投資が我が子。そんな感覚に自分でもびっくりしている

社会人になって数年が経った頃、投資を始めた。
それまでの自分にとって「投資」は、どこか怪しげで、自分とは縁遠いものだった。
成功しているのは一部の特別な人だけで、私のような普通の人間には関係のない話だと思っていた。

しかし、実際に働き、税金や年金の仕組みに触れ、将来のことを少しずつ現実として考えるようになったとき、ふと「このお金、どう使うのがいいのだろう」と立ち止まった。
本やらネットやらで情報収集を重ねた結果、「投資、やってみようかな」という気持ちがだんだん湧いてきて、今となっては貯金より投資派になった。

投資を勧めたいというわけではない。
むしろ、自分にとって本当に合っている方法なのかどうかは、人それぞれである。
怪しい話も多いし、方法論以上にマインドが重要だと感じる。
もし誰かに「投資した方がいいですか?」と聞かれたら、「貯金に安心感があるならそれでいい。でも投資が気になるなら、少額から、自分で勉強して試してみるといい」と伝えるだろう。

そして、そんな投資生活を数年続けてきた今、思いがけない感情が芽生えた。
それは「投資が、まるで我が子のように思えてきた」という感覚である。

自分の給料の中からコツコツ捻出し、投資額を増やし、時に不安を感じ、時に喜びもある。
決して感情を持たない数字の塊であるはずなのに、その変動すらも、子どもの成長や気分の波のように思える瞬間がある。
もちろん、投資と子育ては全く別物だ。
けれど、丁寧に時間をかけて積み重ね、育ててきたという意味では、どこか通じるものがあるようにも感じている。

こんな感覚、奇妙に思うだろうか?
でも、お金を「稼ぐ」「使う」「貯める」から、「育てる」へと視点が変わったとき、少しだけ世界の見え方が変わったような気がしたのだ。
誰かのためでなく、自分の未来のために向き合っている感覚。
少しずつ、でも確実に成長していくものを見守るようなまなざし。

わたしたちは、目に見える成果や即効性ばかりを求めがちだけれど、時間をかけて育てるという感覚を、日々の中で少しずつ失っているのかもしれない。
投資に限らず、何かを「育てる」経験が、わたしたちにくれるものは意外と大きいのではないだろうか。

投資に限らず、何かを育てる感覚を、あなたはどこで感じているだろう。

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