいで、解決策をもたらすパートナーとしてはAIに軍配を上げるというのが実情です。

ありがたいことに「マーシャル2020年」の構想と同様のビジネスに取り組むチャンスに恵まれています。

僕に20年後があるのなら、精度の高い「晩年」を人工知能と共に過ごしたいものです。
/江藤誠晃






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