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私のアトピー体験談|重症から改善までの記録



はじめに


私は生まれて間もなくからアトピー性皮膚炎と付き合い、悪化(再燃)と改善を繰り返してこれまで歩んできました。
この記事には、私自身の体験を率直に綴っています。

状況を正しく伝えるため、重く感じる表現や不快に思われる描写も含まれています。
読んでいて「つらい」と思ったら、その時点で閉じていただいて大丈夫です。


それでも読み進めてくださる方へ──

私が再燃と改善を繰り返し、今に至るまでの歩みを、正直にお伝えします。


(*再燃:症状が軽快・消失した後に、再び悪化したり出現することを指します)



幼少期──アトピーと共に始まった日常



私とアトピーの付き合いは、生後3ヶ月から始まりました。

物心ついた頃には、すでに肘や膝の裏はガサガサ。無意識にかきむしって、服にポツポツと血がついていることもしばしばでした。


私にとっては、そんな日常が「ふつう」で。
悲しいとも、特別つらいとも思いませんでした。


とはいえ、親から見た我が子の姿は不憫だったのでしょう。
裕福な家庭ではなかったのに、アトピーに良いと聞けばあれこれ買ってくれ、ニオイのきつい入浴剤も毎晩お風呂に入れてくれました。


状態が酷く、首に包帯を巻いて登校した日には、物珍しさにクラスメイト達が集まってきました。
中には「見せてよ」と包帯をめくろうとする子もいて──

もう二度と巻くものか、と心に誓った小学1年の私でした。



思春期──悪化と涙の高校生活



小学2年頃から、その後何年もアトピーは出なくなっていました。肌が弱いのは変わりませんでしたが、「洗剤さえ触らなければ大丈夫」と、周囲の子と変わらない生活をしていました。


中学生の頃、再び姿を現したのは500円玉サイズの湿疹。じわじわと広がってはいたものの、病院の薬でごまかしていました。

無事受験が終わり、高校へ入学。小学生の頃からずっと憧れていた部活(全国大会入賞の強豪校)にも入れて、毎日が充実していました。

まさか、数ヶ月後に地獄が待っているとも知らずに──。

制服の襟が刺激になり、首の湿疹がまた出てきました。
高校の制服はウール製で、私が最も苦手な素材。首に触れないよう襟を引っ張っても、着るだけでザワザワするような刺激を感じていました。


そして、汗。

所属していたのは文化部なのですが、強豪校だけあって練習にも気合が入ります。当時は校舎にエアコンもなく、部活の間は常に汗がしたたる状態。痒みは日を追うごとに悪化していきました。


夜もろくに眠れない。
進学校だから、予習復習は絶対。
体は日ごとに衰弱してゆき、大会に出場した頃には生理の出血も止まらなくなっていました。
それが無排卵月経であることも理解していました。

練習中も痒みに耐えられなくて掻いてしまう。大好きな部活に集中できない。成績も落ちこぼれ。


とうとう部活を辞めることになりました。
部員全員の前での退部の挨拶。

「あれ?…どうして私ここに立っているの?」

ふっと目が覚めたような感覚になって。


みんな頑張っているのに。
何でこうなっちゃったんだろう。


情けなくて、悔しくて。涙が次から次とあふれて、言葉になりませんでした。


高校1年、1学期。私は早くも目標を失いました。
それでもアトピーだけは治したい。その一心で、夏休みに県外の病院へと足を運んだのです。


その頃にはまぶたが赤く腫れ上がり、目もほとんど開かず、元の顔もわからない状態でした。

「重症ですね」

と医師は言い、見たこともない太い注射を打たれました。
温熱作用のある機械に入った私は、「こんなに寝たのいつぶりだろう」と思うくらい、すやすやと寝ていました。


しかし自宅に帰ってからが本当の闘いでした。

「治したいなら文句言うな」

医師に叱られながら、吐きそうなほど臭い粉薬を飲み、怪しげなサプリも飲み…
その甲斐あってか症状は改善し、学園祭には元気な姿で参加できました。


人並みに青春を謳歌し始めた私ですが、高校2年の夏、ある事件の被害に遭い、他人が怖くなりました。
教室にいるのが苦痛で、欠席や早退を繰り返すようになります。


ストレスも影響したのでしょうか、症状は少しずつぶり返してきました。
首と肩の間には、くっきり赤黒い色素沈着。
「これはもうダメだ」と自分でも分かるようになっていました。

