見出し画像

第七官界彷彿。

尾崎翠の小説に「第七官界彷徨」というものがある。
第七官、視覚や聴覚などの所謂"五感"や霊感的な第六感を超えた先にある「第七官」に響くような詩を書きたいと思っている女の子の話だ。

当時高校生くらいだったか、昔読んだときは、第七官に響く?とどういう感覚なのかいまいちわからなかったけれど、羽生結弦という存在と羽生結弦のスケートを経た今なら、よくわかる。
第七官に響くスケート、ここにありました。


無論、あの光景だけがやけに目に焼きついているとかあのフレーズだけがやたらと耳から離れないみたいなこともあるだろうけど、
人間の記憶のうち、一番最後に残るのは「感情を抱いたときの感覚」なのではなかろうか、とも思う。感情そのもの、というより「感情を抱いたときの感覚」。むろんそれは"脳"が感じていることではあるのだろうけど、鼓動、胸の沸きたち、血のめぐる感覚、五感のどれでもありどれでもない感覚を我々はどこで感じているのか。

先程ちょうど2年前にnotteを観たときのnoteを読み返していたが、なるほど自分ってこんなことを考えていたのか、こんなことを言っていたのかと、ほとんど内容を9割忘れていて驚いた。
自分で書いた瞬間から自分で書いたことを9割忘れる。


しかし、カルミナ・ブラーナを目にしたときのすごい、と思った感覚だけは残っている。

今年の「Happy End」をみたときの、「え!?? やば!!!! 誇張なしに過去最高傑作じゃん!!!!」と沸き立つ高揚は残っている。(お前毎年言ってないかそれ?)(毎年本気で思ってるので仕方ない)


どういう振り付けだったか、どんなジャンプの実施だったか、どんな曲だったか、の細部はやがて忘れてしまったとしても、高揚を抱いたときの感覚だけは残る。
そのときの感情だけは、感情が沸き立つときの感覚だけは思い出すことができる。
そして、初見の感情は初見の感情でしか得られないもののため、それを観にフィギュアスケートを見てるまである。



とはいえ、第七官に響く、というのは、上手く言えないがただ凄いとか感動したとか泣けたとかそういう言葉に変換できる単なる「感情」でもない気もする。

存在しないはずの記憶の彷彿、現実には起こり得るはずのない幻影を目にしたときに抱いた気持ちの擬似的追体験、まるで遠い未来からこの記憶を振り返った時に抱くような郷愁や哀感、泣きたくなるような気持ち

今ここにあるのに、今ここにある感情というより、先の未来から今を振り返ったときに抱くような感情をなぜかいま、擬似的に感じている。錯覚。
時間と場所の超越や逆転

第七官。



今年の notte stellata 2026‬⁩は、いつもとオープニングの演出が少し違って、真っ暗闇の中ながれる羽生くんのナレーションから、客席のペンライト(懐中電灯)が一斉にわっと灯される演出がまさに暗闇の中の満天の星みたいでよかったんだけど、その後、正面から羽生くんがスーッと登場してきたのを見て、誇張なく、「女神様がいる」、と思った。

登場してきたあと氷にツーっと描かれるトレースが、生で見たとき本当に柔らかなことに驚く。

羽生結弦といえばプログラムや状況ごとに作画監督が100人いることでお馴染みだが、今回現地でアリーナショートサイドで観ていてかなり驚いたのが、「スケーティングやトレースの作画」も曲によって異なるということだ。
スケーティングには人それぞれ個性みたいなのがあって、重厚で重めな人、ゆまちのようなふわふわマシュマロスケーティング、ジュンファンのような耽美系…etc.と色々あると思うけど、
ノッテステラータ、滑ってるというよりもはや水面に白鳥が泳いだ跡みたいな、「氷が削られてできたトレース」じゃなくて「湖がたなびいた跡」みたいに見えるやさしい〜スケートと跡なの、「ガチでどうやったらそんなことが可能???」とほんとに神技すぎてビビるなどした。
あれは氷の上ではなかった。湖だった。
羽生結弦くらいになると氷の質感まで変わったように錯覚させるらしい。

女神の幻影、星はいつでもそこにあるが暗闇が訪れないと見ることができないように、人々が絶望の淵に陥ったときにふと顔を上げるとやってきてこの世に留まらせる光の糸を紡ぐ女神。


