完璧なタイトルは存在しない
村上春樹はデビューする29歳まで小説を書こうとは思わなかったと言っているが、ダウト。それなら、どうしてデビュー作の1行目に「完璧な文章など存在しない」が出てくるのか?
最近、仕事で記事を書きながらそう思った。先週、たかが2000文字の連載記事、スポンサーの付いていない記事に、1週間くらいかけた。スポンサーのついた記事なら、良い文章にしなければならない。サボったのが感じ取られると、もう広告を出してもらえなくなるから。
ただこの連載記事は、正直に言って読者に有益な情報はほとんどない。僕が面白そうだからと言ってブログ的に取材した記事だ。会社としても、そこはできるだけサクッと書いて、広告記事や新規スポンサーの獲得に時間をかけて欲しいと思うだろう。
しかし僕は、ブログ的な記事だからこそ、一番こだわりたいと思ってしまう。力が入る。広告の記事なら30分で1000文字書けても、この連載は30分で10文字も書けない、なんてのはザラである。
完璧な文章を求めているから。自分にとって満足のいく文章以外は書きたくないと思うから。センスが良いと思われたいから。
「それは作家がやることで、会社員のお前はそんなこと考えなくていい」と言われたことはないが、こんな仕事を続けていると、ずっと締め切りギリギリになり、会社にも間接的に迷惑がかかる。
「完璧な文章は存在しない」。村上春樹は「風の歌を聴け」を書いている途中、ずっとこれを考えていたんだろう。「ありきたりな作家」と思われるんじゃないか……そうイライラしながら
29歳の春に神宮球場で「あ、小説書けそう」と思ったにしては、1行目に思いが込められすぎている。「ピーターキャット」をやり出した頃から、実は定期的に原稿用紙に書いていたんじゃないか? そうだろう?
