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百人一首小話(245)ー第52首 藤原道信朝臣 その1 懸想した美女を実資に取られるー

明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
ー夜が明けてしまえば、いずれ日は暮れるものだと――そして再びあなたと逢えるのだと――分かってはいるのだけれども、やはり恨めしい朝ぼらけであるよ。
 
道信(972ー994)は太政大臣為光(942-992)の三男。為光は兼家の異母弟ですから、道長とは従兄弟になります。母は一条摂政伊尹女。伊尹も為光の異母兄に当たるので叔父姪の結婚になりますが、当時としては珍しい事ではありませんでした。伊尹女は継室で正室に敦敏(実頼の息子・為光の従兄弟)女がいて、道信の異母兄として参議誠信(まさのぶ:964-1001)・権大納言斉信(ただのぶ:967-1035)がいます。更に異母姉として花山天皇の女御として愛され、懐妊中に亡くなり、天皇の出家退位に利用されてしまった忯子(969-985)がいます。
同母妹には有名な所では三の君と四の君がいて、三の君は伊周の愛人であり、四の君に花山法皇が通っていたのを同じ邸なのでてっきり三の君に通っていると伊周が誤解してしまいました。そしてまた相談した相手が悪くて弟の隆家で、法皇に遺恨のある隆家は法皇を脅かしすぎて、矢が法皇の袖を射抜くという事態になりました。これを斉信がすぐに道長に注進して、伊周・隆家兄弟が失脚という事になりました。尚、四の君、そして五の君も何故か道長の妾となっています。

道信ですが、寛和二(986)年、なぜか伯父である摂政兼家の養子として、宮中で元服の儀を受けました。正暦5(994)年正月には従四位上に叙されましたが、同年7月11日に当時流行していた天然痘により卒去しています。享年23歳でした。
非常に和歌に秀で、奥ゆかしい性格と評されたといいます。懸想し恋文を贈った婉子女王(為平親王の娘:大変な美少女で花山天皇の女御となったが、天皇は亡くなった忯子の事ばかり思っていたそうです)が結局、藤原実資に嫁してしまった後に詠んだ和歌が『大鏡』に伝わります。
嬉しきはいかばかりかはおぼゆらむ憂きは身にしむ心地こそすれ
―好きな方とご一緒になられた貴女のよろこびはどんなでしょう。貴女にそむかれた私は、つらさが身にしみわたる思いです。

『大鏡』には「この歌は、今の世まで、ひろく世人の評判になっている秀歌です」とありますが、失恋した歌ですよね。(続く)



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