これはポエムではない、事実である。
(あ、病院への道は分かっているので大丈夫です)



notteから少し話が逸れるが、私は羽生くんのプログラム、バラード第一番が大好きなのだが、あの音楽を耳にしプログラムを目にすると眼の奥がきゅっとなにか存在しない映画を観た気持ちになる。この錯覚。
私は耳がよくないのだけど、羽生くんのバラワンを見るたび「自分はいずれ、この曲を聴くことができなくなっていくだろう」と、この先徐々に失われていくであろう聴力のことを思う、「滑った瞬間にこの瞬間は失われていく」というような、永遠ではないことの無常、やがて散る運命にある桜の如き未来への喪失の予感への錯覚がそうさせているのかもしれない。



うまく伝わっているだろうか。
伝わっていない気がする。
所詮、言葉で伝えられる感覚などほんの一部である。


「自分の思ってたことが言語化されてる…!」みたいな言い回しがよくあるが、あれ個人的には、誰かが言っているのを見るのも自分が言われるのもあまり好きではない。
無論、思考を言語として整理するプロセスは重要なものだが、この世には、"言葉"にはできない思いの方が多いと思っているからだ。


たとえば、素晴らしい音楽を聴いたときに身体や眼の奥から沸き立つきもち。音楽。
言葉で事細かに感想を述べたり、音楽用の"言語"、メロディを音符として五線譜に表すことはできるが、そこにあるのは空気の振動以上のもので、それは決して単純化された一つの情報では代替できないはず。


令和版「をかし」「あはれ」であるところの「エモい」はすごく便利な言葉だし、「エモい」が内包するものは人それぞれ無数に無限に存在して、でも「エモい」という言葉が伝えるものはたぶんエモいという言葉それ自体ではない、私たちが「エモい」ものに接したことで感じる感情、概念、感覚の方だ。言葉になっていない感覚や概念の方をほんとは共有している。(本当に共有されているのかはわからないが)



言葉とは、他人に伝わるよう端的にわかりやすく並べるためのパッケージに過ぎない。
そしてしばしば(自分に対しても)嘘すらつく。
こういうことは思ってはいけないとか、こういうことを思うべきだみたいな規範や倫理が、
一瞬よぎったかもしれない自分の本音を言葉で塗り替え、上書きし、いつしかそれが"本当"になったりもする。
震災が起こって何日か経ったあと、遠い場所に住み家も壊れず家族や友人も死なずほぼ直接的被害も受けなかった人たちの中には、「もういつまでも震災とかいいって、絆絆うるせえよ、楽しいものを見たい、なんかやだよこういう深刻ぶらないといけない空気」とか本当は思った人がこの国に一人もいなかったとは思わない、でもたぶん家族を亡くした人や、捜索や遺体の安置場所の確保、医療、壊れてしまった街をどうにかするための仕事など寝食を犠牲にして今なお必死に働いている人がたくさんいる中、そういうことは思ったらいけない気がするので思わなかったことに上書きをしている。

あるいは、↑みたいな本音を、「被災をしなかった人が楽しんだらいけないわけじゃない、こんな時こそ、生きている人は前を向いて経済を回すことが復興にも繋がるんです」的ななんとなくそれらしい大義名分でオブラートして己の気まずさを自己正当化していく。
でも、そういう人たちだって、人々が急な災厄で亡くなってしまったという状況を目にして少し心に傷が残っているのだってその辛さを正面から浸り続けなければいけないことにいつまでも耐え難い気持ちがたぶんあったのだって他方では本当ではあるはずだ。感情はゼロor100ではない。


これも。
言葉にしてしまうと、何でも「それっぽく」はなる。「それっぽさ」に安易に縋りついてしまう。

"言語化"し、言葉として他人に伝わるよう自分の倫理に反しないよう整理整備される過程で、皿に並べるフルーツのように綺麗に皮を剥かれ形作られる過程で、本当は削ぎ落とされてしまっているものがたくさんある気がする。

無論、自分の思いを言葉に変換する能力は人によって多少の得手不得手はあるだろうけど、決して五感や言語に代替され得ないその人の感情は、その人だけのものでしかないのに、少しばかし言葉を操るのが上手いだけの誰かの言葉に乗っかるかたちで全てが語られたように錯覚するのは思いの単純化と怠惰に過ぎないし凄く勿体無い、そこには誰かの言葉に便乗する過程で削ぎ落とされてしまった自分だけの感情や思いがあるはずじゃあないのか?



