善人や優しい人ほど日本社会でバカを見るのは、なぜか?
マキアヴェッリの300年間禁書にさせられた悪魔の書「君主論」を読みました。
☆☆☆
いま読み終わってホットな状態なので現代社会でどのようにこの悪魔の書が適用されているのかを見て行きましょう。
人の本質は1,000年や2,000年程度では変化しません。
だから岩波文庫の古典哲学(プラトンの国家とか2,400年前に書かれてる)がいまも売れています。
マキアヴェッリの君主論は500年前に書かれた若い書籍ですから、現代社会もこの悪魔の書の通りに人は動きます。
なぜなら、今も昔も、大衆は思索せず考えなしで動くためです。
古典は無駄なものを削ぎ落とし人の本質に迫る。
人が考えなしに動くときどう動くのかがすべて載っている。
そしていまもそう動く。
マキアヴェッリは言います。
マキアヴェッリ君主論(主に15章~18章)
人間は恩知らずで、移り気で、偽善的で、欺瞞(嘘偽り)に満ち、臆病者で、利益をむさぼる生き物だ
りっぱな人、真面目な思想は、ここではっきりと言ってしまうが、生きる上では害悪である(笑)
人間は、自分の利益のために恩義や愛情など簡単に裏切りるから、愛されるいい人になるより恐れられる・畏怖される人のほうが遥かに安全
君主は人間であると同時に、野獣でなければならない。ライオンの獰猛さと、キツネの狡知(こうち)を兼ね備えよ
さて、現代ではどう使うべきでしょうか。
まず令和のいじめについて
人間は恩知らずで偽善的で欺瞞に満ちた生き物。
相手がやり返してこないと分かると、利益をむさぼる生き物。
そしてこういう人たちは得てして臆病者です。
集団だからいじめが出来る。
やり返してこない。
1対1ではない。
1対多数だからこそ成立する。
だからいじめてくる。
このような現象です。
マキアヴェッリの進言どおりにするならいじめられたと感じたならば苦笑いなどせず、やられっぱなしにせず、あなたは野獣にならなければならない。
ライオンの獰猛さと狐の狡猾さを持たねばならない
新約聖書(岩波文庫 マタイの福音書)の項、イエス・キリストの「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」という節がある。
たとえ他人が悪人であってもこっちは善人であり続けよという意味。
しかし人の本質を熟知し、禁書となったマキアヴェッリの進言は違います。
人間は基本邪な奴らだから、左の頬を殴られたら、相手があごを砕かれて二度と立ち上がれないほどの痛打を食らわせなさい。
また、狐の狡猾心によって相手を全裸にし写真を撮り、次にボクを殴ってきたらこの写真を晒す。これをバレずにやりなさい。
となります。
(わたしが言っているのではなくマキアヴェッリが言っています)
次に職場。
いつもうつ病になって倒れてしまう人は優しい人ばかり。
他部署で見てても思うんだけど、邪な同僚たちから振ってくる仕事を嫌な顔一つせず、すべて引き受けてしまう人がまっ先に倒れます。
いい人から先にいなくなる。
病室で痩せ細った顔になってこっちを哀しそうな眼で見てくる。
いい奴ばかりこういう目に遭う。
なぜなら、人間は醜く恩知らずで自分だけ利益をむさぼる生き物だからです。
これに対してマキアヴェッリは言います。
君主は人間であると同時に、野獣でなければならない。ライオンの獰猛さと、キツネの狡知(こうち)を兼ね備えよ
仕事を振ってくるアッパラッパー女がやって来たら、あなたはライオンになり、獰猛な表情を見せつつ、相手にメンチを切り低い声で
「い・や・で・す」
「冗談は顔だけにしておけ!」
「分かるか?庶民」
(わたしが言ってるんじゃないです、マキアヴェッリが言ってるんですw)
No!と言える日本人になりましょう。
当たり前ですがマッチョでモヒカンやスキンヘッドの人など、恐れられる人は優しい人と比較して仕事を振ってくる人はいません。
令和社会で、うつ病で倒れたスキンヘッドの社員など存在しません。
優しいだけの人より恐れられる人のほうが職場での生存率は大きく跳ね上がります。
おっかない人に仕事を振る同僚なんていません。
狐の狡猾心によって上司とも緊密に連絡を取り合いましょう。
パンク寸前のとき、わたしはこれをよくやります。
いま仕事がどれくらいあってどの仕事が誰から受け取ったのか。重要性と優先順位から期限までに終わりそうにない仕事について伝えて置くと勝手に優先順位の低いものは減らしてくれます。
キャパオーバーになると人間ぶっ倒れるため(よく倒れる)無理なものは無理!と言いましょう。
人間は自分よりも弱いと見なした相手の利益を奪い取ろうとする生き物です。よって外見で恐れられるという事象は極めて有用。
人間社会が善人しかいない前提で物事を考えるのは止めましょう。
(おしまい)
