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ヴァイオリンはジャズを拡張する。ー12本の弦と5人の男。

ジャズに魅了されるとサキソフォン奏者やトランペット奏者にあこがれるもの。なかにはピアニストにぐっとくる人もいるでしょうし、ギターの可能性に賭ける人もまた。はたまた1950年代にはヴァイヴィラフォンもまた活躍したもの。しかし、なかにはベニー・グッドマンや北村英治さんのようにクラリネットを、ハービー・マンのようにフルートを、トゥーツ・シールマンスのようにハモニカを、あるいは明田川庄司さんのようにオカリナを導入する人もいる。さて、ヴァイオリンはどうだろう? ぼくは、ふたりのフランス人、ステファン・グラッペリと、ジャン・リュック・ポンティ以外にはおもいだせない。考えてみれば不思議なことだ。なぜなら、ジャズは見方によっては西洋古典音楽の印象派~新古典主義、12音音楽が、アフロ・アメリカンの音楽と融合して、ダイナミックに発展したもの。ならば、どうしてジャズにはクラシックの花形たるヴァイオリンの影が薄いかしらん?


新宿3丁目のライヴ・ハウス Pit Inn の告知を見ていると、「12本の弦と5人の男」なるバンドがあって、ぼくはその編成に興味を持って、いつものガール・フレンドとふたりでおっかなびっくり聴きに行ってみた。ヴァイオリン奏者ふたり(定村史朗さん&石井智大さん)、ベース(瀬尾高志さん)、ピアノ(石井彰さん)、ドラムスおよび各種鳴り物(芳垣安洋さん)という構成。ふたりのヴァイオリン奏者をフロントに立て、かれらの歌心あふれメロディの宝庫のような心と心、メロディの応酬と共演が音楽をリードし、ウッド・ベースが躍動的なジャズっぽさを導入し、ドラムス&鳴り物が迫力を支え、ピアノが曲の感情的ニュアンスを演出する。


定村史朗さん&石井智大さんはそれぞれヴァイオリンの表現力が絶大で、音楽的個性がいくらか異なったふたりの奏でるサウンドはヴァイオリンに接合されたマイクロフォンで拾われ、ナチュラル・トーンを基調にしながらも、それぞれ足元のアタッチメントでひかえめに加工される。ピアニストの石井彰さんはキース・ジャレットを通過してご自分の音楽を作ってこられたことが垣間見える。かれらの音楽は、ざっくり言えば1970年代、ハービー・ハンコックがリードしたフュージョンに聴こえなくもないものの、しかしそこに収まり切れない異色の創造性がある。


では、その異色はいったいなにに由来しているかしらん? おそらくふたりのヴァイオリニストが曲に導入する音階~旋法が一般にジャズであまねく広く使われるものとは異なっているからでしょう。ただし、かれらの音楽的個性を十分に表現することは楽理を学んでいないぼくの手には余る。そもそもヴァイオリン音楽には複数の出自があって、遊牧民、ジプシー、ユダヤ人の文化が流れ込んでいる。むかしぼくはハンガリー映画でヴァイオリニストを主人公にした作品(タル・ベーラ監督の『アウトサイダー』)を見たことがあって、そのときぼくのなかにバルトークの故郷のイメージが生まれたものだ。なお、公式情報によると石井智大さんは東京芸大在学中に、ポーランドのジャズ・シーンに衝撃を受けてジャズにのめりこむようになったとか。なるほど、石井智大さんのおとうさんはこのバンドのピアニスト石井彰さんでもあることですし。かれらのヴァイオリン演奏には、いくらかユダヤっぽさを感じる瞬間があるものの、しかし迂闊なことは言えません。



余談ながら、フランス料理好きならば一度はブリヤ・サヴァランの『美味礼讃~味覚の生理学』を読むでしょう。なお、著者のブリヤ・アヴァランは当時フランスの地方裁判所の判事だったものの、しかしフランス革命が勃発し、こりゃやばい、このままフランスにおったらおれも殺されてまうやんけ、とあわててヴァイオリン一丁抱え、客船でアメリカへ逃げ延び、数年間レストランでヴァイオリンを弾いて、喰いつないだもの。いったいかれがレストランでどんな曲を演奏したのかぼくは興味しんしんながら、しかし歴史はそれを教えてくれない。


なお、この夜のピット・インには西洋白人の姿もちらほらしていて、スキンヘッドの中年男性はかれらの演奏に熱狂し、休憩時間にかれらのCDを全種類買っていたもの。なんだかんだ言って日本に遊びに来る西洋人はカネ持ちだ。


ヴァイオリンは遊牧民~移動民の心をリスナーに伝染させる。リスナーもまた音楽とともに旅をするのだ。「12本の弦と5人の男」、ジャズの得難い可能性の一端がかれらにはある。



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