犀の角・やどかりハウス・hanpoによる上演計画「ともだちが来た」が始動した。
ところは長野県上田市。「犀の角」という文化施設で、ひとつのお芝居を作る動きが始まった。
「ともだちが来た」。この寡黙な芝居を、初演の時の役者、二口大学氏が演出する立場で動き出したのだ。
犀の角、という文化施設。やどかりハウス、という宿。hanpoというフリーペーパー&ウェブメディア。さまざまな思いを持つ仲間があたま寄せ合って、この芝居を動かし始めたのだ。おもえば初演は、二口君、奥村君、っていうふたりの若い役者が寡黙に、まわりからの特別な応援もなく、稽古していた。私もとくに誰かから応援されることもなく暑苦しい狭い私のアパートで悶々としながら台本を書いた。この寡黙なセリフがあんまり雑談もしないだろうあの稽古場でどんなに寡黙な芝居にたちあがってくるのだろうか……それはおそるおそるのきもちで一回だけ稽古場をのぞきに行ったのを覚えている。
あれから何年たつのだろう。いろんな役者さんがこの二人芝居にはチャレンジしてくれた。いろんな演出家が寡黙になりがちな稽古場にチャレンジしてくれた。私としてはこの作品を生んだ頃はこれが私の戯曲でのしゃべり方なんですよ、っていう感じで書いてたけれど、その後いろんな場でいろんな人に向けて台本を書くうち、どんどん社交性を身に着けた。登場人物はどんどんおしゃべりになっていった。もっと饒舌に、もっといろんなことをひとにわかるようにおしゃべりする登場人物たちになっていった。
だけど。このあんまり上手にしゃべってくれない二人の男子のしゃべりが、いまとなっては私なんだ、って人から指摘されてる感じがある。いまのところ、私の作品の中ではいちばんたくさん上演されてるのがこの作品なのだ。
思えば、すごくたくさんおしゃべりになったつもりだけど「結局ことばではなにもつたえてない」っていうことなのかもしれない。なにも意味のあることはしゃべらないのが登場人物なのかもしれない。
私の最新作は「秘密ひとつ。」という男女二人芝居で、私はその男の方を役者で演じた。おしゃべりな二人芝居は大変で、私は大量のセリフを覚えた。私なりには全速力のアクションでいろいろまくしたててしゃべった。だけどお客さんのひとりが印象に残るアンケートを残してくれた。「ことばのとどかなさ、言葉の無力さが強くつたわりました」。
要するにセリフはすべて意味のないものだ、って言いたかったんですよね鈴江さん、って終演後受付で感想を言ってくれた人もいた。からまわりの演劇。そうか。そうだったのかもしれない。たくさんしゃべればしゃべるほど話し言葉の意味はかすかになる。そうじゃない、っていくらがんばったところで、そこにいるあなたがなにか伝えたいと熱をもっていることだけしか伝わってこない、何も伝わらないのが人間なんだ、ってかなしいけれど、それがむしろ強く伝わるよ、ってことだ。そう感じる人は感じるのだ。
じゃ人は人になにをもってなにを伝えるのか。伝える、というのは可能なのか。
とりあえずセリフ覚えて立とうか、っていう稽古を私はよくやる。作品について語り合ったところでなにも伝わりあわない。演劇の仲間は演劇の作品を具体的に触りながら、おしゃべりではなく作業を通して伝えあうのよ、みたいな感覚で。だけどどうなのか。稽古しても稽古しても届かない。その届かないもどかしさを味わうことこそ、その時間こそが、人を味わうってことで、それがつまり芝居を味わう、ってことなのかもしれない。
じゃどうせならたっぷり語り合おうか。なんだかこの稽古場で車座になって話をされてる写真は、一周回って原則的に取り組んでいるんです、って姿勢を示しているのか。いや違うのかもしれない。だけどあの初演の寡黙な役者・二口君はこの芝居を一周も二周もまわってるだろう。結局なにかの切り口でまた試行錯誤をたっぷりしてくれるのだろう。そんな期待だけはたっぷりしている。
この企画は今後も随時、ウエブサイトを通して広報を進めてくださるそうです。またなにか広報があれば紹介します。
https://sainotsuno.org/event/tomodachigakita2026/
