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自己否定をやめたいけどやめられないのは、実は、自己肯定感が低いせいじゃない。もっと深い理由があります。


「自己否定をやめたい」


口には出さずとも、
心の中、頭の中で
グルグルつぶやいている。


でも、してしまう。


・端的に言えず、長々と喋ってしまって面倒だよな

・自分の持っている仕事を時間かけて迷惑だよな

・上司に変なこと言っちゃったかな。

・顧客の気分を害してしまったかな。

・褒められたのに申し訳なく思う自分なんてって。

・こんな相談してもいいのかな。

・こんなことで大変と思っていいのかな。

・指摘されたところやれてなかったな。

・話しかけてくれたのにひと言で終わっちゃったな。

・あたふたしているの情けないな。



何かにかこつけて
まるで自己否定するポイントを
見つけに行くように。


どんどん自己否定ワードが
頭に湧き出てくる。



そもそも
「自己否定してる」って
気づいていないときもある。


「悪い/上手くいかない原因は自分にあるんじゃないか」
「自分さえ上手くやっていれば」



これもある種、自己否定。



多分、100%相手が悪かろうが、


「自分が未然に防げるには…」
とか
「なにか自分の言動が気に障ってしまったかな」
とか

思ってしまう。



むしろ、



「やめたい」って
~したい と表現できていることが

それだけ?と思うかもしれないけど
実は素晴らしいことなのかもしれない。


「分かってるけど自己否定止められない」
「やめようと思っても勝手に自己否定している」
「自分を否定して周りに合わせるのが当たり前」
「そういえば笑ったのいつだっけ?」
「あれ、なんか分からないけど涙出てくる」




心は気づいているんだと思う。



自己否定、辛いって。



でも、頭が押さえ込んでくる。



そんな自分じゃダメだって。





自己否定を抜け出したくて
色々調べていくと

「自己否定を3ヶ月で卒業」
とか
「1回のセラピーで自己否定がなくなりました」
とか


色んな文言が出てくるけど、



結果としては事実なんだろうけど

半分ウソで半分ホントなんだろう。



ホントなんだったら、

気づく→実感する→心の前提が書き換わる

がとてつもないスピードで
かつ
大量のサイクルが回っていたんだと思う。




そうじゃなきゃ、
そんなすぐ治ります?と思う。




数十年って時間を

「なんか生きづらい」
「真面目に生きてるけど苦しい」

と思いながらいるのに、


そんな簡単に治るなら


そもそも、そこまで苦しみます?悩みます?



(これも可能性を捨てるって意味で
自己否定しているかもしれないですけど)



とはいえ、

そんな簡単に治るんだったら
ここまで苦労してないわ

って思いたくなります、正直。




「自己肯定感上げましょう」
「ありのままの自分を受け入れましょう」
「頭じゃなくて心と対話しましょう」



正直な感情は
「そうできているなら悩んでませんわ」
です。



あくまで対症療法なんだなと。



無いなら作りましょう。上げましょう。
できないならできるようにしましょう。


それはそうなんだけど、


無くなってしまった、
できなくなってしまった


その根本原因もあるわけで。




なぜなら


元々ない、できない


そうじゃなくて、


無くなった。できなくなった。
ゼロの状態になってしまった。


その時間がずっとあったから。
そういう時間を生きてきたから。




この時間を蔑ろにしちゃいけないと思う。




そして、根本原因にかかわるのは


自己価値とか
存在への価値とか


ということなのかなとも思う。




言葉を話せるから


自己価値、存在価値って

表現しているけど



事の本質は



生き物としての
本能的な部分が抑圧されていると
思っている。



毒親とか
インナーチャイルドとか
愛着障害とか


幼少期や親子関係が
テーマとして挙げられやすいけど


結局は、


哺乳類っていう生き物の特性も
根本にはあると思っていて、


哺乳=未熟な状態で生まれてきて、他者から与えてもらわないと生きていけない。


未熟な状態→幼少期
他者→親


そんな構図なのではと思う。



他者と関わらない限り生きていけない、
生存にかかわる重大な問題。


だから自己価値を否定するって
存在を否定しているから
生存が脅かされる異常な状態なのでは。


見方を変えれば

そうでもしないと、
他者とのかかわりが持てない、
最善の生存戦略になってしまっているとも見える。


そうなると、

言葉でいう「自分が悪いんだ」とは
意味が変わってくる気がしてくる。




愛着というのも、


より具体的に言葉にすれば


哺乳という生存行動を
未熟な状態でも可能にするために
他者との関係を作る本能的な絆


みたいなものになるのかな。


「未熟な状態だとしてもいていい」
「未熟な状態だとしても周囲には味方がいる」
「未熟な状態だとしても周囲に求めていい」


本人(子)は自分が
未熟な状態だとは知る由もないし、

身体的に成熟した他者(親)と
比較すれば未熟と判断するだけであって。



身体的にだろうが
感情的にだろうが
時間を経過して成熟していく中で


その愛着があり続けるのが普通なのでは。


というより、


無くしてしまったら
苦しくなるのは当然だし

普通じゃない、特別な状態なんだなって思う。



だから、


自己否定にも浅さ深さはあって、


すぐ立ち直っている自己否定は、

愛着がある状態



なんだろうなって思う。

自分の存在まで否定はしないっていう。



一方で、


深い究極の自己否定っていうのは、

愛着がない状態


「自分がいていいわけがない」
「自分の味方がいるわけがない」
「自分が周囲に求めていいわけがない」



そりゃ苦しいよって思う。




愛着はない というのは違うかな。


正確には、愛着は本当はあるはずなのに隠れてしまい、

愛着がない状態での生存戦略を頭で考えて生きてきた。



がしっくりくる。



だからこそ、


無かったら上げましょう。
できないならできるようにしましょう。


その前に


無くなってしまった。できなくなってしまった。
その時間を丁寧に触れていこうよ。


そう思う。



こうやって、色々向き合いながら


どこかで自分に向けて


「よう生きてきたね」


って言えること



本当の意味での


自己否定からの卒業への足音なんじゃないかなと。



変わるきっかけは、いつも「気づき」からです。


気づきが、まさに回復と変容のスタートライン




最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。




追伸:

仕事もある。
生活もできている。
周りからは「しっかりしてる」と言われていた。


でも——家に帰るたびに、胸が重かった。

「普通に生きているだけなのに、
なんでこんなにしんどいんだろう」

その疑問に気づかないまま、

高熱でも働き続けて、
誰にも頼れなくて、
「ちゃんとしてる」と言われながら、

心は限界でした。
そして適応障害になりました。


今は——
自己否定から抜け出し、
自分を信頼しながら
心から信頼できるパートナーと共に生きています。


そして、過去の同じ苦しさを持つ人のサポートをしています。

変わるきっかけは、
自分がダメだった理由ではなく、
苦しかった根本原因を知ったことでした。

HSP、AC、MBTI、自己理解…分かっても残る
”生きづらさ”

……

その答えが、私の場合は
「サメタイプ」という心の状態でした。


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たくま|心の土台から動かす人生再起専門家 温かいご支援に感謝いたします。いただいたチップは、今後の学びをより深めるための活動費に使わせていただきます!noteは書くことを何よりも楽しく続けています。これからも見守っていただけると何よりも嬉しいです!