世界2輪GPサーカス 第43回 さあ欧州!・・・でもイライラ続きの“格安チケット転戦”
この写真は、開幕戦日本GPのひとこま。んんん・・・タイムが出ないと頭を抱える高田孝慈。リアタイヤの空気圧を見ているのは阿部修メカ。1991年は、何回か前に登場した古厩透と阿部の二人のメカニックが担当することになった。
日本、オーストラリア、そして今週行われるアメリカGPと大陸移動の3連戦が終わると、いよいよヨーロッパラウンドが始まる。しかし、アメリカGPのレースカレンダーから外れている125ccクラスの各チームはすでにヨーロッパで準備を進めている。
チーム竹島も、オーストラリアGPが終わったその週のうちに本拠地オランダ入りした。
例えば高田孝慈の行動を追ってみるとこんな風だ。
○4月7日(日曜日)オーストラリアGP決勝。レース終了と同時にマシンを梱包。シドニー市内のホテルへ。
○4月8日(月曜日)シドニー空港から朝9時半出発のJALで日本へ。夕方成田着。新幹線で名古屋、そして鈴鹿へ。夜12時に帰宅。
○4月9日(火曜日)妻の由紀、1歳になる娘の優ちゃんと一緒に再度成田へ。夜9時半発のKLMに乗り込む。
○4月10日(水曜日)朝7時、約16時間のフライトでアムステルダム到着。
ヨーロッパラウンドの初戦、5月12日のスペインGPまで約一カ月のインターバルがあるというのに、オーストラリアから帰国した翌日に休む暇もなくヨーロッパに出発するというハードスケジュール。そんなことになったのは、ふたつの理由があった。
ひとつは、この一カ月間のインターバルを利用して充分なテストがしたかったこと。そしてふたつめはあまりかっこいい話ではないのだが、例年4月20日を過ぎると航空運賃が高くなる。ひとりだけならいいのだが、メカニックやチームスタッフの分を考えるとその金額はバカにならない。せこい話だが、その差額で少しでもいいパーツを買っていいレースがしたいではないか・・・ということで、安いチケットでヨーロッパに出発することになったのだ。
毎年のことではあるが、ここまでは全員、意気込みもやる気も満々である。
しかし、オランダに到着したその日から、これもまた例年通りなのだがイライラの連続になってしまう。というのは、ぼくたちが考えているような日本のペースでは物事が運ばないからだ。
例えばオーストラリアから送られてくるマシンの受取り、すでに日本から送ってある大量のタイヤとパーツ、食料品などが詰まったコンテナの受取り、そういったものが、オランダのやたらと多い休日、さらに一日の始まりと終わりの時間が、これもまた厳格なお国柄なので、なかなか一向に作業は進まないのだ。
ヨーロッパはどこでもそうなのだろうが、つまり、なんとかしてあげようという思いやり度数が極端に低い。昨年などは、これに加えて港湾労働者のストライキという予想外の出来事にぶつかり大変なことになった。
今年はそういうことも覚悟しての早めのオランダ入り。それが功を奏したのか、いまのところ、予想をはるかに上回るペースで作業が進んでいる。荷物の受取りもできたし、後は車に保険を入れたり、ホテル、フェリーの予約といった段階に入っている。これは、かなり余裕ある展開であり、嬉しくなってしまう。
それにしても、プライベートチームの最大の苦労は、経費をいかに節約できるかにかかっている。その金額と計算が、これもまた、実に細かい。ホンダやヤマハ、スズキの各ワークスチームが、何から何まで完ぺきにコーディネートされたパック旅行だとすれば、われわれのようなチームはチケットだけを渡されて、「さあ、行ってらっしゃい」と送り出されてしまう格安チケット現地自由行動旅行である。
どっちが楽しいかと言われれば、たぶんだけども、勿論、後者であることは間違いない。ということで、さ、今年もヨーロッパラウンドが始まる。ここまではなにもかもすこぶる順調。今年はヨーロッパラウンドも、いいスタートが切れそうだ。
(チーム「竹島」助監督)
■1991年4月18日東京中日スポーツ掲載
※4月10日(水曜日)朝7時、約16時間のフライトでアムステルダム到着・・・というのを見たときに、ああ、このころはアンカレッジ経由でヨーロッパに行っていたんだなと懐かしくなってしまった。当時は、中国、ロシア(その頃はソ連でしたね)上空を飛んでヨーロッパに飛べない時代だったので、アラスカのアンカレッジに立ち寄り、給油してヨーロッパに向かっていた。経由地のアンカレッジ空港でうどんやそばを食べてヨーロッパに向かうというのが、ひとつの楽しみだった。(F1Expressに復刻版が掲載された2016年11月1日のあとがきです)
