jullias suzzyは、いま何を考えているの?
おっと、ついつい自己愛が匂いたちもする恥ずかしいタイトルを振ってしまって、ごめんなさい。いやぁ、考えるということはきりのないいとなみで、どこまでいっても終わりがない。ひとつの論考を書き上げて、これで構造がつかまえられたかな、と安堵し満足感を得る。ところが、次の瞬間、新たな問いにとらわれて、またそれと格闘するはめに陥る。偉大な学者たちもみんなそうだったのだろうことに、偉大とはあまりにもほど遠い私もまた気づく。ここでは経過報告として、いま私が抱えている主題を開陳して、今後の予告とさせていただきます。
1)『ふたつの音楽世界の境界を歩く』:この論考はこれからいよいよ4章へ踏み込み、『ジョン・ゾーンによるユダヤ音楽の探求』、『ヨーロッパが奪い取ったジャズの新たな次元』、『ヨーロッパのクラシック音楽は、どこへ行くのか?』へと論考は進み、AI時代における音楽の可能性、人間中心主義芸術の再興を目指す。
なお、私は現代の、ともすればアヴァンギャルドと呼ばれもする、さまざまな都市的音楽の冒険が好きでその戦士たるミュージシャンたちを愛している。かれらのほとんどはジャズメンであり、かれらは〈拡大されたジャズ〉もしくはジャズのカテゴリーで活躍する。そしてそれはニューヨークやロンドン、あるいはベルリン、はたまた東京のライヴハウスにおける、「ハイスピードの交換精神」から生まれる。すべては新しい刺激であり、アイディアの連結であり、音楽観の更新だ。賞讃されるべきミュージシャンは多い。私ならば、高瀬アキ、石田幹雄、吉田隆一、あるいはAltered Statesー内橋和久(g)、芳垣安洋(ds)、ナスノ・ミツル(b)のトリオ、なんならAphex Twin、はたまた大友良英、あるいは三宅榛名や高橋悠治の全活動を挙げるでしょう。もちろんこのジャンルの全容を知る人など誰もいないゆえ、人それぞれ挙げるミュージシャンの名前は千差万別でもあるでしょう。
繰り返すけれど、かれらが賞讃されるべき音楽家たちであることに疑いはない。ただし、他方でどこかでこの方向には未来がないんじゃないかしら、と案じてもいて。なるほど、アヴァンギャルド・ミュージックは、演劇よりも、ダンスよりも、小説よりも先を作り出している。しかし、そもそも非線型的な現代にあって、前衛という(いかにも第一次世界大戦じみた)比喩自体がもはや成立不可能ではないか。(髙市総理の時代錯誤な戦艦発言を連想しますね。)それでも私たちは新しい音楽を求め続ける。だが、そのとき不意にさまざまな土地の風土に根差した旧い音楽が新たに立ち上がる。気がつけば現代のアヴァンギャルド・ミュージックは、早すぎた晩年のジョン・コルトレーンやエリック・ドルフィーが行き着いた場所、あるいはオーネット・コールマンが離脱しようとした場所と、「同じ」場所にふたたび辿り着いているのではないかしらん。この疑惑は私にとって、もしかしたらヌーヴェルキュイジーヌ以降のコンテンポラリー・フランス料理が街場の優れたインド料理に負けているのではないかという疑惑と同じものだ。
私はその両者のあいだを揺れている。むろん、この問いに正解などあるわけがない。
2)『パコ崎ミャ子さんをモデルに考える、妄想経済学』:パコ崎ミャ子さんはいまでは2015年から2025年の日本を代表するネカマ・レストラン・レヴュアーとして(少なくともぼくの仲間うちでは)認知されています。しかし「彼女」はデビューして数年間はその実在性が信じられていた。この論考の目的は、従来の経済学が前提とする「合理的個人」「希少性」「効用最大化」といった概念を、虚構的なペルソナ=パコ崎ミャ子の存在論に照らし、「彼女」の失敗の本質がいかなるものであるかを考え、経済学を再構築すること。論考にあたっては、ホワイトヘッドを絡め、存在論と経済学と倫理学を繋ぎ、新たな経済学、名づけて妄想経済学の樹立に着手する壮大な試みです。
そもそもパコ崎ミャ子さんは、頭の悪いじいさんが手作りでこしらえたぶさいくなヴァーチャル不気味アイドルであることが明らかになるとともに、あんなアホなことを他にやる人もいなかったゆえ、「彼女」はぼくらバカ鑑賞家たちをゲラゲラ笑わせ、よろこばせてくれた。それは、のどかなバカ話の圏域に留まっています。
しかし、もしも現代において、AIが精度の高いパコ崎ミャ子2.0を量産し、それがレヴュアーの2割3割、果ては過半となったなら、いったい社会はどうなってしまうでしょう?
