バリトン・サックス奏者・吉田隆一さんの導きで、ぼくはカーラ・ブレイを好きになる。
アメリカ人がSUSHIを愛するようになるまでにも、ずいぶん時間がかかったじゃないか。かれらにはSUSHIに脚注が必要だったのだ。同様に、音楽にだって脚注が必要なときがある。しかもそれは、けっして1950年代の現代音楽のような難解な作品に限らない。いかにもしたしみやすい顔をした音楽にだって、時には「解説」が必要なリスナーもいるのだ。
Carla Bley(1936–2023)。カリフォルニア育ちの作曲家・ジャズミュージシャン。彼女は、ミュージシャンに愛されるミュージシャンだった。
1982年の彼女のライヴ盤に、坂本龍一さんは注目した。渋谷毅さんは、いくつかの楽曲を自分のレパートリーに加え、まるで古くからの知り合いのように、渋谷さんの音楽世界のなかに自然に溶け込ませた。アメリカでもヨーロッパでも、彼女の音楽を愛するプレイヤーは多い。
ぼくもかつてそのライヴ盤や、スティーヴ・スワロウとのデュオを聴いた。やわらかな感受性、しなやかで自由な音楽性。決して奇をてらうことなく、それでいて新しく、しずかに胸を打つ音楽。ただ、ぼくはそれ以上、深く入り込むことができなかった。
難しい音楽だからではない。むしろ彼女の音楽はしたしみやすい。けれど、ぼくのような〈非ミュージシャン〉の耳には、おそらくその音楽の背景や文脈をめぐる「脚注」が必要だったのだ。
その霧を晴らしてくれたのが、バリトン・サックス奏者の吉田隆一さんだった。かれが率いる〈カーラ・ブレイを愛するミュージシャンたち〉による演奏。そして、吉田さんの、あふれんばかりの愛情に満ちた解説。
吉田さんは、ふだんは数人の管楽器奏者を加えた大所帯でカーラ・ブレイの音楽を演奏しているそうだ。しかしこの夜――2025年7月26日、新宿Pit Innの夜の部――は、4人編成のアコースティック編成。選曲はブルージーなものが中心だった。
吉田さんは、バリトン・サックスを中心に、曲によってバス・フルートや鍵盤ハモニカも演奏。ホーナー製と日本製、2種類を使い分けるという凝りようだ。
ピアノの黒田京子さんは、クラシックの素養をにじませながら、アドリブはまるで迷宮のように自由で、スリリングだ。
吉野弘志さんのウッドベースは、音楽に深い内省をもたらす。
芳垣安洋さんのドラムスは、むずかしいビートも、まるで煙草でもふかすように軽やかに叩いてみせる。汗をかかない熱演、まさに粋なドラマー。
そして、ギターの細井徳太郎さん。サックスとギターという、音域の衝突を招きやすい編成のなかで、かれはサックスとは別の「歌」を歌う。ときにノイズを導入し、音楽に新たな刺激を与える。
かつて吉田さんが、フィリップ・K・ディックのTシャツを着てステージに立っていた姿を、ぼくは覚えている。音楽でできたようなその人柄。それでいて、自分の音楽観、そしてカーラ・ブレイの魅力を、言語化して伝える力をもつ稀有なミュージシャンだ。
この夜のMCもまたすばらしかった。けっして自分の音楽を売り込むのでなく、ただひたすら、
「みなさん、カーラ・ブレイを聴きましょう。めちゃめちゃすばらしいんだから」
――素朴に、力強く、まるで祈るように語るのだ。
なんと、日本的な美質だろう。かれらの音楽には欧米の血が流れているというのに。
