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デッドアイ・ディック

 アメリカのヴォネガットなる作家を初めて読む。すぐにでもこの人の他の小説を読みたくなる感覚だけど、読後感は「のぞき穴」が開きっぱなしのような、ぽっかりとした感覚。主人公のルディ・ウォルツは、偶然の悲劇によって一度人生が閉じられた男で、その悲劇とは、12歳の時に自宅の屋根裏の部屋から銃をぶっ放し、妊婦の「のぞき穴」を閉じてしまうことだった。作中で「のぞき穴が閉じる」とは死ぬことを意味している。「のぞき穴」という描写はおそらく、人生とはのぞき穴をのぞくようなもので、自分に見える世界は限られていて、悲劇の類は多くの場合、のぞき穴の死角から、突然に現れることの虚無を、滑稽に表している。

金持ちで、絵をちゃんと仕上げたこともない芸術気取りの父。その父から銃の手ほどきを受け、初めて武器庫の鍵を渡された日に、ルディは何を思ったのか、素晴らしく慣れた手つきで弾を装填し、引き金を引く。しばらくして知り合いの警察が来て事態を知る。父親は主人公となって罪を一手に担う。世間知らずの父はそれで事態が収束すると思ったが、人が一人死んでいるので当然そうはならない。家は資産を失い没落する。それからの家族の生活と、それまでの回想が描かれる。笑い話を聞くような感覚にもなる。

 特に希望を見出すものでもなかったが、物語の途中では料理やお菓子のレシピが突如として挟まれたり、兄のフェリックスやその恋人など、一人ひとりの残酷で滑稽なエピソードがあったり、わたしの興味を撃つものが散りばめられていた。
 いろんなのぞき穴があるよね、こんなものなのか。人生色々あるよね……が沁みるのだ。ヴォネガットのカラフルな悲劇と哀愁が、安心をくれた気がした。

 そんなわたしの「のぞき穴」からは、無事に最終出社を見ることができた。6月末に退職を申し出て、1か月ちょっとの時間が経った。気まずくて、気だるくて長かった。しっかりと引継ぎの準備は進めたけれど、仕事中にはあくびがたくさん出た。
 たくさんの飲み会をしてもらった。後輩と飲んだときには、今までほとんど飲んだことがない女子の後輩もやってきて、きっとわたしのファンだったのだろうと思った。飲みながら気づいたが、ただ後輩と仲が良いだけだった。後輩は酒を飲むと泣きはじめた。泣きじゃくるという表現が適切だった。2軒目で、炙りシメサバを食べながら、脈絡もなく泣き出したので、酒の作用だったと受け止めている。

 先輩とサシで飲んだ時には、退職を告げた順番や、退職を告げてから誰と飲んだのか、怒った人はいたのか、といった質問をもらった。先輩を立てるように、丁寧に答える必要があった。でも店は手配してくれたし、ご馳走もしてくれたし、エールももらった。
 複数名の先輩達と行った時には、いつの間にか病を乗り越えて元気になった先輩の快気祝いの様相を呈していて、それはわたしにとっても愉快だった。
 最終出社は終えたものの、まだ飲めていない人たちがいて、あと3回は飲む機会がある。「飲む」という文化は、根強い。

 最終出社日のこと、最近はフレックスを多用して20分ほど定刻より遅れるのが常だったが、最後は定刻に合わせて行こうかとも思った。でも朝になったら眠たくて、ちゃんと20分遅れて出社した。退職の挨拶を考えながら。
 皆さんの前で「最終出社なので一言挨拶いいですか」と大声で喋りだすイメージだったが、定年退職でもないし、わざわざ人前に出る必要もないだろうと思って、個別に挨拶して回った。
 個別の挨拶が成功したパターンも多かったが、まわりの人が起立しだして、複数人グループにまとめて喋らなきゃいけないこともあった。わたしの退職のことをあまり知らない人は、表情の作り方に困っていた。「祝っていいのか、悲しむべきなのか、そもそもなんで退職すんの?」と。そのときは、しんみりと、真摯に、申し訳なさそうに挨拶をした後で、大声の大馬鹿声で「ありがとうございましたぁ!」と言うと、モヤモヤが晴れた様子だった。自分らしい一日だったと思う。

 申し添えるが、わたしは退職によって「のぞき穴」が閉じられたわけではない。のぞき穴から見えているものを踏まえて、別の場所をのぞきたくなったのだ。

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