言葉だけには現せない想い。
私は、「羽生結弦と仙台市展」に展示されていた、羽生くんが震災当時履いていたというスケート靴に、「ありがとウサギ(笑)」と書かれていたことに、泣きそうになってしまった。



ありがとウサギ、ACジャパンのあいさつの魔法。のフレーズ、
東日本大震災から15年も経っているので今の高校生以下の人にはもうピンと来ないかもしれないが、ある年齢以上の人にとっては、震災の記憶と強く結びついているあれ。
東日本大震災発生後、未曾有の大震災を受けてTVでの企業CMが自粛され、全部がACに差しかえられたため、我々は報道と報道の合間に(半ばノイローゼになりそうなほど)「こんにちは(こんにちワン)〜ありがとう(ありがとウサギ)」というあのやけに耳に残るフレーズを何百回と聞かされることになった。


自分は2011年当時羽生くんのファンだったわけではないので、それを書くに至った心情や過程の詳細はよくわからない、全然的外れかもしれない。
もう片方の靴に自分を跳ばせてくれた靴への感謝?が書かれているのを見るに、「ありがとう」と書く過程で当時日々流れてくる悲しいニュースに多かれ少なかれ傷を負った国民が共有できる「例のあれ」、「ありがとウサギ」のフレーズをふと思い出したのかもしれない。
冗談みたいに付け足して、冗談みたいにふと付け足してみたことに自分で(笑)と書いたのかも。

(笑)ってなんですか、茶化すなんて不謹慎じゃないですか!?と思うだろうか、私は思えなかった。

冗談めかした、(笑)こそに、ありがとウサギとふと書き足してみようと思い、(笑)と付け足すに至った当時の羽生少年の心情の方こそが、当時の少年たちと震災で負った傷のいちばんの本質のような気がしてしまう。



悲しんでいる自分、を人に表現することは難しい。

人間は社会的生物である以上、これを言ったら(この言動をしたら)他人がどう思うか、どういう自分に思われるか、どういう自分だと思われたいか、という擬似的な"イマジナリーカメラ"(他者に映る自分の姿)が一瞬もよぎらないことはあり得ないからだ。


オードリー若林ではないが、たとえ誰も見ていなかったとしても「自分が見ている」。

自分に対しての、お前、この"カメラ"に向かって、ちょっと演じていないか?という羞恥。
果たして自分に全身全霊で"悲劇のヒロイン"をやる資格があるのか?という問いかけ。

この擬似的な内なるカメラへの意識はたぶん人によって大小があるんだろうなと思う、
むかし父方祖父が亡くなったときの記憶、まだ割と若い中での突然の急死ということもあってか父方の祖母の方は「お父さん!」と縋っていたような記憶があるが、
時が経ち、最近母方の祖父の方が亡くなったときは、配偶者であるところの母方祖母も、長女であるところの自分の母親も、葬儀の最中も棺に花を入れるときも棺の蓋が閉じられ見送るときも燃やされるときもずーっと「ふうん」みたいな顔をして淡々としていた。たぶん私もしていたと思う。
おばあちゃんやお母さんが一体何を思っているんだろうなあ、というのは私には分からないが、別に1ミリも悲しくないわけでもないんだろうなあとも思うし(もしかしたらほんとに大して何も思っていないのかもしれないが)、ああなるほどこれはもしかすると母方祖母からの遺伝なんだなあ、と思った。


同じ親から生まれ育ったとは思えない心優しき妹、大人になってからも祖父母と定期的に連絡をとったり旅行に行ったり会いに行ったりしていたらしい葬式でも泣いていた妹は、「棺の中に入れる故人へのメッセージカード」みたいなものを祖母も母親も「別にいい」と葬儀場スタッフから受け取らなかったことに「なんて冷たい家族なんだって思われてそう」と言っていた。
母親は母親で、自分の夫(私の父)について、「別にめちゃくちゃ仲良かったわけでもないのに、こういうときだけ泣くんだよなパパって、よくわからん」とか言っていた。
人の死と嘆きの前には他者のカメラが常に存在する。


「悲しむ家族」をストレートに自分がやっていることを誰かに見られることへの抵抗意識、いま自分、ドラマや映画の中の人物を自分で演じているみたいじゃないか?という羞恥

実際に薄情には違いないが、私はメッセージカードを受け取らない気持ちがなんとなくわかる、書くことがないからではない、書かなくてもあるからだ、そして書くことでその全部が嘘っぽくなる
"書くための"気持ちになってしまう


