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1930年代〜1940年代のメンズ靴

1930年代から1940年代にかけて、メンズ靴は大きく変化していった。
大不況の時代には、底に穴のあいた靴がいくらでもはかれていたけれど、よく手入れされた靴もあり、ファッション・ジャーナリズムが目を向けたのは、こうした立派な靴をはいた少数派だった。けれども、その少数派の装いは、やがて新しい靴の流行をつくっていくことになる。

1931年のパームビーチでのスタイル調査は、今までなかったほど、よく手入れされたスマートなスポーツ・シューズをはいた男たちが多くなっていることを指摘していた。とくに、2色使いのウイング・チップ型の靴はなお1位のスタイルだったが、黒よりも茶色の飾りが強く好まれるようになっていた。また、オール・ホワイトのバックスキンも伸びつづけており、無飾り、ストレート・チップ、ウイング・チップといった型に分かれながら、確かな存在感を持っていた。

1932年春には、それまで流行の先端を行く男たちに好まれていた茶色のバックスキンの靴が、ごく大衆的なものになったと伝えられた。この種の靴は、もとはカントリー用を志向したものだったが、その年の夏には街ではくものとして期待されるようになった。茶色のバックスキンの靴は、ウイング・チップ型と無飾り型が正式とされ、黄かっ色、茶色、オリーブ、あるいはグレーの上着や替ズボンと合わせて、街着として一般に着ることができると考えられていた。
一方で、白いバックスキンの流行もつづいていたが、スポーツ・シューズでは、茶と白を組み合わせたウイング型や、黒と白・茶と白のサドル・ストラップ・シューズが人気を保っていた。ここではすでに、靴が単なる実用品ではなく、服との組み合わせ全体で考えられていたことがわかる。

1934年になると、『アパレル・アーツ』誌は、場合に適した正しい靴を写真で説明し、ビジネス・ウェア、ストリート・ウェア、カントリー・ウェアで靴を分けて見せていた。
黒または茶色の保守的な注文製オックスフォードはビジネス・ウェアに適し、厚手の総穴飾りつきオックスフォードはストリート・ウェアに分類され、厚いゴム底の茶色のバックスキンの無飾りの外羽根式オックスフォードは、カントリー・ウェア用の代表的な靴とされた。つまりこの時代には、靴の選び方が「場面」によって整理されはじめていたのである。

30年代の中頃には、ノルウェー型の靴がおしゃれなアメリカ人に取り入れられていた。ひとつは「ウィージュンズ」と呼ばれる、前部がモカシン型のスリップオン・スタイル。もうひとつは、「ノルウェーアン・フロント・シュー」として知られる、前部がモカシン型になった紐留め型であった。『エスクァイア』誌1936年7月号は、表面がなめらかな茶色の仔牛革のウィージュンズと、茶と白を組み合わせたノルウェーアン・シューズを紹介している。  

30年代後半には、薄手素材の夏服がますます注目され、製靴業者は季節の変化という考え方を取り入れた。これは特に夏期用フットウェアに強い傾向だった。
「快適さが新しい夏期用靴の最大の鍵である」と当時の記者が述べたように、多くの夏期用靴は軽くつくられ、通気穴があけられ、素材には編まれた皮革や布地も使われた。通気穴つき、または通気穴なしのオール・ホワイトの靴、赤い底で黄色のセーム革のブラッチャー、白い仔牛革を飾った白い帆布製オックスフォード、茶色の仔牛革を飾ったベージュの帆布製オックスフォードなどは、その代表例である。
ここでは、靴の価値が「重厚さ」だけでなく、「軽さ」「涼しさ」「快適さ」に移っている。



また、30年代の中頃には、サンダルの型もビーチ型からオックスフォードに近いものまで、さまざまな型が出てきた。表面がなめらかな仔牛革、裏皮の仔牛革、白い裏皮やバックスキンを茶色の仔牛革に合わせたコンビネーション型など、多くの種類の皮革が使われた。ただし、サンダルの正しい使い方は厳密にいえばビーチウェア・スタイルとしてであり、街で着るラウンジ・スーツとは決して合わせることはない、とも説明されていた。
つまり、カジュアル化は進んでいたが、同時に「どこで、何に合わせてはくか」というルール意識も強かったのである。

1938年から1939年にかけては、靴の種類はいっそう多様になった。
モリエール・ブーツが一般化し、のちにはチャッカー・ブーツやデザート・ブーツがその位置を引き継いでいく。1938年、『エスクァイア』誌は、ビーチ・ウェアには赤いエスパドリーユズと黄色い仔牛革のサンダル、リゾート・ウェアには仔牛革のモンク・フロントの靴、ゴム底の青いキャンバス・シューズ、茶と白の2色使いの靴、海辺のクラブ用には茶と白の2色使いのノルウェー型モカシンがあったことを示している。
さらにその年、新しい春ものの靴には、爪皮が短くなる傾向が現れ、靴全体の均整が変化し、男の足をより小さく見せることが可能になったとされた。爪先はストレート型もウイング型も短くされ、ブラッチャーにも新しい型が現れた。



1940年前後になると、大学生の服装にも、厚い底のスポーツ・シューズ、モンク・フロント型のチャッカー・ブーツ、紐留めのモカシンなどが目立つようになった。1940年と1941年の靴の広告には、「2重底で保護」といった表現が多く見られ、靴は「なめらかで、口当たりよく見え、見えないところは思いきり頑丈に」と説明された。


ここでは、1930年代後半に進んだ軽快さや用途別の整理に加えて、厚い底と頑丈さが前面に出てきている。すなわち、1930年代に広がった快適さの追求が、1940年代にはより実用的で力強い方向へ進んでいったのである。

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