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焚き火のとなりで

仕事しかしてこなかった男が、急にキャンプを始めた。

40代になってから、ビジネスマンという生き物が、妙にかっこよく見えなくなった。

若い頃は違った。

起業している人を見ると、素直にすごいと思えた。
会社を大きくしている人。
売上を伸ばし続けている人。
寝る間も惜しんで働いている人。

「俺もああなりたい」

そう思っていた。
仕事ができること。
結果を出すこと。
人から評価されること。
それがそのまま「かっこいい大人」の定義だと信じていた。

だから、ずっと仕事をしてきた。
朝から晩まで仕事。
休日も仕事。
食事をしながら仕事の話。

「仕事が楽しい」

そう言っていたし、実際、嫌いではなかった。
むしろ好きだった。
だから、それでいいと思っていた。

---

ある日、同い年の経営者仲間と飲んでいた。
彼とは、こういう場で何度も顔を合わせている仲だ。
その日も当然のように、仕事の話をしていた。
売上がどうとか。
採用がどうとか。
新しい事業がどうとか。
いつもの話だった。

でも、その日はなぜか途中で、ふと思った。

「……俺たち、仕事の話以外、してないな」

40代のおじさんが二人で集まって、話していることが全部仕事。
別に仕事が悪いわけじゃない。
でも、

「それ以外に、俺には何があるんだろう」

と急に不安になった。

それからしばらくして、古い友人に誘われてキャンプに行った。
彼とは中学からの付き合いで、こういう誘い方をするのは珍しかった。

正直、最初は乗り気ではなかった。
「キャンプって何が楽しいの?」くらいに思っていた。

テントを張って。
火を起こして。
肉を焼いて。
酒を飲む。
それだけ。

仕事の成果も出ない。
売上も増えない。
人脈も広がらない。

最初は、
「これ、何の意味があるんだ?」
と思っていた。

でも、夜になって焚き火を眺めていたら、不思議と気持ちが落ち着いてきた。
誰も仕事の話をしていない。
売上の話もしない。
会社の話もしない。
ただ、火を見ている。それだけ。

しばらくして友人が、ぽつりと言った。

「なんか、いいな」

「何が?」と聞くと、

「こういう時間」

そう言って、静かに笑った。
そのとき、少しだけわかった気がした。
俺は今まで、意味のあることしかしてこなかったんだ、と。

仕事になること。
成長につながること。
誰かに評価されること。
将来のためになること。

そんなことばかり考えて、生きてきた。
でも、人生って本当にそれだけでいいのか。

---

帰ってから、少しずつキャンプ道具を買い始めた。
テントを選ぶ。椅子を選ぶ。ランタンを選ぶ。
誰かに見せるためじゃない。仕事にもならない。
でも、楽しい。

「次はどこに行こうかな」

そんなことを考えている自分が、少し新鮮だった。

仕事が嫌だったわけじゃない。辞めたいわけでもない。
むしろ今でも仕事は好きだ。
ただ、仕事だけで自分の人生を満たそうとしていたことに、ようやく気づいた。

若い頃は、外側の評価が必要だった。
年収。役職。会社。売上。肩書き。
それが、自分の成長を教えてくれる唯一の物差しだった。

でも、その物差しで生き続けたら、たぶん終わりがない。
上には必ず上がいる。
売上が増えれば、もっと大きな会社がある。
年収が上がれば、もっと稼いでいる人がいる。

外側の評価を追い続けていたら、
「まだ足りない」がずっと続く。

だから最近は、
「自分の人生を、自分で面白くできるか」
を少し考えるようになった。

かっこいい大人って、仕事ができる人だけじゃない。
お金を持っている人でもない。肩書きがすごい人でもない。

たぶん、仕事がなくても、自分で自分の人生を楽しめる人。
そして、仕事があるときは仕事も楽しめる人。
そんな人なんじゃないかと、40代になってようやく思えるようになった。

---

その週末も、仕事を終えたらキャンプ道具を車に積んだ。
次の行き先は、あの友人が「一度行ってみたい」と言っていた湖畔のキャンプ場に決めていた。

助手席に積んだ荷物を見ながら、スマホで彼にメッセージを送る。

「来週末、あの湖どう?予約取れそうなら押さえとくよ」

既読はつかなかった。
まあ、平日は忙しい男だから、と思って気にしなかった。

数日待っても返信がない。
珍しいな、と思いながら電話をかけてみた。
呼び出し音のあと、聞こえてきたのは彼の声ではなく、聞き覚えのない女性の声だった。

「……あの、失礼ですが、どちら様でしょうか」

友人の名前を出すと、電話の向こうで一瞬、間があった。

「主人は……三年前に、亡くなっています。過労で、心臓が」

三年前。

頭の中で、日付が音を立てて崩れていくのがわかった。
経営者仲間と飲んで「俺たち仕事の話しかしてないな」と思ったあの夜。
あれは、三年前より、あとの話だったはずだ。
つまり——初めて彼にキャンプへ誘われたときには、もう彼はこの世にいなかったことになる。

震える手で、写真フォルダを開いた。
焚き火を挟んで、たしかに二人分の椅子が写っている。
けれど、彼が座っていたはずの側には、影も落ちていない。
炎の照り返しも、彼の顔にだけ映っていない。

「なんか、いいな」

あの夜の声が、耳の奥でもう一度再生される。
静かで、疲れていて、どこか安堵したような声。
——そうか。あれは、誘っていたんじゃない。
彼のほうが、まだ火のそばに、行きたかったんだ。

働きすぎて死んだ男が、働きすぎている生きた男の隣に座って、
一緒に、何もしない時間を過ごしていた。

道具箱の中で、ランタンがひとつ増えている。
買った覚えのない、古い型のランタンが。

今夜も、車に荷物を積む。
助手席には、誰も乗っていない。

でも、キャンプ場に着いて椅子を二つ並べる手だけは、
なぜか、止められずにいる。



この物語が心に残った方へ。

仕事、家族、夫婦、友人、親、老い。
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読み終えたあと、いつもの景色が少しだけ違って見える。
そんな物語を届けられたら嬉しいです。

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