愛の選択~不完全でも揺れながら生きる私へ~
この世界は、あらゆるものが愛に包まれている。
愛はいつもそこにある。
けれど私たちは、その愛の中で、常に何かを選びながら生きている。
選択とは、ただの行動の分岐ではなく、意識の表れ。
その選択に流れているのが、愛なのか、欠乏なのか。
それを見つめることで、自分の“あり方”が浮かび上がる。
私はずっと、「愛でない選択をする人は、提供者の資格がない」と思い込んでいました。
「だから私は、そんなふうにはなれない」とも。
だから、旗を振って何かを教えている人たちは、
みんな“愛だけ”をベースに選択している人に違いないと信じて疑わなかった。
でも、現実には、どこか辻褄が合わないこともあって、
私はそのたびに「私の感覚のほうが間違っているのかな…」と自分を責めていました。
モヤモヤしていたのは、自分の未熟さや、至らなさのせいだと思っていたんです。
でも違いました。
どんな立場にあっても、人は時に無意識の習慣や恐れから選択する。
それは「こうするしかない」という狭い視野や、
「以前こうしたから今回も」という過去への執着として現れることもある。
愛ではなく、不安や欠乏をベースにしていることも、当然ある。
それは人間だからこそ。
なんだ・・・。そうだったのか。
私と同じじゃん。
「ちゃんとしていない自分には、価値がない」
「不安を感じる私は、愛の存在にはなれない」
無意識に握りしめ、自分を厳しくしていた価値観を手放しました。
選択とは、出会いでもある。
誰と出会い、何に響き、何を赦し、何を手放すか。
すべては、“自分がどこから選ぶか”——その一点に宿っている。
だからこそ、自分を整え、静かにその源を感じ取る力を養うこと。
自分の持っているものを知り、何を震わせ、何に共鳴し、何に違和感を覚えるのかを、
微細に受け取る感性を磨いていくこと。
それは、自分を厳しく律するためではなく、
もっと自由に、自分自身の感性で選べるようになるための“感覚のチューニング”。
愛はいつだってそこにある。
ただ、“どこから選ぶか”は、自分にしか決められない。
ちゃんとしていなくても、間違っても、不安を感じても、いい。
大切なのは、何度でも「愛を思い出し、愛を選び直す」こと。
それが“愛をベースに生きる”ということなんだと、
ようやく心の深いところで理解できました。
この気付きは、「私にとって大きな発見でした。」
完璧であらねばという思い込みを手放し、
不完全でも、揺れながらでも愛とともに生きる。
そんな私をようやく赦すことができました。
そして何より、それを自分の内側から出てきた言葉で綴れたことが、心から嬉しい。
それでいいし、それがいい。
私は、私のままで、愛とともにある。
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