その後の展開
一つには、ここの個人病院では高度な治療ができないとい う......二つにはインターフェロンを使った、治療になるが、とても高額な治療費が掛かる(当時、まだ保険適用になっておらず、高額医療 費控除などという有り難い制度もなかった)
三つめには、薬は強いため脱毛が起こり筋肉がなくなってしまう、ある意味、運動選手としては引退しかないとのこと、一番と二番は飲めても三番だけは飲むことができなかった。俺に運動をするなと 言うのは、死ねと言っているのと同じであるからだ。
仕方がないので、そのまま入院をしてウルソと言う薬と肝臓の 栄養を取る点滴を打ちながら、新年を迎えた。
弟は肝臓に良いと言うことで、どんぶり一杯の牛レバーを差し入れしてくれた、妹は「おにいちゃん、早く良くなれ」と書いたケー キを見舞いに持って来てくれた。
1カ月の入院の後、肝臓の数値も下がり、無事に退院ができた。
医者は、完治ではないので、何かあったらすぐに病院に来るよう 伝えられた。
それから約三十年、何事もなく普通通り生活して何の支障もなかったのだが、五十歳にして、脳梗塞を発症した。
その原因には糖尿病があった。今思えば、病気の倉庫みたいな身体だった。
毎日、寝ていると異様に喉が渇く、朝方、必ず足が痙って激痛で眼を覚ます、これは異常だなと病院に行くと血糖値が通常の十倍あった。
完全に糖尿病である、日頃、異常な食生活と糖分の取り過ぎが原 因だろうが、自分の場合は遺伝性の高いB型糖尿病でした。
C型肝炎とB型糖尿病、これに脳梗塞が起きて複合的に身体が弱っていました、しかしながら、元気だけはあり毎回の稽古でも疲れは感じられなく、食欲も旺盛、性欲もあったし、一日四時間も寝れば元気に生活ができました。
毎月、糖尿病のクリニックだけは欠かさず通っていましたが、言われるのはいつも「十年後の重松さんの健康を考えると肝臓の治療 を早く始めた方が良い」ということでした。
葛西糖尿病内科の先生が言うとおりに、かつて掛かっていた臨海病院に行きましたが、コロナの患者が多すぎて受け入れられないとのことでした。
仕方ない、コロナ過が治まるまでは、あきらめようと考えていたときの「癌告知」でありました。
告知されて、一番に考えたのはやはり自らの寿命です。
もし、余命半年などと言われたら娘はまだ、小学校六年生、来年は中学生、十年間も自治会長や民生児童委員として、参列していた入学式なのに娘の制服姿を見ることができない。
2021年には、柔道の古賀先生やその前は、一緒に練習もしていた山本キッド徳郁さんも胃癌で亡くなっている。
俺よりも 遙かに若く、超一流選手が半年もせずに癌に命を奪われていた。
宣告をされたドクターの雰囲気があまりに暗かったので、そうとうやばい状況なのかなと思ってしまいました。
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こんな、駄文を読んでくださり貴方は仏様ですか?