表出していないということは「存在しない」ということではない。
と思いたい。



自分は被災者ではないし生まれてから今まで大きな震災を直接自分が経験したことは一度もないのでわからないが、こと"資格"に於いては、震災の体験をうまく言葉にしうまく悲しむことは難しいのではないかと思う。


自分にとって本当に深い傷や消化できていない思いほど他者に語れない場合もあるだろうし、

「自分よりも大変な人」がきっとたくさんいるのに、自分なんかが悲しむ資格があるのか?という内なるイマジナリー他者の視線(時にイマジナリーではない場合もある)

あるいは、自分が吐露することで気を遣わせてしまうのではないか、という躊躇。
他人に気遣わせないために、また自分でも絶望に引きずられないために「いや〜みんな死んじゃってね笑」と半笑いのような形でしか話すことができない人もいるかもしれない。


被災地と区分される地域に住み一時避難生活は送ったけど家は全部は壊れてない人、世界が終わるのではないかという揺れに恐怖し家は壊れてしまったけど内陸部におり津波の被害は受けていない人、津波の被害を受けたけど家族は無事だった人……
家族は亡くなったけれど遺体は自分の元に戻ってきた人からすれば、いまだ見つからないどこにいったのかもわからない家族を探し続けている人の前では迂闊に悲しむことができないかもしれない

温度感とチューニングをうまく調整しないと、「本当の被災者」に失礼だ、というような石が飛んでくる。
あるいは、誰かの「悲しみの表出法の正解」と異なると、誰かの正解と違うという理由で「ほんとに悲しんでる人は◯◯〜できないはずだ〜」という横槍がやってきたりもする。

お前ごときが被災者ぶってんじゃねえという槍、お前は主人公なんかじゃないという矢
時には自分自身に対してすら飛ばすそれら。


思うに人は、嘆き悲しんでいる人を前にしてしかし自分で全てをどうにかすることもできないとき、どうしようもないとい無力さと、そもそもどうにかできるとも思っていないという己のちょっとした冷酷さと、あるいはこいつだけいつまでも注目されやがってズルい、というような良くなさすぎる妬みに対して、自分で自分に気まずさを覚えるのではないかと思う。
この気まずさが、俺の前でいつまでも嘆き悲しんでいるんじゃねえという攻撃に転じる、場合がある。
悲しい交通事故などの遺族のほうが、声をあげたりするとなぜか(なぜか?)誹謗中傷されるのも、おそらくこの心理ではないか。


本当の被災者、とはなんだろうか。
本当に悲しんでいる人、とはどういうことだろう。
可哀想ランキングの第一位しか悲しむ資格語る資格はないのだろうか?
けどそれを突き詰めると、いま生きている我々は、死んでいる人からすれば死んでいないだけ上位入りはしていないのではないか?


それが正しいだろうか。
その考えは正しいだろうか。
無論、行政などによる実際の金銭的支援などに於いてはどこかで線引きは必要ではあるが、
誰かの悲しみや辛さにおいて私は他人が誰かにぶつけるべき言葉ではないと思っている。

線引き、
自分はうまく耳が聞こえずもう補聴器がないと会話が半分以上成立しないが、「本当の障害者」ではない。
70デジベル以上の難聴者ではないと日本では「障害者」ではなく、したがって50デジベル程度の難聴者であるところの私は、健常者でも障害者でもなく「自力で数十万円の補聴器を買ってなんとかするしかない耳が悪い人」だ。
生まれつき全く聴こえないとは違うから言語習得には問題はなく、自分で喋ることはできるしこうしてベラベラと長文を書くことができるのも日本語習得に苦労がなかったからだし、逆に手話は全くできない。 


線引きの上でいれば、障害者ぶるな、ということになるだろうし、実際、一応ある程度会話は成立しているんだから大したことないだろうと捉えられるし、当然「もっと苦労している人はたくさんいる」し、今のところは音楽やドラマやメンシプでの推しの話も別に楽しむことができるんだからまあいいだろということに周りからはなるだろう。

何年か前、目黒蓮くんが「高校生までは普通に聴こえていたけど聴力が落ちて今は全く聴こえなくなってしまった青年」のドラマをやっていたけど、まあ病状ってのは人それぞれなので一概には断定できないが、実際のところ「若年発症型両側性感音難聴」みたいなのってたぶんあんなに劇的ではないように思う。

