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【歴史・文化批評】アメリカ。永遠に建設中の幻想

アメリカとはなんだろう? それは絵に描いた星々をきらめかせる1枚の旗でもなければ、憲法の前文でもない。アメリカとは、うなるエンジン音、高らかに鳴り響くホラ貝、チェダー・チーズがはみ出たハンバーガー、そして「自己実現」への燃え上がる執念だ。時代が変われば言葉も変わり、思想も変わる。だが、変わらないのは――つねに、自分こそが時代の主役だという妄想的確信である。


Ⅰ. 革命児ジェファーソン、パリ帰りの理想主義者(1776年〜1820年代)


トーマス・ジェファーソンは羽ペンを握りしめ宣言した。「すべての人間は平等に創られている」。しかし、かれの書斎の窓の外では、奴隷たちが畑を耕していた。これがアメリカである。アメリカ建国とは、崇高なる理念と都合の良い「現実」のカクテルなのだ。パリ帰りの紳士が持ち帰ったのは、自由の思想と赤ワインだけではない。啓蒙思想をアメリカ式に加工し、「市民」という言葉を白人男性に限って使うという、自分勝手でちゃっかりした時代思潮だった。それはひそやかに始まった、静かな夜の訪れのように。


Ⅱ. アンドリュー・ジャクソンと無法のフロンティア(1820年代〜1860年代)


次に登場するのが先住民殺しのアウトロー大統領、アンドリュー・ジャクソンである。ジェファーソンがペンで〈アメリカ〉を創ったなら、ジャクソンは弾丸を使ってその〈アメリカ〉を押し広げた。西部では土地がカネだった。弾丸と鉄道が新しい聖書なのだ。アメリカ人は地図に「空白」を見つければ、そこに星条旗をぶっ刺してまわった。これがマニフェスト・ディスティニーである。神がくださった運命、それは実際には銃と権力で勝ち取った既得権益なのである。


ジャクソンは民主主義の化身として登場した。ただし、それは「白人男性に限る」民主主義だった。奴隷制という名の地雷はいまだ温存されていた。しかし、1861年、南北戦争というかたちで盛大に爆発することになる。



Ⅲ. ロックフェラー帝国とテディ・ルーズヴェルトの荒い鼻息(1870年代〜1920年代)



鋼鉄、石油、電気。アメリカは汗と機械油でできていた。ジョン・D・ロックフェラーは、石油をしぼり、労働者をしぼり、国家さえしぼりあげた。モノポリーを現実に変えた資本主義の魔術師。だが、そんな時代に「待った!」をかけた男がいた。テディ・ルーズヴェルトである。厚い唇と爆発する正義感の持ち主。「トラスト・バスター」? いいえ、かれはむしろアメリカという暴走機関車のブレーキを踏んだのだ。


この時代のキーワードは「進歩主義」である。ただし、じっさいは“進歩”というよりも“反撃”だった。都市に飲み込まれ、搾取される労働者たち、権利を要求する女性たち、そしてようやく口を開きはじめたアフロ・アメリカンたち。


Ⅳ. 冷戦、ケネディ、キング牧師の時代(1940年代〜1960年代)


ここに、アメリカの理想と現実が再び衝突する。一方に若く颯爽としたジョン・F・ケネディ。他方に、アラバマの泥道から「I Have a Dream」を叫んだ黒人牧師、マーティン・ルーサー・キング。時まさにミサイル危機と宇宙開発競争が空を支配していたそのとき、地上では人権の革命が始まっていた。


実はあれは内戦だったのかもしれない。自分たちが「自由の旗手」だと信じていたアメリカは、警官の棍棒で黒人を殴りながら、ソ連に「自由を尊重しろ」を繰り返した。だが、そのときアメリカで公民権運動が巻き起こったことも忘れてはならない。あの時代のアフロ・アメリカンたちは誇り高く、胸を張り、毅然とかれらの尊厳を主張した。ジャズは芸術化し、マイルス・デイヴィスをスターにした。マーヴィン・ゲイとタミー・テレルの "Ain't No Mountain High Enough"は、黒人たちの連帯と勇気の象徴になった。


