日本に易姓革命がない理由
昨日書いた
日本の革命とは?|鈴木良実
に関連して
易姓革命の発想
をもう少し考えました。
易姓革命の本質は
前王朝(とその王族)が徳を失い、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てた
です。しかし私はもう一つ
大衆の苦しみのはけ口
生け贄としての前の王朝
と言う側面があると思います。つまり
徳を失い天意を離れる
と言う状況は、明確な失政だけでなく
天災なども含む
からです。例えば、卑弥呼の交代は
日蝕のため
という説もあります。こうした形の支配の前提は、鼓腹撃壌の示すように、「人民は政治を意識せず」をよしとする発想です。
一人の老人が満腹になった腹を打ち鳴らし、地面を踏んで拍子をとりながら「世の中は平和で天子はいてもいなくても変わらない」という意味の歌を歌っていた。
それを聞いた尭帝は、人民が政治を行うものの力を意識することなく、満ち足りた生活が出来ていることが分かり安心したという故事から。
これは、中華文明にある
聖人の考えは天子や
科挙合格の有能な者のみ知る
という、断絶を導きます。
確かに、旨くいっているときは、これでも良いでしょう。しかしながら
地震や台風などの天災
の責任も、大衆にとっては
支配者の不徳で天意が外れた
という見方で、追求の対象になります。天災で苦しんだ大衆の憂さ晴らしに
贅沢していた王朝関係者を血祭り
という発想もあったのでしょう。
さて、日本の歴史には「易姓革命」の発想がありません。
私は、この転換点は
仏教伝来と聖徳太子の17条憲法
があると思います。大乗仏教の
皆に仏の智慧がある
という発想は
政治への大衆参加
を導きます。そこでは
天災の憂さ晴らしに
天皇や貴族を攻撃
という発想は出てこないでしょう。
この違いが大きいと思います。