他方、既存の経済学は、大蔵省や日本銀行の職員にしか関係のない学問なのではないか。万人の学問としてはあまりにも不完全なのではないか。その疑惑は、安冨歩さんの『経済学の船出』によってますます強くなる。そこで私は〈妄想経済学〉なる、現代にふさわしい(そしてたいして役にも立たない)新しい経済学を打ち立てるという高級な冗談を夢想しています。
3)『あなたの知らない東京の中の世界ーー生き延びるための都市人類学フィールドワーク』:序章を紹介しましょう。
第1章|都市を読み解く眼のつくり方
あなたは東京暮らしを楽しんでいるかしらん。楽しむどころの騒ぎじゃないよ、円安は進んで、物価は上がる、未来の不安は増す一方。他方、ちょっと小ガネがあって、現実に目をつぶりさえすれば、東京は楽しい。渋谷の新しいお洒落なカフェにいる自分の写真を撮りたい。代官山のセレクトショップは自分のライフスタイルに合わせたクールなものを揃えることができる、あるいは週末限定のかわいいアイテムが並ぶポップアップ・ストプを眺めたりするのは「最高のバイブス」だ。(おっと、おもわず文体が若作りになってしまった。)雑踏のエネルギー、ネオンの光、新しいカルチャーが生まれる熱狂。この街にいるだけで、WAO、人生がマジ刺激的になる。東京にはカネの河が流れ、無限の可能性がある。果たして、その河にご縁があるかどうかは神のみぞ知るだけれど。
でも、他方でぼくらが「東京」だと思っているこの風景、本当に東京のすべてだろうか? 新宿の交差点で立ち止まって、視線をゆっくり360度回してみよう。そこにいるのは、ぼくらと同じ服を着て、似たような音楽を聴いている「仲間」だけじゃない。デパートのガラスに映るきみの「イケてる」姿は、この街の風景のたった数%に過ぎない。残りの大多数は、ぼくらの視野の外側、あるいは、ぼくらが意識的に見て見ぬふりをしてきた場所にある。
これがこの連載のスタート地点だ。この街は「希望の光」であふれているけれど、同時に「底なしの地獄」も抱えている。そしてヤバいことに、その光と闇は、ほぼ同じ場所で、同じ時間に存在している。ぼくらが意識して見ようとしない限り、その闇はぼくらにとって存在しないのと同じだ。
ぼくたちがこれから始めるのは、その「見えているのに見ていない」都市を、おっかなびっくり正視して解読するトレーニングだ。人類学と聞くと、アフリカの未開民族やオーストラリアのアボリジニの話だと思うかもしれない。でも、違うんだ。人類学のスキルは、この世界で最も複雑で、最も人口密度の高い「部族」がいる東京でこそ、最強の武器になる。
たとえば、ぼくらが普段「雑踏」と呼んでいる群衆。それを「見えない階層」として読み解く。 あるいは、ぼくらが乗る電車。同じ車両にいても、あなたはスマホの画面でいまっぽいメイクのスキルや、筋トレ動画、はたまた株価情報を見る。他方、向かいの席で疲れ切った顔をしている人を見てみよう。その服の皺、バッグやリュックの種類、はたまたそれは中国語だったりヴェトナム語だったりヒンディ語の、異国の家族とのコミュニケーションだったりする。かれがこの都市のどの階層に属し、どんなプレッシャーと戦っているだろう?
視野の狭さ、偏見、そして無意識の差別。これがこの街の「地獄」だ。ぼくらが知っている東京は、ぼくらの経済力、学歴、そして肌の色やパスポートの色によって、都市がぼくらに見せている「カスタマイズされた風景」に過ぎない。カネもないのにキラキラした最新のトレンドに飛びつくことは簡単だ。楽しいし。だけど、もしもそのトレンドを支えている低賃金労働や、異国から来た人々の汗をスルーするならば、ぼくらはただの消費者に過ぎない。そしておそらくぼくらはすでにただの消費者として生きることに孤独とむなしさを感じているのではないかしら。
このフィールドワークの目的は、ぼくらが「現実を直視して、複数のレイヤーを備えた現実を理解する観察者」になること。 この連載を読み進めるうちに、あなたの背筋はきっと冷える。なぜなら、ぼくらの「最高の日常」のすぐ隣に、誰かの「地獄」が同居していることに気づくから。いいえ、ぼくらだって地獄に生きていないとはけっして言い切れない。
人類学は、都市を「地図」ではなく「物語」として読むスキルだ。次章からは、ぼくらがいつも歩いているストリートの、最も熱くて、最も冷たい物語を紐解いてゆく。さあ、一緒にこの東京の「リアル」にダイブしよう。ぼくらの眼は、もう二度と元には戻れない。
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ざっと以上のようなことをぼくはいま考えています。
3つの思考は実はひそかに通底している。
都市の音楽、都市の経済、都市そのもの。
どれも「目に見える表層」と「見えない深層」と「掴みきれない中間」に分裂していて、私はその“中間”に立って世界を見つめる。
この都市はひとつではない。
資本の東京、観光のTOKYO、移民たちのTOKYO、
そして声にならぬ声のTOKYO。
それぞれが交差し、すれ違い、
音も、経済も、時間も歪む。
ぼくはその“ズレ”のあいだを歩きたい。
辺縁と中心のあいだを聴き、感じ、書き残したい。
もし私が市場に惑わされずに、
ひとりの料理人の月給を、
ひとりのスパイス屋の暮らしを、
ひとりの無名の労働者の帰り道を、
数字にせず、物語と音と時間で数えたら――
新しい経済が見えてくるのではないか?
奇特にも、ぼくの論考を継続してお読みになってくださっているまちがいなく高い知性をお持ちの、ともすればぼくより賢いあなたは、どの論考に興味をお持ちですか?