数年で急に聴力を失うというよりは、なんというかだんだん徐々に話を聞き返すことが増え、何回も聞き返すからだんだんイライラされ、バイトや働いていても周りの人の指示がうまく聞こえずやや軋轢を呼び、誰かが指示したことと自分がやっていることが全然違うので使えない頭の悪い人だと思われ、周りに「何度も呼んでるのに無視された」という不愉快を生み、自分がよく聞こえなかった誰かの言葉に周りが当たり前のように反応や返事をしていることに「みんなは今の聞こえるのか…」と気まずさを抱え、このあたりで補聴器を使用しだすが補聴器に耳と脳が慣れてしまうと、補聴器なしのときに突然話しかけられると「何かを喋ってるのはわかるが何を言っているのかよくわからない」という周りがテレビのボリューム5のときの映像みたいに見えてくる。

(ちなみに私の家のテレビはボリューム100だがたぶん苦情が来そうなのでずっとヘッドフォンをして観ている)

職場で周りが話していたらしいことを自分はろくに聴こえていないので自分だけ知らないことが増え、周りの空気に(何かがあったようだという会話が聞こえてこないため)いつもスリーテンポくらい遅れるので気のきかない人だと思われ、
そして、十年以上ぶりに実家に帰ると、実家にいた頃は補聴器なしで会話をしていたはずなのに今は補聴器がないと1ミリも何言ってるかわからないという状態に陥っていることに愕然とする。
雑音の中や遠く離れた席からの大人数での会話は難しく、新しくやりたいことがあったとしても、他者との関わりが発生してしまう場合、どうせ上手く会話できないかもしれないと諦めることが増える。
映画館で封切り直後に日本語の映画を観ることも最近は諦めることが増えた。字幕がないと何を言っているかわからない箇所が結構あるからだ。
字幕付きかネトフリを待つしかない。
「求・字幕」の個人的暫定ナンバーワンであるところの「戦場のメリークリスマス」の曲はめちゃくちゃ好きだが、映画はいまだ観れていない、ほぼ何を言っているのかわからなくて諦めた。(いやまああれは健聴者でもそうだと思うんだけど)
実写の「秒速5センチメートル」を観て凄く感動した箇所をあとでまた字幕付きで見たら、実際はそんなこと何も言っていないことに一番びっくりした。どうもよく聞こえていないまま文脈と単語と想像で脳内で勝手に台詞を作ってその台詞に勝手に感動していたらしい。創作者の才能がある。



みたいなことが十年以上単位で徐々に徐々に進む非常〜〜〜〜にゆったりとしたペースで、それでも別に一応まだ聴力はある。


補聴器あるならいいだろうと思うかもしれないが、補聴器は全く万全ではない。
コンタクトのように「つければほぼ解決」というようなシロモノではない。
まあ値段にもよるのかもしれないがなんというか非常に人工的で、常にマイクから誰かが喋っているように聞こえ、音を大きくすれば周りの雑音も全部大きくなるので、ずっと雑音がうるさいライブ会場や電車の近くの中で誰かが喋っているみたいな状態になる。逆に大きくなった雑音に声がかき消されることもある。

そして、健常者の場合は0〜20デジベルくらいだが、自分は補聴器をしてもせいぜい30デジベルくらいまでしか上がっていないので(それ以上大きくすると今度は雑音も大きくなりうまく聞き取れない可能性があるので)、「会話が半分以上成立しないレベルから耳がちょっと遠めの老人くらいにはマシになった」程度の話で、医学か技術が超絶進歩すれば別だが今のところ普通の人と同じようには聞こえることはない。
手術で治すこともできない。


でも、手話を使わない難聴者って、ドラマとしては"映えない"もんなあと意地の悪いことを思ってしまう。
というか、「伝わらない」。
見た目では分からないし、一見普通に話しているようには見えるし、誰かがどの程度聴こえないかを他人がそのまま理解することは難しい。