恥ずかしい話、耳の付け根だけでなく、乳首の根元にも亀裂が入り、皮膚の中身が見えていました。


その頃取り組み始めたのが、食事療法です。
実は一年前にかかった病院で見つけた医師の名前を、母が記録していて。
アトピーの名医と呼ばれるその医師の治療は、食事療法を軸としていました。

ただ、病院はとても遠く、飛行機でないと向かえません。飛行機代だけでも一人片道3万円以上。自宅から空港までの電車賃も必要で、二人で向かって宿泊して…治療費も高額になることでしょう。

この時ばかりは母も「悪いけど、行かせられない。食事で頑張ろう」と言いました。


とはいえ、いざ始めてみると食事療法は厳しいものでした。


「もう何作って良いか分かんないわよ!!」

母が怒り出すほど、これまで食卓に並んでいたものがほとんど禁止。怒るのも無理はありませんでした。
1ヶ月経ち、3ヶ月経ち…症状は良くなっているのかも分からず。それでも「絶対良くなるんだ」と信じて、私は厳格に守り続けました。

ある時、姉妹病院が新幹線で行ける場所にあると知り、受診することに。

半年以上食事制限を続けてきたことを伝え、独自配合の軟膏を数種類処方されました。
病院近くに住んでいた伯母は歓迎し、自宅へ泊めてくれました。


その夜のこと。布団に入ると、これまでに経験したことのない凄まじい痒みが私を襲いました。

──とても気持ちの悪い例えですが、


「首全体に、何万匹という蚊が隙間なくびっしり張り付いて血を吸っている」

そんな感覚でした。

「かゆい!!!…なんで!?軟膏塗ったのに…」

終わらない、気の狂いそうな痒み。
真っ暗な部屋で不安が押し寄せてきます。


「これで良くならなかったらどうしよう…」


隣で寝ている母を起こさないように、私は歯を食いしばり掻き続けました。痒みはその後も何時間と続きました。




───気づけば、朝。雨戸から光が差し込んでいました。


「具合どう?」と尋ねる母に、「一晩中かゆくてダメだった」そう言いかけて、気づいたんです。かゆみが消えていることに。


嘘みたいな本当の話です。
あんなに長時間掻きむしったのに、血や滲出液も出ていない。ガサガサもなく、赤みも引いていました。
一体どういうことなのか、理解できませんでした。


指示があった通りステロイドの濃度も落とし、やがて保湿だけになるまで二週間ほど。あっという間の出来事でした。

再診時には「劇的な回復」と医師も驚いていました。こんなスピードで良くなるのは非常に珍しいそうです。
「半年前から食事制限を行っていた影響が大きかったのだろう」とのことでした。


この時、食事がいかに大切であるかを、私は身をもって知ったのです。



社会人時代──再燃と改善の繰り返し


短大入学を機に一人暮らしが始まり、そして社会人生活。

孤独感から過食傾向になって急激に太ったり、忙しさから加工品を口にすることが多くなったりと、あまり健康と言える状態ではありませんでした。
それでも可能な範囲で食事療法は続け、幸いなことにアトピーは出てきませんでした。

吹き出物やPMSの治療がきっかけで漢方を飲んだり、さまざまな食事療法を取り入れ始めたのもこの頃です。

20代後半、夏になると首にアトピーが出て不便を感じるようになっていました。
そのころ周りには体質改善やアトピーに詳しい方々が多く、教えてもらった方法を試したりして、なんとか凌いでいました。


どうにもできない再燃の波がやってきたのは、30代に入ってからでした。


結婚を機に知らない土地に引っ越し、仕事もゼロからのスタート。
本来なんでもなかったはずの冬に症状が出始めました。

「何だろう…今までこんなこと無かったのに」

春になり、状態は日に日に悪化。
悪化の引き金になりそうなものを食事から排除しても、全然良くなりませんでした。


アトピーを自力で改善した方のブログやメルマガを読み、試せるものは全て試しました。

それでも症状は変わらない。ジクジク、赤み、ガサガサ……皮が剥がれて落ち着いたと思っても、また同じサイクルの繰り返し。

「あぁ、昨日は何食べたっけ……」


見知らぬ土地、慣れない接客業。
物おぼえも悪く、コミュニケーション下手な私は職場でも完全に孤立していました。

明るく振る舞わなくては。
早く仕事を覚えなくては。


勤務中も休憩時間もメモを持ち歩き、常に緊張状態。

「おはようございます!」「ありがとうございます!」
通勤の車の中で笑顔を作っては念仏のように唱え、ネガティブな出来事も頭の中でポジティブに変換して。
ひたすら感謝、感謝、感謝……。


