方言とアイデンティティを考える
「久々に方言をしゃべる自分に違和感がある……。なんか寂しい」
と、地元から長く離れて東京で働く友人が言った。
私としては、ずっと地元にいて常に方言を喋っているので、「方言」と「標準語」の境目やイントネーションを意識することはない。
けれど、しばらく離れて地元に戻ってきた友人には、「あ、方言だ」という違和感があると言う。地元なのに、周りの方言が耳につく観光客のような。自分が方言をしゃべると「エセ方言」のような恥ずかしさを感じるような。
「この寂しさを、なんて表現したらいいか分からないけど、伝わってほしい。」という。
そんな話を聞きながら、寂しさの理由を考えていた。「アイデンティティの喪失」というと、大袈裟だけれど、方言を遠く感じて寂しいと感じるなら、
「方言は自分を構成するパーツのひとつ」かもしれないなと思った。

アイデンティティってなんだろう。
友人の話をきいていると、アイデンティティって、自分とは何者かという証明書のような「固定されたもの」ではなく、生きていく環境や経験によって変わっていく、「自分の輪郭」のようなものなのかもしれないと感じた。
それなら「喪失」という言葉よりも、「新しいアイデンティティの形成」という方が近い気がした。
きっと、その変化は緩やかで普段は気づかない。だから、自分の変化を意識する瞬間のことを、noteには、たくさん書き留めておきたいなと思った。
【8月のみんなのフォトギャラリー】

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