自己責任論とは一体何か。どうして生まれたのか
いま、パリ第八大学修士課程の論文を読んでいます。
人文科学系における社会心理学論文です。
☆☆☆
ちょっとメモ感覚で忘れない内に残しておきたい知見があったため、ここに書き残します。
社会心理学の父 レオン・フェスティンガーが提唱した社会比較理論の変遷についてです。
社会比較理論とは人は自分が他者と比較しいまの自分がどの場所にいるのかを知ることで安心する理論です。
自分はいまここに居て、仕事のできる上司にはチーフや部長が居て、彼らのいい部分を真似して自分も仕事のできる人材になりたい。
などの中立的な理論です。
悪用することもほとんどできない「個人理論」です。
これが社会アイデンティティ理論と言う「集団理論」へと変遷します。
社会アイデンティティ理論とは、人は自分がどの集団に属しているのかを認知することで自尊心の保持と、自己の価値観を高める理論です。
自集団の価値を認知することがこの論理のテーマです。
俺は東大卒だ。わたしは正社員だ。
と、人は、自分の価値を客観的に明示させることで自己の自尊心を保つ。
俺は正社員なんだ。できる社会人だ。がんばらなきゃ。
俺は東大を出た男だ。この仕事もきっとできるはずだ。
あの受験戦争をくぐり抜けてきたのだから。
の様に使われます。
ただ、実は、この論理には2つの欠点があります。
己の価値を高め(認識し)前向きに生きるならそれでいいのです。
でも、実際には問題があって、自分と近似した外部集団を叩く側面があります。
差別とは一体何でしょうか?
前近代における差別対象者とは、牛や馬の死体から肉を取り出し、皮をはぎ、皮革製品を生産した専門職の人たち。
また、お葬式で、人の死体を触れたり拭いたり火葬したりする職業の人たち。
江戸時代に前者を穢多と言い、後者を非人と言います。
皮革製品の専門職が穢多。
犯罪を犯したり自己破産して身分が剥奪され葬儀のお仕事をしている人が非人です。西欧でもそうで死体・血は不浄とされていました。
牛、馬、人の死体に触れることを当時は穢(けがれ)と言います。
穢多の「穢」です。
穢多とは穢(けがれ)が多いと書きます。
前近代、人と動物の死体を扱う人を、恐怖の対象として、人は差別しました。
これが狩猟採集民族以降の差別の始まりです。
しかし近世から近代になると差別の概念が変化します。
修士論文に書かれるには、第二次世界大戦前のフランスで最も多く差別を受けていたのはユダヤ人でした。
ホロコーストの起きたドイツよりもフランスやルーマニアでのユダヤ人差別は酷く、熾烈を極めました。
その街で人が蒸発すると、衣類店を営んでいるだけで、お前らユダヤ人が試着室から人を拘束して人身売買しただろ。
と無実の罪を着せられました。
当時、ユダヤ人に対して差別がもっとも少なかったのはドイツです。
必然的に国を持たないユダヤ人はドイツに多く住むことになる。
人はどんなときに人を差別するでしょうか。
当時のフランスの同じ街で早口の中国語でがなり立て強欲にお金を稼いでいた中国人は全く差別に遭いませんでした。
真面目なユダヤ人よりも強欲な中国人のほうが、どう見ても人身売買しそうなのに(笑)、彼らを差別するフランス人は居なかった。
逆にドイツに来てユダヤ人は勤勉な人たちだから、とても努力をしました。
現在、世界人口の約0.2%を占める彼らは、ノーベル賞受賞者の約22%を占めるほど。
あのアルベルト・アインシュタイン もユダヤ人です。
教育熱心で労働意欲が高く、令和では、どの国でも平均年収・職業地位が高い。
彼らは必死になってドイツ語を覚えました。
ドイツ人に迷惑をかけず少しでも近づこうとドイツの文化を学び、馴染む努力を怠らなかった。
服装も出来得る限りドイツ人らしく振る舞った。
その結果がホロコーストでした。
第二次世界大戦中、ユダヤ人は、ドイツ国内で600万人が毒ガス室に送られ殺された。
これが社会アイデンティティ理論の瑕疵の一つです。
人は外部集団が自集団にあまりにも近似し境界線が曖昧になるとその事象に極めて恐怖し強烈な嫌悪感を持つ。そういう生き物です。
彼らはドイツ人に近づきすぎた。
ドイツに限った話ではありません。
現代日本人がもっとも差別しているのは誰でしょうか。
日本で一番犯罪発生件数の多いベトナム人ですか?
アメリカ人やイギリス人などの白人。
または、ラテンアメリカやアフリカ系の黒人は、観光地でゴミ箱がいっぱいになっているとゴミ箱の周辺にゴミを放置して行きますが、わたしたち日本人は彼らを迷惑だと思ったことはあれど、差別したことはありますか?
ないですよね。
わたしたちは彼らを差別していません。
戦前のフランス人がフランス国内で強欲に稼ぐ中国人を見てもまるで差別しなかった。
ああ。アイツラは俺達とは違うからな。
これが当時のフランス人の心理でありいまのわたしたちの心理です。
わたしたち日本人がいまもっとも差別をするのは、日本人名を名乗り、日本で生まれ日本語しか話せず、日本人と見分けが付かず、日本の文化に馴染み、日本人的行動を取る人たち。
在日朝鮮人の人たちです。
インターネットでも犯罪を犯したベトナム人より何もしていない在日朝鮮人のほうが日本から出ていけ!という書き込みや誹謗中傷をよく受けています。
人は自分ともっとも似通った外集団に対してその境界線が曖昧になることに恐怖し、その拒絶反応としてそれらを叩く。
これを差別すると言います。
わたしたちは50年前提唱された理論の通りに今も動かされている。
社会心理学の修士論文では、社会のつながりや共同体が崩壊し、個人の自由や権利が尊重される行き過ぎた個人主義の現代社会において、これが自己責任論へ変質すると説く。
社会比較理論と同じ様にまた比較対象が「個人」へと戻る。
社会アイデンティティ理論の瑕疵のもう一つは自集団と近似し、自集団から見て劣っていると自己が見做す集団を差別するというもの。
わたしたちはインターネットで自動的に自分と近似していて自分より劣った個人を探し始めます。
非正規社員の人たちは自分より上のカーストである、たとえばトヨタ自動車の会長である豊田章男さんが年俸21億円を受け取ったと言うニュースを見ると、すごいな!さすがはトヨタ!と称賛を浴びせます。
自分たちが非正規であることによって得た所得なのに。
自分たちよりも上の人は叩かない。
また、非正規社員は東大卒や早慶の人材を非難しません。
彼らが叩くのは自分と近似していて自分より社会階層が低い人たち。
無職や生活保護者や福祉(税金)で生活している障害者です。
彼らの心理はこうです。
自分はこんなに所得が低くて、苦しくても、自己責任だと思って甘えずに耐えている。
それなのに、なぜアイツラ(近似した他者)は、生活保護や支援を受けて甘えているんだ?
許せない。
わたしと同じように自己責任で苦しむべき。
という、我慢の強要を他人に転嫁する。
弱者ほど自分を低所得にさせた強者ではなく、より弱者を叩くメカニズム。
非正規雇用で、将来、自分が最もセーフティーネットを必要になる階層にいる人ほど、自分が享受するはずのセーフティーネットを非難する。
人は自分の地位所得を隠せる匿名のSNS環境で自動的に自分を動かし始め、自分ともっとも近しくそして少し所得の低い階層の人を言葉の暴力で叩き伏せる。
自己責任論とは何か?
それは前近代から続く人の業。
差別です。
(おしまい)