昔、佐村河内守のゴーストライター事件みたいなのがあって、ほんとは全聾ではなく50デジベルくらいの中度の感音性難聴だったことが判明していたが、つまり私も同じくらいだ。
全聾は全然嘘だしイヤホンなどで音楽を聴く分には大した問題はないはずだ(ただ聞こえている人との比較は自分ではできないので本当に問題ないのかはもうわからない)が、じゃあ聞こえてるってことなんですね!?と言われると、実際普通の人と同じようには聞こえてはいない、というなんとも煮え切らないあれ。
常に不得意な英語のリスニングテストをしているみたいな状態、とも言うべきか。
なんとも地味で伝わりにくい、別に全く擁護するわけではないが、だから佐村河内さん的には己のセルフプロデュースのために手話とかロン毛とかサングラスみたいなアイコンというかフックが必要だったんだろうなあ。


"障害者ぶる"こともできず、"映え"もせず、治るものでもないが特に命の危険があるようなものでもないので「手術を乗り越え無事に生き抜きました」みたいな劇的な物語も特に生まれない、なんとなく人よりできないことがあるままなんとなく生き続けるしかない絵面が地味すぎる映えない苦労の行きどころはどこにあるだろう。


視力や聴力がグラデーションなように、傷や大変さも結局のところグラデーションで、
"線引き"の前にいるからといって、でもそれはいきなり線引きの手前から先は大変さや悲しみや傷ついたことがゼロになるわけではなく、その人それぞれの苦労があるはず、と思う。
それは"無い"わけじゃない。もっと大変な人がいたとしても、その人の大変さはその人の人生に於いて、なかったことになるわけじゃない。


東日本大震災は2万人以上の方が亡くなった大きな災害だから、毎年テレビで特集が組まれるし多くの大人が3.11を「あの日」として思い出す。少なくない人が黙祷もするかもしれない。
だが災害は他にもある。現在進行形で世界では戦争も起こっている。
「命が失われた」という「ひとり」を主軸に据えれば、亡くなった「1」は同じなはずだけど、10人が亡くなった災害は思い出さなくてもよくて、2万人以上が亡くなった災害は忘れないべき。
もちろん我々は世界の全部の苦しみは背負えない。線引き。

ドラマにも報道にもならない、他人に理解されにくい"映えない"苦しみが我々の世界にはきっとそこらじゅうに存在する。
他者が全部を掬い上げることは勿論難しいけれど、自分まで「無い」と思い込まなくたっていい。


言葉にできる思いが全てではなく、態度に現れた感情だけが本質ではない。
傷ついた動作をわかりやすく見せなかったからといって、傷ついていないわけでもない。悲しくなかったわけでもない。傷がなくなるわけではない。
ここにこういう傷がある、と認識することが傷を治癒するための第一歩であるように、
誰かの理解や自分の倫理のために言葉でパッケージしなくてもいい、誰かのイマジナリーカメラのために出力をチューニングしなくてもいい、そこにあったはずのそれぞれのそのままの傷と感情。
に向き合っていいのではないか、ここにあるのだ、と自分で認めてあげていいのではないかというメッセージを羽生くんの「Happy End」からは感じる。


「Happy End」というタイトルに反して曲はどちらかというと重い寄りというか、
なにか急き立てられるような、運命の荒波に翻弄されるかのような曲調、まるでマリオネットのような羽生くんの振り付けがこれ以上なくハマっている(セルフコレオがち??? 天才コレオグラファーじゃん………)


湖のようだったノッテステラータとはまた異なり舞踏家のようでアーティストのようで、メンテナンスによるアップデートで増えた関節による卓越したパフォーマンス、身体の翻し方もただ翻すだけではない工夫が随所にあり、ああいうコンテンポラリー的ものをやる時にたまにありがちな「やりたいことはわかるんだけど技術が伴っていないかも」的なひとりよがりで全く終わらせず、自分のやりたいことをバチっと表現するために技術をゴリゴリに合わせてきたことがひしひしと伝わってくる。

誇張なく、「過去最高傑作だ…」と思った。 

こいつ毎年言ってないか?と思われるかもしれないが毎年本気で思っているので仕方ない。
これは難しいことだと思うのだ。"羽生結弦"というブランドと期待を背負い年々跳ね上がる期待値を超えていくのは。
特に今回はメンテナンス期間を何ヶ月か設けていただけに、もし見た人が特に変化を感じなければ「何してたんすか?」とか思われてしまうかもという恐怖などもあるはず。
メンテナンス期間がまさにアップデートのための期間だったとひしひしと感じさせるクオリティ。


