数値目標という欺瞞――「節子、それ多様性やない、強制された均質性や」
「多様性(ダイバーシティ)」という言葉が、どこか一人歩きしているように感じる今日この頃です。
世間を見渡すと、「人種や性別の割合をこうしよう」「政治家やCEO、理系学部に女性をもっと増やそう」と、数値目標を掲げて躍起になっている光景をよく目にします。しかし、こうした動きに対して、「何か本質がズレているのではないか」と強い違和感を抱くのは、決して不自然なことではありません。
本来の多様性とは、「結果として生まれるもの」のはずです。
ある会社はこういう文化を持ち、別の会社はまた違う強みを持つ。この国にはこの国の歴史があり、あの国にはあの国の風土がある。そうした個々の「差異」や「固有の形」をそのまま認め、尊重することこそが、真の意味での多様な社会を作っていくのではないでしょうか。
それにもかかわらず、あらかじめ「理想的な割合」という正解を定義し、すべての組織や社会をその型にはめ込もうとするアプローチは、どうでしょう。一見、多様性を推進しているように見えて、その実態は「どの組織も同じような比率に揃える」という、一種の「均質化」の強制にすぎないのかもしれません。
数値目標を設定して上から多様性を目指すだなんて、少しでも冷静な知性が残っているならば、そんな矛盾した暴論は口にできないはずです。
型を押し付ける硬直した思考は、むしろ個々の本来の輝きや、自由な選択を奪ってしまう危うさを秘めています。
私たちが目指すべきは、作られた数値を達成することではなく、それぞれの違いを自然に受け入れられる寛容さです。
目標としての多様性を無理に推し進める矛盾に気づき、目の前にある「本物の差異」に目を向けること。それこそが、本当に豊かな社会へ向かうための第一歩なのだと感じます。
