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「病は気から」の“気”を知ってしまった

60歳を過ぎると、健康のことを考えない日がなくなる。朝起きて腰が痛ければ、「昨日の網戸の張替えのせいかな」と考えるし、少しお腹の調子が悪ければ、「何か悪い病気じゃないだろうな」と頭をよぎる。ましてや私は大腸がんを経験している。若い頃は健康なんて空気みたいなものだったのに、年齢を重ねると空気のありがたさが身にしみる。そんなことを考えていた昨日、SNSである和尚さんの法話が流れてきた。今日はその話に、私は気づいてしまった話。


「信じる者は救われる」の本当の意味?

法話のテーマは、

「信じる者は救われる」

という、誰もが一度は聞いたことのある言葉だった。

正直なところ、私はこの言葉を聞くたびに少しひっかかっていた。

信じる人だけ救われて、信じない人は救われないの?

なんだか不公平な気もする。

ところが和尚さんの話は、そんな単純なものではなかった。

ある住職と医者が話をしていた時のエピソード。

医者が聞く。

「神も仏も信じない悪い人間も救われるんですか?」

すると住職は逆に質問した。

「病気なのに薬を飲まない。暴飲暴食もやめない。酒もタバコもやめない。それなのに“医者なんだから治せ”と言われたら、先生はどうしますか?」

医者は答える。

「それは無理ですよ。まず本人が生活を改めないと。」

住職は言ったそうだ。

「そうでしょう。いくら救いの手を差し伸べても、本人が気づかなければ意味がないんですよ。」

なるほど。

私は思わずスマホを持ったまま止まってしまった。

「気」とは「気づき」のことかもしれない

昔から、

「病は気から」

という言葉がある。

でも、この「気」って何なんだろう。

気合い?
元気?
気力?

なんとなくそんなイメージだった。

ところが昨日の法話を聞いていて、ふと思った。

もしかすると、

「気づき」

の「気」なのかもしれない。

病気になったら医師の話を聞く。

生活習慣を見直す。
食事を変える。
運動を始める。
睡眠を整える。

そうやって回復への道を歩き始める。

でも、その前に必要なのは、

「今のままではいけない」

と気づくことだ。

気づかなければ行動は変わらない。

行動が変わらなければ結果も変わらない。

なんだか当たり前の話なのに、妙に腑に落ちた。

私も昔は気づいていなかった

振り返れば、大腸がんになる前の私は、ずいぶん無茶をしていた。

忙しいを言い訳にして睡眠を削る。

ビールは相変わらず、食事も適当。

運動は「明日から」。

その明日はなかなか来ない。

まるでダイエットの神様と鬼ごっこをしているような生活だった。

そして体が悲鳴を上げてから初めて気づく。

あぁ、体はずっとサインを出していたんだな、と。

そう考えると、病気そのものが悪者ではなく、

「そろそろ気づいてくださいよ」

というメッセージだったのかもしれない。

もちろん病気はない方がいい。

でも、そこから学ぶことは意外と大きい。

【過去記事紹介】
健康のために運動しなきゃ。食事も気をつけなきゃ。早く寝なきゃ。そう思いながらも、気づけばいつも通りの一日が終わっている。実は、多くの人が健康習慣を続けられないのは「意志が弱いから」ではありません。ラクに続く健康習慣のヒント!

▶ 健康になれない原因は努力だった?医師が教える全自動健康術

気づきは健康だけじゃない

面白いことに、この話は健康だけではない。

仕事も同じ。
人間関係も同じ。
お金も同じ。

誰かがアドバイスをくれても、自分が気づかなければ何も変わらない。

本もそうだ。

同じ本を読んでも、響く人と響かない人がいる。

そこには知識の差ではなく、気づく準備ができているかどうかの違いがあるのかもしれない。

そう考えると、人生は「気づき集めの旅」みたいなものだ。

そして年齢を重ねるほど、その旅は案外面白くなる。

今日のまとめ

昨日の法話を聞いて思った。

仏様の救いの手というのは、特別な奇跡ではないのかもしれない。

誰かの言葉だったり、

本の一節だったり、

家族のひと言だったり、

体の不調だったり。

私たちの周りには、気づきのヒントがたくさん置かれている。

でも見ようとしなければ見えない。

聞こうとしなければ聞こえない。

だからこそ、

「病は気から」

の気とは、

「気づき」の気。

そんな解釈も、なかなか悪くないなと思った。

今日もまた一つ、新しい気づきをいただいた。

ありがとうございます。

そう心の中で手を合わせながら、一日を終えた。

そういえば、健康のためにと始めた10分散歩。

せめて10分、今日はちゃんと歩こうと思う。

……たぶん。

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