自作小説 「また、あの酒場で」 第2話 『来訪』
「お三方、もうすぐ林を抜けます。星の降る樹がよく見えますよ」
いつもの行商の帰り道。私は御者席から後ろに声をかけ、手綱を握りなおす。
立ち並ぶ木々が途切れ、視界が開けた先に見えたのは、雲の白と海の青を基調とした建物の立ち並ぶ港町。そして都市の外れにそびえ立つ、雲を貫く大樹。
人呼んで海と空の境界都市。またの名を──
「わぁぁ! あれが迷宮都市アストラルクね! 潮の匂いがする!」
細身の少女が馬車から身を乗り出し、元気いっぱいに声を上げた。
街道を流れる潮風に紫紺の髪を遊ばせ、同じ色の瞳はいろんな場所を行ったり来たり。うずうずと体を揺らし、油断すれば今にも飛び出していきそうな様子はまるで猫のようだ。私には見慣れた景色だが、こんなに喜んでもらえるとなんだか誇らしい。
「お嬢様、はしたのうございますよ……」
小言を漏らすのは従者の女性だ。ちらりと見やると、彼女ははしゃぐ少女の身体をさり気なく支えながら、顎のラインで切り揃えられた金髪を指先でかき上げる。
言葉とは裏腹に、涼やかな瞳は少女を優しく見守り、愛おし気に顔を綻ばせていた。
「すまんね、連れが騒がしくしちまって」
隣に座った男がこげ茶の髪をぽりぽりと掻いてにへらと笑う。見た目は軽薄そうだが意外に気の回る男で、道すがら話し相手になってくれたのはもっぱらこの男だ。
垂れ目がちな目元はどこか人を食ったようで、良く舌の回る口元には金の差し歯が光っている。
三人とも使い込まれた外套を羽織っていて、一見普通の旅人のようだ。だけどこちとら行商人だ。人を見る目には少しばかり自負がある。
「いやいや、構わないよ。昨日はたっぷり買って貰ったからね」
この三人組と出会ったのは三日前の事だ。
──────
この日はとある村で商売を終えて、あとは帰るだけ、という所だった。そんな時、声を掛けられたのだ。
「よう、行商人の兄さん、ちょっといいかい?」
「はい? おや、初めてのお客さんですか。村のひとじゃありませんよね?」
小さな村だし、村人の顔は子供に至るまで全員覚えている。
「こないだからしばらくご厄介になっててな。マエルってんだ、よろしくな。村長さんに聞いたんだが、兄さん、アストラルクの商人なんだろ? ちょいと荷車に乗せてってくんねえかな。俺らもそこに向かってんだ」
人懐っこい笑みを浮かべて、男……マエルは親指で背後にいる二人組を指す。一人なら条件次第だが、三人となると二つ返事というわけにもいかない。
少しだけ思案するが、売れ残った商品もあるしこの村で仕入れた品もある。人を乗せるならいくらか置いて行くことになる。
「すいませんね、お客さん。積める荷物にも限界がありまして。今回はちょっと……」
「ああ、わかってる。だから、荷台に積んでる商品は全部買い取ってやるよ」
「いや、そりゃこっちとしてはありがたい話ですけど、全部は積んでいけませんよ?」
断ろうとしたら何かとんでもない条件を提示された。それならこっちに損はないが、それはそれとして荷車の容量は変わらないのだ。
どうするのか、と目で問うと、マエルはからっとした笑みを返してきた。
「兄さん、一日くらい滞在伸ばせんだろ? 今夜はその酒と食い物を提供して、村中ぱーっと騒ごうや。兄さんは商売がうまく行って助かる、村の人は降って湧いた宴で喜ぶ、俺らは旅の足が確保できて助かる。それでどうだい?」
なんだその楽しそうな提案は。誰も損をしてないのが良い。タダ飯タダ酒にありつけるというのが特に良い。商売人は利に聡くなければ!
──────
一昨日の宴は楽しかった。村のみんなも喜んでくれたし、村でいちばん美人なイーダちゃんが隣で酌をしてくれて……ぐへへ。
そんな益体もない妄想に浸っているうちに、荷馬車は通用門をくぐっていた。いけない、人をはねないように集中だ。
馬車は大通りを進む。荷台のお嬢さんは左右に立ち並ぶ商店、そこに並ぶ色とりどりの商品を、ひとつひとつ指さしては華やいだ声を上げた。
「さあ、着いたよ。ここがこの都市で一番大きな宿だ」
しばらくして、馬車を一軒の宿屋の前で停める。振り向いて後ろに声をかけると、勢いよく少女が飛び降りた。従者の女が慌てて追いかける。
「ひ、いえ、お嬢様! 急に飛び出すのはおやめください!」
「ノイシュは堅苦しいのよ! 行商人さん、ありがとう! 助かったわ! ほら、あなたもお礼を言いなさい!」
胸を張って腰に手を当て、大仰な身振りで謝意を表す。言葉は気安いが、態度はどう見ても人を使うことに慣れた立場のそれだ。
ノイシュと呼ばれた従者はまだ何か言いかけては、その度に口を噤む。それでも最後はひとつ軽く頭を下げてくれた。
「ったく、落ち着きのねえこった」
マエルは呆れたようにため息を吐いて、去り際に銀貨を一枚、銅貨を数枚握らせてくれる。
「悪かったなぁ、これ運んでもらった手間賃だ。迷惑かけた分、色付けとくぜ」
「ああ、どうも。別に気にしなくていいのに。って、あんた、これ!」
礼を言いながら何気なく貰った銅貨を数えると、一枚明らかにおかしなものが混じっていた。金貨だ。さすがに心付けとして受け取れるものじゃない。これ一枚でひと月は食っていける。
慌てて呼び止めようとすると、彼は振り返り、人差し指を口元に立ててニヤリと笑う。軽薄そうな笑みだが、眼光だけは鋭かった。
私はごくりと生唾を飲み込むと、懐から台帳を取り出して一昨日の取引記録を塗りつぶす。平静を取り繕って笑みを返すと、マエルも満足気に頷いてひらひらと手を振った。
「こっちでも露天商やってんだろ? また顔出すわ。じゃあな」
彼の表情は、一瞬前と同じ軽薄そうなニヤけ顔に戻っていた。
私は御者席でひとつ息を吐き、凝り固まった首と肩を回して解す。こちとら行商人だ。人を見る目には少しばかり自負がある。
今回の行商もいつも通り。さあ、市場に戻って次の行商に備えなければ。