音ハメ神羽生結弦の真髄のように、流れてくる旋律のひとつひとつに合わせた振り付けを実施していくの、「よくまあこんな……」と感銘してしまうが、特筆すべきはそのスピン。
こういうことを言うと怒られそうだが、私、フィギュアの中で通常、スピンって全然好きじゃなくて、なんかそれまでの流れとかせっかく振り付けやステップでのっていた気持ちがそこで断絶や停滞してしまう印象になり、島田麻央さまみたいなスピン自体に見応えがある選手はともかく、てか、スピンっているかな?ずっとステップのが楽しくない?とすら思っている節がある。(お前…)

羽生くんの「Happy End」はそんな私のアンチスピン観を一気に払拭するかの如く、
「スピンにできることはまだある」というスピンの表現可能性を更に突き詰めるような、曲や振り付けに溶け込み全く停滞しないシームレスさ、楽器を奏でるかのように、回りながらも両足と身体で音に合わせ氷を押すようにする動きとかなんだそれは?みたいなポジション変化もさりながら、旋律の四分音符、二分音符、などの音の長さに合わせてスピンのスピードを巧みに変えてスピンで旋律を奏でている。


怖。

(怖)






調べたところによると、「Happy End」というタイトルはYMOのメンバーである細野晴臣が参加していたバンド「はっぴいえんど」への当てつけでつけたタイトル(もういいじゃん、綺麗に終わらせとこうよ)らしく、非常にアイロニカルでいいじゃんと思うんだけど、

諸々のインタビューから察するに、羽生くんがこのプログラムに込めた想いは、「傷や痛みをも含めた自分である」というようなことだろうと思う。



幸せや良いことばかりが起こる人生の方がそりゃあいいに決まっているし、事故や病気や災害など人生に訪れない方がいい。
己が己に折り合いをつけるならともかく、外野が簡単に、「この病気があったから…」とかいう物言いなどしたら、いままさに苦しんでいる人からしたら、ふざけんなよと思われるであろう。
誰かの痛みは外野の美談のためにあるわけじゃない。
東日本大震災での経験が、その後の教訓として活かされそれが救った命もきっとあるだろうが、実際にたくさんの人が亡くなっている以上、「あの震災があったから…」という言い回しはなかなか躊躇われる、誰かの命は別に未来の"学び"の踏み台として生きていたわけではない。


しかし、時間は不可逆である以上、起こってしまった過去は変えることができず起きてしまった現実は現実としてどうしたって存在してしまう。

人生は良く出来た物語ではなくある日伏線もなしに理不尽になにかが訪れ、時にはそのまま回収もされない。


だが、良いことも悪いことも幸運や不運も、傷も、得てきたものも失ったものも、できることもできないことも、全てがいま自分がこれまで経験したとおりに起こった先にしか、「今この自分」は存在していない。今の自分が認識するこの世界も存在していない。
何かが少しでも違えば、その自分は、思考や趣味、好み、経験に基づく価値観、出会った人やもの、今の自分とは完全には同じではない。

そんな自分なら別に居なくていい、と今は思う人もいるかもしれない。
しかし今そう思う自分もまた何かが少し違えばこの世界には存在していなかった自分なのだ。という受容。
たまたま今の自分としてたまたま生き残っているわたしたち。




物語は登場人物の行動を24時間四六時中映し一挙一動を全て語るわけではなく、物語というのは選択と編集である。
人生は自分の思い通りになることのほうが少ないし、出生地親性別時代体格容姿知能出来事体質環境…自分で選んだ自分なんて本当はそんなにないのかもしれないが、そんな自分を構成するあらゆる出来事と物事のうち、何を見出し何を掴み何を繋げ何を自分の"物語"として描くかは自分で選ぶことができる、という意味で、ハッピーエンドを紡ぐのは自分なのだ。

「八重の桜」で非常に印象的でめちゃくちゃかっこよかった拍子木、拍子木は"物語"を語るのにも使われるイメージがある。(大河べらぼうでも重要な要素として印象的に使われていた)
始まり、終わりの合図。
競技時代最後のプログラム「天と地と」っぽい感じだなあと思っていたら実際本人的にもそのつもり(天と地との続編)だったらしいが、
拍子木で刻まれる幕を経て最後は幕が閉じないまま終わっていくのが、終わらない物語の始まりのようでいい。
世界が終わるかのような揺れに遭っても、世界は終わってくれない。
生き残っている私たちは、傷を抱えたまま生きていくしかない。