しかしそれであってなお、マッカーシズム、ヴェトナム戦争、ウォーターゲート――自由はいつも、白黒フィルムの中で苦しんでいた。


Ⅴ. フラワーチルドレンと爆発する自由(1960年代後半〜1970年代初頭)

ベトナムで兵士が血を流すころ、サンフランシスコでは若者たちが花を髪に差して踊っていた。裸足で。LSDで宇宙に飛びながら。ようこそ、ヒッピーたちの楽園へ。

きっかけは、カウンターカルチャーの前衛詩人アレン・ギンズバーグ、そして永遠の反抗児『オン・ザ・ロード』のジャック・ケルアック。かれらが種をまき、1960年代後半にその花が一斉に咲いた、しかもサイケデリックカラーで。いいえ、あれはもはや花ではない、文化の爆発だった。男たちは髪を伸ばし髭をたくわえ、女たちは髪に花を飾り、女性解放の象徴としてブラを捨てた。ヴェトナムまで出かけて行って泥まみれの殺し合いをするなんてまっぴらだ。LOVE&PEACE。愛する人とドラッグを分け合い、サイケデリック・ロックに酔いしれるのだ。1967年、サンフランシスコ――霧と音楽とフェロモンとLSDが街を支配していた夏。そしてウッドストック(1969)。40万人が押し寄せた。泥、雨、音楽、ドラッグ、裸、そしてトレモロ・アームを使いまくりアンプとセックスするかのようなエレキ・ギター。いかなる国家からも解放された、一瞬の共同幻想がここにあった。しかし、その夢もまた――夢だったのだ。

しかし、かれらが残した思想は生き残った。フェミニズム、環境運動。LGBTQの権利運動。かれらの放った「NO」は、未来に向けての「YES」だったのかもしれない。


Ⅵ. トランプ登場、肥大する自我とポスト真実の時代(1990年代〜現在)


さて、いま我々はどこにいるだろう? ハリウッドとワシントンD.C.の境界線は消え、スマホが新しい聖典となった。ドナルド・トランプ、不動産王にしてリアリティショーの主役が、ホワイトハウスに入って来たのだ。かれは吠えて吠えて吠えまくる。演説で、テレビで、Xのポストで。


こうして「ポスト真実」の時代が到来したのだ。BLMとQアノンが同じ国の中で叫び合う。トランスジェンダーの子供と聖書を持つ母親が、学校の前でにらみ合う。だが、それでもアメリカは止まらない。トランプ大統領の強硬的移民排除政策がまた波乱を巻き起こす。アメリカは完全に分裂し、「事実」さえも消滅したのだ。しかし、これこそがアメリカなのだ。つねにダイナミズムを巻き起こし、変化に取り憑かれた狂気とエクスタシー。つねに過去を破壊し、未来をでっち上げ、今この瞬間を「正義」に仕立てあげる。


シリコンヴァレーの神話も忘れてはならない。ザッカーバーグはジェファーソンの甦りだろうか? あるいは監視資本主義のロックフェラーか? いずれにせよ、「アメリカン・ドリーム」は「アメリカン・アルゴリズム」へと変質したのだ。いまやアルゴリズムが選挙を左右し、気候変動が国境を超える。郊外住宅の孤独はパンデミックよりも深刻な病となった。たとえばSNS依存、やがてタイピングとスクロールを続けながら静かに孤独の毒が心にまわる。いまやアメリカは世界の震源地である。


いったいアメリカとはなんなんだろう? ジェファーソンが夢見て、キングが叫び、トランプが炎上させたもの。すべてのアメリカ人がこの幻想の中に生きている。れがアメリカだ。アメリカ、それはいつも未完成で、永遠に建設中の幻想なのだ。



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