現在の瞑想法
仏教の瞑想法については、天台大師が摩訶止観を説いた6世紀頃の時代背景で、考える必要があります。現在何が異なるか、もう一度確認します。そこでは
紙が貴重品->画像で示すことが難しい
死体が道ばたにある
現在の学校教育はない
と言う状況です。このような条件で、当時の修行者は
自力で仏の力を想像する
必要がありました。例えば
観無量寿経での十三の観想法
で
極楽浄土の様子を想像する
修行を行います。現在なら、色々な絵図で伝わる話も、当時の修行者は自力で想像しました。
更に、今の私達のような、充実した学校教育はありません。そこでは
引力が有るから物が落ちる
と言う風な
原因と結果の関係
を学ぶ機会もありません。また、人体の筋肉や内蔵などの構造も、知っていません。その代わりに、道ばたに捨てられた死体が、朽ち果てる姿を見、最後の白骨を見ているのです。
加えて学校教育では
抽象的な概念の扱い
について訓練します。例えば
「慈悲」
と言う言葉だけで、私達は解った気になります。もう一歩踏み込んでも
辞書の説明
で理解したことになっています。
しかし、これでよいのでしょうか?このような、抽象的な概念は
理想的な条件で使える
例えば
地図の上で考える
時に力を発揮します。そこでは、落ちている情報があります。
一例として、伝染病が流行したとき
感染者XX人
と報道されて、私達はそれで、状況が解ります。数字で表現すると、大雑把な情報が把握できます。しかし、実際の患者一人一人の状況は違います。これが見えなくなっているのです。
さて、慈悲という、仏の力を考えましょう。そこでは
一人一人を救う慈悲
が必要です。色々な状況に応じた、救いの手を差し伸べる。これを象徴するのが、多くの手を持つ観音様です。
これを、自分の心に見いだすのが、瞑想の働きです。
そのために
現在の学問知識を忘れる
必要があります。その後で、例えば
慈悲
を想い浮かべます。文字の「慈悲」ではなく、具体的なイメージを、色々と展開していきます。こうした多様な、慈悲のあり方を見ていくと、その慈悲を行う仏の力が、観えてきます。
こうして
自分の心の中にある仏の力
を観るのが、現在の瞑想法だと思います。
なお、現在の学校教育では
よい子を造る
ため
憎しみなどの負の感情を抑圧
しています。
天台大師の摩訶止観では
憎むべき相手にも慈悲を及ぼす仏の力
を観るのが大切と説いています。こうした心との向き合いも大切だと思います。