私は羽生くんの作風(?)を「夜明けの腐女子」と呼んでいるのだが(オタク界にそういう区分がある)(腐女子ではない)、
いつもいつも太陽の光に照らされているような幸福の光の道的ハッピーではなく、痛みや苦しみを抱えながらもふと見上げた先にある星の光に一縷の希望を見出すような世界の捉え方が夜明けの腐女子でいいなあと思う次第である。(腐女子ではない)



震災に際して絆とか繋がりとかいうと、上滑りした綺麗事のようだけれど、とはいえこの世界に誰かを留まらせるのは繋がりであるのではなかろうか、とも思う。
あの人を悲しませるわけにはいかないとか、この漫画の続きを見届けるまでは死ぬわけにはいかないとか、そういう世界との繋がり


今回のnotte、いつも以上に会場の出店数がどんどん増えたり、まるで修学旅行みたいに羽生グッズを身につけた人が仙台駅にたくさんいたり仙台の飲食店も賑わっていて、
たとえば、一回寄付して終わり、以上に波及する、羽生結弦という存在を媒介にした"輪"を感じた。
人間が一人でできる支援には限りがあるが、「波及する輪」が繋がれていくうちはこの輪が新たな輪を呼び拡がっていく。
「羽生結弦」という存在の人気と影響力を自身で存分に実際に役立てる社会的意義のある活動だなあと思う。
それはあのあと、「自分だけ逃げてスケートをやっていていいのか」という葛藤や苦しさを抱えながらも、スケートを全力でやっていたからこそ訪れている世界で、生まれている輪だ。
スケートは直接的に物理的に何かを生み出すわけではないかもしれないが、それよりももっと大きな間接的な輪を生み出すこともあり、受け取った影響や輪を意識的せよ無意識にせよまた別の誰かに繋げることが、生きている我々に出来ることであり、生きるということだと思う。


セルフコレオだという今回の「Happy End」を観たとき、素直な感想として、(少なくとも自分にとって)
「羽生結弦みたいなスケーターって羽生結弦以外一生現れないんだろうなあ…」という思いが脳裏をよぎった。

誰かを上げるために他の誰かをダシにするみたいな、こういう言い方は嫌われるやつだと分かっているんだが、シーズン入ると色んなスケートみて今回の五輪もほぼ全カテゴリー全選手みてもちろん試合は試合の感動や面白さがあるのだが、いざ羽生結弦が出てくると「羽生結弦みたいなスケーターって羽生結弦以外一生現れないんだろうな……」という感じを凄く受ける。

もちろんスケート自体めちゃくちゃ上手いのだが、そういうジャンプが上手いとかスケートが凄いとか実績がエグいとか顔が可愛いとかそういう一つ一つの要素要素の切り分けというより、この人をみなければいけないと思わせる圧倒的な場の支配力、確固たる己のビジョンとその物語に他者を引き込む力、それらを身体的に実施する卓越したパフォーマンス力とそのための探究心や研究心、スケートに新たな価値や多様性を生み出す創造力……

ただいっとき、「すごかったなあ」で終わるのではないその後の人生に残るなにか。
価値を、世界を、誰かの人生の輪を、生み出している。
そんなスケーターになる世界線を選んでくれてありがとう🐰


私も、羽生結弦がいなかったら仙台に行ってみようとは思わなかった人生だったと思うんだけど(愛知生まれの自分にとって、めちゃくちゃ失礼ながら東北はほんとに高校生くらいまで「よく分からない寒そうな遠い場所」みたいなイメージだった。仙台って全然普通に都会ですめっちゃごめん)
気づけばもはや実家に帰る回数より仙台に行く回数のほうが多い。都会と自然が共存するようで全然関係ないはずなのに「帰ってきた」と思わせるいい街だなあともはや第二の故郷(錯覚)である。

公演が終わり夜の新幹線に向かう最中、さよなら仙台来年も来るよ、と思いかけて思い出した。来年ではない。

全然来月だ。(単独公演があるので来月です)

来月も無事行けているといいなと思う。
羽生くんはメンシプでも毎月その月の人の誕生日を祝ってくれているけど、誰かがその歳の誕生日を当たり前のように祝えることはほんとは全然当たり前のことじゃあない(来年もまた同じように祝えるかはほんとは誰も分からない)という尊さを大事にしてくれているんだろうなと思っている。
たまたま生き残った私たちは、誰かの来年の誕生日を当たり前のように祝える世界に向かう努力をすることはできる。


来月も無事行けているといいなと思う。