2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(第26回)「信長を笑わせろ」

長宗我部元親との約束
織田信長は、阿波三好一族の甘言を受け入れ、かつて長曾我部元親と交わした「四国切り取り次第」の約束を容赦なく反故にしました。
しかし、明智光秀の必死の説得にも応じず、断固として拒絶の姿勢を貫く長宗我部元親━━。
「どういてじゃ」(どうしてじゃ)
両者の亀裂は、もはや決定的なものとなっていました。
刺客
1581年(天正9年)、場面は、安土城付近の「桑実寺観音」として有名な桑実寺(滋賀県近江八幡市安土町桑実寺。繖山(観音寺山)の中腹)━━。


織田信長、明智光秀、堺の豪商・今井宗久、そして織田信孝、織田信澄、三好康長らが顔を揃えていました。張り詰めた空気の中、明智光秀から「元親、恭順せず」の報告を受けた織田信長は、即座に長宗我部討伐のための鉄砲を手配を今井宗久に依頼します。
「おおきに」

会談が終わり、廊下を歩いていると、刺客が━━。
織田信長の近習・森乱丸が刺客を倒しますが、混乱に紛れ、寺の僧に扮した刺客が織田信長に向かいました。
「危ない!」
咄嗟に身を挺して織田信長をかばった織田信澄が、腕を斬られました。その時の織田信澄の苦悶の表情を目にした瞬間、織田信長の脳裏に、かつて自らの手で葬った実の弟・織田信勝(織田信澄の実父)の幻影が禍々しくよみがえりました。
織田信長は、激情のままに寺を取り壊すよう命じましたが・・・まずは、
「寺が反織田勢力に乗っ取られたようだ。僧侶を探せ。どこかに捕らわれているか、殺されているはずだ」
じゃないの?
そもそもなんで桑実寺で会うの? 安土城でいいじゃん。
【史実】 刺客の話は創作でしょうが、桑実寺の僧侶を処刑したことは史実です。織田信長が竹生島へ参拝に行く時、陸路で長浜、そこから水路で竹生島という往復30里の長い行程であったので、「長浜に泊まるだろう」と考えた女房達が桑実寺参りへ行くと、織田信長はすぐに戻って来て、女房達がいなかったので、女房や桑実寺の僧侶を処刑したそうです。
(桑実寺は)一時期荒廃していたが、1576年に安土に居をかまえた織田信長によって保護された。しかし、1582年には、安土城の女中たちが自分の留守中に禁足を破って参拝に訪れたことを信長が咎め、女中たちと彼女らを擁護した桑実寺の高僧たちを殺害するという事件が起きた。
(天正九年)三月十日 信長、御小姓衆五、六人被召列、竹生島御参詣。長浜、羽柴筑前所迄御馬にめされ、是より海上五里御舟にて御社参。海陸共に片道十五里之所を日之内に上下三十里之道被成御帰城希代之題目也。併御機力も余人にかはり御達者に御座候之処、諸人奉感候也。「遠路に候へば、今日は長浜に御逗留候はん」と何れも存知之処、御帰候て、御覧候へば、御女房たち或は二丸まて出られ、或、桑実寺薬師参りも有、御城内は行あたり𫪛(もだへ)焦(こがれ)仰天無限。則、くゝり縛、桑実寺へ「女房共出し候へ」と御使を被遺候へば、御慈悲に御助候へど、長老詫言申上られ候へば、其長老をも同事に御成敗候也。
羽柴秀吉の帰還
天正9年10月25日、吉川経家が切腹し、因幡国の鳥取城が開城すると、羽柴秀吉は安土城に報告と暮れの挨拶に来ました。織田信長は褒め、感状と茶の湯の道具12種を与えました。羽柴秀吉は12月22日に播磨国へ戻りました。
歳暮之為御悦儀、羽柴筑前守秀吉、播州より罷上、御小袖数弐百進上。其外女房衆かた、それ〳〵へ参らせられ、か様之結搆生便敷様躰古今不及承、上下共驚耳目候々訖。「今度因幡国取鳥云名城云大敵一身之以覚悟一国平均に被申付事武勇之名誉前代未聞」之旨被成、御感状頂戴、面目之至無申計、信長公御満足なされ、為御褒美御茶之湯道具十二種御名物、十二月廿二日、御拝領候て播州へ帰国候々也。
ってことは、鳥取城攻めはパス???
※茶の湯の道具を与えたということは、茶会を開けるってこと。
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