「暇な時に、動画を見る人と、AIに話しかける人って、何が違うんだろう?」

ふとそんなことを考えてました。

思い返してみると、僕が動画をよく見ていたのは、
食事中とか、手が塞がっている時が多かった気がします。
テレビやYouTubeを流して、ちゃんと見ていないことも正直ありました。

あれはたぶん、
あまり考えずに過ごしたい時間だったんだと思います。

一方で、手が空いている時はどうかというと、
以前は調べ物をしたり、
ゲームをしたりしていましたが、

最近は気づくとAIに話しかけていることが増えました。

別に、明確な答えが欲しいわけでもなくて、
考えがまとまっていなくても、そのまま投げています。
「これ、どう思う?」とか
「どっちの方が俺の用途にあうかな?」みたいな感じで。

使っていて思うのは、
AIは答えをくれる存在というより、
考えを整理する相手に近いな、ということです。

話しているうちに、
「あ、僕はここが気になってたのか…」
と気づくことも、けっこうあります。

そういう意味では、
AIは便利な道具というより、
自分の考えを映してくれる鏡みたいな存在なのかもしれません。

ただ最近、お客さんとAIの話をしていて、
少し気になったこともあったんです。

「子どもが、分からないことがあると
“AIに聞けばいいじゃん”って言うんですよね」

そこでお母さんが、
「それじゃ独り立ちできないでしょ」
と言うと、
「だってAIがあるし」
と返ってくることがあるそうです。

その話を聞いて、便利さとは別に、
少し怖さも感じました。

僕自身は、ある程度の知識や経験、
「これはちょっと怪しいかもしれないな」という感覚を持った上で
AIを使っています。

でも、何も分からない状態で、
考える前にAI、
迷う前にAI、
それが当たり前になったら、どうなるんだろうと。

僕は、AIは
考えなくてよくなる道具ではなく、
考えるために使う道具だと思っています。

暇な時間に、動画を見るのか。
誰かと話すのか。
それともAIに話しかけるのか。

それはきっと、
「今は少し休みたい」のか
「ちょっと頭を動かしたい」のか、
その時の状態に合わせて選んでいるだけなんだと思います。

僕はこれからも、
手が空いた時にはAIに話しかけると思います。

答えをもらうためというより、
ちゃんと自分で考えているかを確かめるために。

AIは自分の頭の中を整理する鏡でもあると思ってるんでね。

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