知っているのに動けない理由。消防訓練と「紙一枚」で見つけた、成果への最短距離
先日、ある消防関係の研修に参加してきました。
研修といえば、座学中心の研修を思い浮かべるかもしれません。しかし、今回の研修は、半分以上が、実際に機材を動かし、体を動かす「実践形式」の研修でした。
消火器のような馴染みのあるものから、普段は触れることすらない「防災盤」のような複雑な器具まで。色々な機会を、次から次に触っていきます。
研修が始まる前、私たちはまず座学で詳しくレクチャーを受けました。講師の説明は非常に明快で、資料も分かりやすい。説明を聞いている最中、私は「なるほど、これで大丈夫!」と思っていました。手順は頭に入り、シミュレーションも完璧です。
ところが、いざその機材の前に立ち、「では、やってみてください」と言われた瞬間、事態は一変しました。
手が、動かないのです。
「できない」というレベルではありません。「全く動けない」のです。次に押すべきボタンがどれだったか、周りにどんな声掛けをするのか、あんなに自信満々だったはずの知識が、まったく役に立たないことを痛感した瞬間でした。
「わかる」と「できる」は、なぜこんなにも違うのか
皆さんも、ビジネスの現場で同じような経験はありませんか?
素晴らしい経営書を読み、セミナーを受け、「よし、明日から実践しよう」と決意したはずなのに、翌朝デスクに座ると昨日までの熱量はどこへやら。結局、いつものルーチンに飲み込まれてしまう……。
なぜ、座学で完璧に理解したはずのことが、実践の場では通用しないのでしょうか。
その理由は、文字や言葉で得た「情報」と、実際に機材を動かす「身体的動作」の間にある大きな隔たりにあります。知識を得ることと、それを体で使いこなし「知恵」に変えることは、全く別の次元の話なのです。
私たちはインプットだけで「成長した気」になりがちですが、現実はそれほど甘くありません。知恵にまで落とし込まれていない情報は、いざ実践しても「できなかった」という苦い結果を残すだけです。
消防研修で私が得た最大の収穫は、「人は説明を聞いただけでは、何もできない」という、極めてシンプルな教訓でした。
なぜ座学だけでは、人は動けないままなのか
私が開催している「紙一枚」思考整理術のセミナーは、「実践できるようになる」ことを大切にしています。
3時間のセミナーのうち、私は、私が話す時間を出来るだけ短くしてています。時間の半分以上、下手をすれば3分の2近くを、受講者の皆さんに「実際に書いてもらう」ワークの時間に充てています。
正直に申し上げれば、16分割のフレームワークの「書き方」だけなら、15分もあれば説明できてしまいます。それは、非常にシンプルなものだからです。
では、セミナー中に、何度も書いてもらううのはなぜか?それは、皆さんに「書けない」という経験を、セミナーの場で体験したもらいたいからです。
「頭ではわかっているけれど、いざペンを動かそうとすると、どの枠に何を書いていいか迷う」
「抽象的な言葉ばかり並んで、具体的なアクションに落ちていかない」
ワークの最中、会場には独特の静寂と、ペンが走る音、そして時折、小さなため息が混じります。その「産みの苦しみ」こそが、脳が「わかっている」状態から「できる」状態へと脱皮しようとしている証拠なのです。
もし私が、3時間ずっと「効率的な思考整理のコツ」を講義し続けたらどうなるでしょうか。皆さんは「良い話を聞いた」と満足して帰られるでしょう。でも、翌日職場のデスクで紙を広げたとき、1文字も書けないで終わってしまうかもしれません。
それは、私にとって最も避けたい事なのです。
「3回繰り返す」だけで、知識が行動に変わる理由
セミナーの中で、私は同じテーマや似た構成で、ワークを3回ほど繰り返します。
1回目は、多くの人が戸惑います。
先日のセミナーでも印象的なことがありました。大手企業でマネージャーを務める方が参加されていたのですが、最初のワークは「16分割メモを使った自己紹介」。自分のことを16個、書き出してもらうというものです。
ところが、その方のペンは途中で止まってしまいました。40年以上生きてきて、様々な経験を積んできたはずなのに、自己紹介の項目が10個も出てこない。会場を見渡すと、似たような状況の方が何人もいました。
2回目は、少しコツを掴み、疑問が出てきます。その疑問を参加者同士でシェアし、解決策を共に探ります。私からのアドバイスや、他の受講生の感想を聞くことで、「ああ、そういう風に考えればいいのか」と気づきが生まれてきます。
そして3回目。今度は「仕事上の問題を解決するアイデア」を16個書き出すワークです。自己紹介よりも難しいテーマのはずなのに、先ほどのマネージャーの方は、今度はスムーズにペンを走らせていました。16個、すべてのマスを埋めることができたのです。
この頃になると、皆さんのペンの運びは明らかに滑らかになります。このプロセスを経て初めて、16分割メモは単なる「ノウハウ」から、その人の「道具」に変わります。
実際、受講生の約8割の方が、セミナー後もこのメモを使い続けてくださっています。この数字は、講師としての私の自慢ではありません。受講者の皆さんが、セミナーの場で「できる」という手応えを掴み、その感覚を職場に持ち帰ってくださった結果です。
後日、あのマネージャーの方からこんな報告をいただきました。「会議の前に、紙一枚で論点を整理してから臨むようにしたんです。そうしたら、1時間たっても決まらなかったミーティングが、45分で結論が出るようになりました」
「わかった」で終わらせず、「できた」という小さな成功体験を、その場で3回積み重ねる。消防訓練で言えば、レバーを引く力加減を体で覚え、警報音の中でも冷静に手順を踏める状態になるまで、何度も機材の前に立つのと同じです。一度体が覚えたことは、緊急時にも自然と手が動くようになります。
成果を出し続ける人が、必ず持っている「実践感覚」
ビジネス全般において、成果を出し続ける管理職や経営者の方々に共通していること。それは、「知っている」ことに価値を置かず、「体得している」ことに重きを置く姿勢です。
彼らは、新しい理論を聞いたとき、「それはどういう理屈か?」と問う前に、「まずやってみるとどうなるか?」を考えます。そして、小さく試して、失敗して、調整する。このサイクルを高速で回しています。
「紙一枚」の思考整理も、目的は綺麗に書くことではありません。書くことで思考を可視化し、迷いを消し、次の一歩を「踏み出せる状態」にすることです。
16分割の枠を埋めるという行為は、いわばビジネスの現場における「型」の稽古です。毎日1枚、自分の思考を枠に流し込む。その繰り返しが、いざという時の判断力や、部下への的確な指示へとつながっていくのです。
消防研修の最後に、私はもう一度、最初は動かせなかった機材の前に立ちました。手順はもう、暗記したものではありません。手が、次にどこを触ればいいかを知っている状態。そのとき感じた安心感こそが、プロフェッショナルが持つべき「自信」の正体なのだと気づきました。
皆さんは今日、何か「やってみた」ことはありますか?
もし、「わかっているけれど、動けていない」ことがあるなら、まずは紙を一枚用意して、ペンを握ってみてください。立派な戦略を練る必要はありません。まずは、今の迷いや現状を、枠の中に書き出してみる。
その「指先を動かす」という小さな実践の先にしか、私たちが求める「成果」という景色は広がっていないのだと思います。
皆さんと共に、私も日々、新しい「紙一枚」に向き合い続けたいと思います。さて、明日は何を「できる」ようにしましょうか。