そんな行動とは無関係に、ひび割れた首からは無数の皮がパラパラとはがれ落ちてきます。
人目につかない所で、制服の襟を何度も何度も払いました。


肌の状態は「重症」と言われた高校時代よりも酷いものでした。


次第に体がどんどん痩せ細り、40kgを切りました。力いっぱい押しても移動式のキャビネットすら動かせません。
全身の骨が浮き出て、お風呂の鏡から目をそらしました。


「みんな迷惑している」

同僚からのその一言で、退職を決意しました。


仕事が続かなくてごめんね。
見苦しい妻でごめんね。

夫に対しても、申し訳ない思いでいっぱいでした。


…そんな私でしたが、縁あって新しい職場へ。
はじめからアトピーのことを上司にも伝え、患部が目立たないような配慮もしてもらえました。

忙しい仕事ではあったものの、同僚はみんな親切で「〇〇が効くらしいよ」と声をかけてくれて。
実際に効くかどうかより、その気持ちが嬉しかったです。


「とりあえず首元はカバーして、周囲に迷惑をかけずに働ければいい」
そう思えるようになりました。


ただ、顔や手にも症状が広がれば仕事にも影響してしまいます。
これ以上の悪化はなんとか食い止めないと……。

なぜ再燃したのか、自分のアトピーの特徴、症状のサイクルや悪化しやすいタイミング……
さまざまな視点から見つめ直すことにしました。


長期的に少しずつ改善法を見つけていこう。
そう思った矢先、これまでの経験をヒントにした何度目かの挑戦で、あれだけ酷い状態だったアトピーがすっかり改善してしまったのです。


ほんの数日前まで真っ赤な肌をしていたのに、気づけば湿疹も何もなくなり、肌も隠す必要がなくなって。
あっという間の出来事に、同僚たちも驚き、喜んでくれました。


お客さんに対しても、尻込みせず話ができる。

気兼ねなく友達にも会える。
もう隠すための服装を考えなくていい。

───なんて自由なんだろう。

苦しんでいる間と解放されてからでは、見える景色が全く違っていました。


───そして現在。


これまで何度も体験した再燃の経験から、自身の悪化の原因がほぼ確定できたので、それらを避けて生活しています。

色素沈着は完全には消えないため、他の人に比べれば暗い色ですが、それでも首まわりの空いた服を着られるようになりました。


ちなみに夫とは諸事情あって離婚し、職場も辞めて地元に帰りました。
そう話すと、なんだか不幸に聞こえるかもしれませんが……


夜眠れる。
外に出られる。
お化粧ができる。


そんな何気ない日常が、私は幸せだと思っています。
健康な人にとっては当たり前にできることも、かつての私にはできなかったのですから。




おわりに


転んでも転んでも、それでも私が諦めずに立ち上がれたのは、一緒に走り続けてくれる母の存在があったからです。
私ひとりでは、到底ここまで来られませんでした。改めて、母にありがとうを伝えたいです。



そして今、アトピーで苦しんでいる方へ。
私が何よりも伝えたいのは、「信じる心を持ち続けてほしい」ということです。


アトピーになると、疑心暗鬼になってしまいがちです。
「今度こそ」と信じて、何度失敗したか…そんな方も多いでしょう。
詐欺被害が今もなお後を絶たず、悪質なアトピービジネスには十分注意が必要です。

ただ、せっかくいい情報が入ってきても「そんなの効かない!」と突っぱねてしまっては、改善のチャンスを逃してしまいます。

極端な話、改善する手段は何でも良いと私は思っていて。一人一人体質も違うように、改善法にも絶対はありません。

病院の薬でも、食事療法でも、それ以外でも。
あなたが健康を取り戻して、「生きていて良かった」と心から笑顔になれるなら、どんな方法でも良いと思うんです。


もちろん、信じる相手は私でなくても構いません。(信じてもらえたら嬉しいですが!)

家族でも友達でも病院の先生でもインフルエンサーでも、誰でも良いので。

「これで良くなるかもしれない」
その思いが、未来を変える第一歩です。
一歩だけでも踏み出して、どうか改善のチャンスを掴み取ってください。



ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

この体験がどなたかの力になれば幸いです。
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次回からは具体的な工夫や改善のヒントも書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。


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